RSS | ATOM | SEARCH
迷子の避難計画(創発を生むミーム 2018/03/01号)
 創発を生むミーム 2018/03/01号の「迷子の避難計画」の全文記事です。
 
2018/03/01号
迷子の避難計画

 福島第一原子力発電所の原子力事故の教訓は、最悪の事態を想定して対策を練り、想定外で済ませないことです。別の言い方をすれば、原発を推進するサイドが見たくない現実を直視することです。

 しかし、関西電力の八木誠社長が福島第一原子力発電所の沸騰水型軽水炉(BWR)とは型が違う加圧水型軽水炉(PWR)の安全説を流したり(真っ赤なうそでした。詳しくは「電力会社とモラル・ハザード」の記事をお読みください)、その教訓は原子力村には受け入れられていません。

 原子力村がまともに直視していないことのひとつが、原子力事故のさいの避難計画です。

 原子力事故が起こり、放射性プルームが飛散するような状況では被爆を避けなければいけません。被爆には外部被爆と内部被爆があります。放射線を肌が浴びるのが外部被爆、放射線を出す物質(放射性物質)を胃に飲みこんだり肺に吸いこんだりするのが内部被爆です。

 被爆を避けるには、外部被爆の場合、放射線を避ける遮蔽物をとったり(家の壁程度でも放射性プルームからの放射線を減らせます)、放射線源との距離をとることです。内部被爆を防ぐには、放射性物質に汚染された飲食物を摂らず、また、マスクをして放射性物質を吸いこまないようにすることです。

 いずれにせよ、放射性プルームが通過する前に、ヨウ素剤を飲み(放射性ヨウ素が甲状腺に貯まるのを防ぎます。放射性セシウムには無力です。また外部被爆にも無力です)、避難することが肝心です。

 ところが、政府がまともに避難計画に取り組まないため、避難計画はタテ割り行政の中で迷子になっています。

 原発を再稼働させる原子力規制委員会は、原発の再稼働に当たって、避難計画の策定を義務付けていません。地元でどうぞご勝手にという態度です。原子力規制委員会の田中俊一委員長は「地域住民に対する防災計画の責任は市町村長や知事にある」と発言しています。

 それでは、原発を再稼働させる電力会社はどうかというと、自治体の避難計画を立てるのはその権限の埒外です。

 そのため、原発立地自治体や原発に近接する自治体が避難計画を策定できなくても、原発の再稼働が進んでいるのが現状です。

 一方で、原発立地自治体や原発に近接する自治体が避難計画を立てたくても、原発から30キロ離れた避難を受け入れる側自治体にはそもそも避難を受け入れる義務がありません。そのため、受け入れる側の自治体からは厄介ごとと思われがちです。

 毎日新聞の2013年の調査では、原発の30キロ圏内にある136ある市町村のうち7割以上で避難計画がありませんでした。

 また、避難で厄介なのは、風向きによっては放射性プルームの拡散先が変わってくることです。そのため、最悪の事態を想定するなら、避難先はひとつでは足りず、いくつかの風向きを想定した避難計画を立てなければいけません

 ただ、風向きと道路と出発点からの原発の方向によっては、放射性プルームが拡散する方向に避難するしかないケースもあります。福島第一原子力発電所の原子力事故の時、富岡町は、南北どちらにも原発があるため、南北は避難先からはずれ、海沿いの道は津波にやられている不安があるため使えず、西にしか進めず、高放射性の分布地帯を通って避難することになりました。

 なお、避難に当たってのSPEEDIの活用について、被災者がパソコンを膝の上に置いて確認できるのかという批判もあります。しかし、政府がSPEEDIの情報をネットで随時発表するなら、スマートフォン片手に被災者が確認できます。

 さて、避難計画の不備で犠牲になるのは弱者です。

「避難弱者」(相川祐里奈)によれば、福島県のある地域では地震直後の晩には隣組同士で「隣組の行動は一緒に」と申し合わされたのに、次の日には、隣組に無断で避難して、寝たきりの高齢者がいる家が取り残されたそうです。田舎では地域と結びつきが強いと言いますが、原子力事故から素早く逃げ出すにはそういうこともあるでしょう。

 また「プロメテウスの罠 2」にはこのような事例が報告されています。


 4月4日夜、双葉署から「遺体を収容しました。確認して引き取っていただけますか」と電話があった

 翌5日。南相馬市の高校の体育館で、石田は姉(49)と一緒に、二つの棺と向き合った。ベニヤ板のような薄い木の棺。開けると、グレーの遺体収容袋があった。

 チャックを下した。黒く、やつれ、変わり果てた父の姿があった。口元が乾いて、半開きで、水が飲みたそうだった。目が見開いていた、苦しそうな表情。なにかをつまもうとしていたかのように、右手は少し浮いていた。

 父は2階の布団の中で死んでいたと聞かされた。津波は2階まで上がっていなかった。

 検案書には「衰弱死」とあった。推定死亡時刻は3月21日。10日間は生きていたということだ。

 声が出なかった。姉は泣き崩れた。

(中略)(この男性の遺体について)

 横たえられた75歳の男性。自宅の布団の中で見つかったというのに、雨がっぱを着ていた。逃げられず、電気もガスも水道もなく、暖房もつけられずに寒かったろのだろう。やせこけ、顔が真っ黒だった。

 男性は双葉町の住宅の2階で見つかった。1階は津波で水浸しで妻が水死していたと説明を受けた。

 両手を合わせ、目を閉じる。

 警官が服を脱がせていく。

 全身が黒っぽかった。肉が落ち、骨と皮だ。腹は極端にへこみ、体はひからびていた。外傷はない。  ああ、ひどいな。

 警察の話では、もともと体重は60キロあった。しかし、遺体は38キロ。

 部屋にはコーラと酒の空き瓶が転がっていたとも聞いた。寒く、食べ物もなく、独りで死んだ。 餓死だ。そう思った。

 60キロの人が38キロになるには、10日かかるとされている。標葉は、推定死亡時刻を21日、死因を衰弱死とした。男性の名は石田次雄をだった。

 他にも4体、石田と同じく原発避難区域内で見つかった60〜70代の衰弱死の遺体を検視した。富岡町の60代の女性はこたつの中でやせこけた状態で見つかった。足が不自由で、一人では逃げられなかった。

 大熊町の男性(63)は駐車場でガス欠の車のそばで倒れていた。男女二人はそれぞれ自宅で見つかった。

「津波だけなら助かったのです」と標葉は言う。

「助かる人を死なせたのは、原発事故です。行政も東電も、責任を感じてほしい。1年後の今、私が こうやって話すのは鎮魂のためなんです。痛まれることなくなくなった人たちへの鎮魂です」

 現在、いわき市に住む石田次雄の長男、賢次(45)は、昨年6月に実家に一時帰宅した。父が三方離れの2階。枕元に2.7リットルのペットボトルを見つけた。果実酒らしきものが残っていた。

 母は果実酒づくりが趣味だった。父が最後に命をつないでいたのは、母の果実酒だったのだろうか。


 このような事件の背景には、避難できなかったひとを探す警察や消防の捜索が、被爆を避けるために打ち切られたことがありました。

 また、避難計画を立てられても、実際に実行に移せるのか疑問視されるケースもあります。避難対象者が10万人を超える市が日本全国にいくつもあるからです。

 福島第一原子力発電所から30キロ圏内で最も人口が多いのが南相馬市で6万人です。全町避難した浪江町が2万人、富岡町で1.5万人です。

 ところが、宮城県女川原発から30キロ圏内にある石巻市は人口16万人、茨城県東海第二原発から30キロ圏内にある日立市は人口18万人、ひたちなか市は15万人、水戸市は26万人、新潟県柏崎狩羽原発から30キロ圏内にある長岡市は人口30万人、静岡県浜岡原発から30キロ圏内にある掛川市は対象人口11万人、磐田市は10万人、鳥取県島根原発から30キロ圏内にある松江市は対象人口20万人、佐賀県玄海原発から30キロ圏内にある唐津市の人口は12万人です。数字は「原発避難計画の検証」(上岡直見)から引用しました。

 「原発避難計画の検証」でも指摘されていることですが、原発というと田舎にあるとイメージされますが、県庁所在地が近隣にあるケースがいくつもあります。果たして、滞りなく避難を実施できるのでしょうか。全村避難という規模ではありません。

 避難計画が不備のまま原発が再稼働されるのは、事故の教訓が生かされていないでしょう。再稼働に当たっては、避難計画の策定も義務付けるべきです。ただし、このことは、原発から30キロ圏内の周辺自治体に原発再稼働の同意権を事実上与えるものです。避難計画を策定しなければ、原発の再稼働を阻止できるからです。原発を地元に抱え再稼働の同意権を持つ立地自治体は全国に34あり、30キロ圏内にある避難計画の策定を求められるが原発再稼働の同意権を持たない周辺自治体は全国に119あります。また、避難計画の実施が危ぶまれるケースでは、原発を廃止することも考えるべきです。原発再稼働に反対する立場からは、避難計画の不備を再稼働を阻止する大義にできるでしょうし、原発を再稼働させる立場からでも、原発の地元住民の命を守ることは大切なことのはずです。
■メルマガを購読する


アフィリエイト広告
author:taiga, category:メルマガ, 10:59
comments(0), trackbacks(0), pookmark
もはや防衛のためという言い訳は通らない(創発を生むミーム 2018/02/01号)
 創発を生むミーム 2018/02/01号の「もはや防衛のためという言い訳は通らない」の全文記事です。
 
2018/02/01号
もはや防衛のためという言い訳は通らない

 防衛省が軽空母(短距離離着陸機や垂直離着陸機を運用する空母)の保有を検討しています。ヘリ空母を軽空母に改修して、アメリカ海兵隊の艦載機であるF35Bを運用する計画です。南西諸島の防衛のためだとしています。また、大学の軍事研究への助成も活発化しています。

 地上を狙って航空機から発射する空対地長距離巡航ミサイルの導入も検討されています。これらは敵基地攻撃能力を持たすことが可能なため専守防衛を逸脱する恐れがあります。安倍首相は敵基地攻撃にはアメリカが当たると、懸念には及ばないと国会答弁しました。

 本当に日本から戦争をしないのでしょうか?

 こんな時に決まって使われる決まり文句が「防衛のため」です。かつての日本でなら、こんな文句もリアルなものだったでしょう。しかし、もうそんな言い訳は通りません。今の自衛隊は外征できる軍隊だからです。集団的自衛権を行使すれば、外国と戦争できてしまいます。政府は限定的な武力行使かのように説明しますが、実際に交戦状態に入れば、武力行使はエスカレートしていくでしょう。

 かつて、日本政府も(政府の憲法解釈の門番役である)内閣法制局も、自衛隊は自衛のためにしか使えないと公言していました。しかし、安倍政権になってから、政府も内閣法制局も「自衛隊は(日本から始める)戦争に使える」と解釈を改めました。

 かつての日本なら、外国から日本に攻撃があって始まる自衛戦争にしか自衛隊は使えなかったのです。だから、防衛省や大学が「防衛のため」の装備や研究であると発言しても、筋を通すことも可能でした。しかし、今や日本は(外国を守るためなら)日本から戦争を始められる国です。防衛のためという言い訳なんてナンセンスです。

 あるいは、イージス・アショア(イージス艦のミサイル迎撃機能の陸上版。)のようにミサイル迎撃用の兵器でも、現行の安保法制では、米軍防護のために武力行使が可能です。日本から戦争を始めるために使えるのです。

 また、安倍政権以前の日本なら武器輸出三原則があるため、大学の軍事研究の成果が武器輸出に使われないという名分も立ちました(まったく抜け穴がないわけではありません。日米軍事技術協力があって、アメリカの望む軍事技術を日本からアメリカに提供していたからです。逆はありません。一種の上納です)。しかし、安倍政権下で閣議決定によって武器輸出三原則は防衛装備移転三原則に変更され、武器の輸出が解禁されました。機密性の高い日本国産の潜水艦をオーストラリアに輸出する商談もありました(オーストラリア側の都合により破談)。もう防衛のためという言い訳はできません。

 古い知識は最新の知識にアップデートされなければいけません。防衛省が防衛のための軽空母導入と言っても、集団的自衛権を政府が発動させ、日本から外国に戦争を始めるためにその軽空母が使われることはないと、政府や防衛省が保証してくれるわけではありません。大学の軍事研究と言っても、防衛のためだけではありません。国産兵器が輸出されるからです。長距離ミサイルを持っても、敵基地攻撃には使われないと保証できません。集団的自衛権を行使して外国と交戦すれば、武力衝突がエスカレートするのは目に見えているからです。憲法だって防衛のために限ると保証してくれません。そして、憲法に政府の不都合があれば、政府の一存で解釈を変えてしまうのが現在の政府のありのままの姿なのです。

 日本の防衛省や政府や大学が軍備拡張を「防衛のため」というのは、現実が見えていないか、もしくは、真っ赤なうそと呼ぶべきでしょう。

 政府や防衛省や大学が「防衛のため」という文句を使った時、私たちはもっと攻撃的に「武力行使のため」と言い換えなければ、実態を正しく理解できません。国防を論じる時に、このようにダブルミーニングを使わなければならないのは国民の不幸です。
■メルマガを購読する


アフィリエイト広告
author:taiga, category:メルマガ, 09:39
comments(0), trackbacks(0), pookmark
国家財政は家計の比ではない(創発を生むミーム 2018/01/04号)
 創発を生むミーム 2018/01/04号の「国家財政は家計の比ではない」の全文記事です。
 
2018/01/04号
国家財政は家計の比ではない

 国家財政はよく家計に例えられます。こんな感じです。年収650万円の世帯なのに、毎年340万円を借金して、全額を消費に回している。今では借金が1.1億円にもなっている。なのに、まだ借りられるからと借金しようとしている。これでは問題だ。入るを量りて出ずるを為すを図らなければならない。

 しかし、国家財政の規模は、家計の比ではありません。例えば、年収500万円の世帯が(収入をすべて消費に回しているとして)5%にあたる25万円の支出を節約したとしましょう。景気に与える影響は微々たるもので、統計誤差の方が大きくなります。しかし、およそ100兆円にのぼる国家予算の5%を削ると5兆円になります。これはおよそ500兆円ある日本のGDPを1%マイナス成長させる規模です。

 このように、国家財政の規模は家計の比ではありません。先ほどの例だと、同じ規模の家計が2000万人いないと同じ結果になりません。世界不況のような時に、家計が節約することは個人にとっては合理的なことです。収入は減るし先行き不安だからです。しかし、全体が同じことをすれば、余計に景気を悪化させます。合成の誤謬と呼ばれます。

 また、ムダを減らして、その分を有意義な使い道に回そうという意見もあります。しかし、全体の支出が増えなければ、日本の景気に与える影響はプラスマイナスゼロです。

 例えば、余った道路予算を使い切るために、年度末に道路に穴を開けてまたふさぐのをやめて、教育予算の回しても、支出総額が増えなければ、日本の景気には影響がないのです。

 道路に穴を開けてふさぐようなことをしてもGDPが増えるなんて、と思う方もいるかもしれません。これはGDP統計の限界です。

 GDP統計が計るのは消費の増加であって、国民の幸福が増すことではありません。これは「経済成長って、本当に必要なの?」( ジョン デ グラーフ ,デイヴィッド K バトカー)に書いてあることですが、国民が不幸になることでも、消費が増えるなら、GDPに計上されます。例えば、家庭不和。家庭不和が増加すれば、離婚調停のための弁護士報酬も増えるでしょう。この増えた分はGDPの増加として勘定されます。あるいは、公害。公害によって住民の健康が損なわれたら、医者にかかる患者が増えます。この増えた分の医療報酬はGDPにカウントされます。

 だから、GDP統計を見る時は消費が増えたかどうかだけでなく、国民の幸福が増えたかどうかも抑えなければ、片手落ちになります。しかし、税金のムダ遣いが減り、国民の幸福が増すような社会還元のために使われても、全体で見て消費が増えなければ、景気は良くなりません。そして、政府支出もGDPにカウントされます。

 例えば、消費が増えないなら、将来の生産増を見越して企業が設備投資を増やしたりしません。あるいは、人手の確保のために、企業が人件費を増やして実質賃金(物価変動によらず、実際に商品やサービス購入に回せる賃金)が増えることにはなりません。

 GDPにカウントされる支出のひとつに個人消費があります。一般の個人の支出の総計です。個人消費を増やすためには、実質賃金が将来に渡って安定して増える必要があるでしょう。収入がこれからも増えると予測できるから、個人も安心して消費を増やせるのです。これは私が言い出したことではなく、新自由主義経済学の泰斗のミルトン・フリードマンが言い出したことです。

 しかし、消費税を増税すると物価が上昇するため、実質賃金が下がります。家計を切り盛り感覚で国家財政を切り詰めると、日本の経済が衰退します。

 財政再建のための消費税増税は、実際には逆効果でした。2014年の消費税増税は実質消費(物価変動によらず、実際に商品やサービス購入に回せしたお金)を2兆円以上減少させました。この減少は長引き、駆けこみ需要の反動だけでは説明できませんでした。実質消費の落ちこみは2017年発表の政府統計では2016年まで続き、2017年もマイナスになると予想されます。

 国家財政を黒字化に向かわせると家計が赤字化に向かい、家計を黒字化に向かわせると国家財政は赤字化に向かうのです(ただし、国債発行によって市中のお金を国が吸い上げ、金利が上がり、民間が疲弊している場合は別です)。

 ところが、日本の税制論議はそれと逆方向です。実現すれば30年ぶりの新規増税として、森林環境税の導入が議論されています。この増税は3つの問題が挙げられます。

 まず、デフレ不況下で増税することです。政府が国民から税金を搾り上げれば、その分だけ消費が減ります。つまり、日本一国のレベルで見れば、需要が減り、デフレ不況が続きます。

 次に、所得の再分配ではないことです。所得が再分配されるなら、格差が解消し消費も増えるのですが、そうではありません。財政再建のための増税です。そして、この記事で説明したように、財政再建は景気を悪化させます。

 最後に逆累進課税であることです。この新税は、住民税を支払っている納税者ひとりにつき、千円を取り立てるものです。言ってみれば、人頭税です。逆累進課税の何が問題かと言えば、金持ちに優しく、貧乏人に厳しいことです。日本の格差を拡大させ、国益を損ないます。IMFですら、累進課税の強化で格差を解消させようと訴えているご時勢に、逆累進課税の導入なんて、国際社会の潮流に反します。

 金持ちから税金をとることを賛成するのは簡単ですが、実質消費が減り景気がまだ回復していない時期に、所得再分配が伴わない増税は消費を減らし、景気を悪化させます。これは同時に検討されている他の増税策にも言えることです。
■メルマガを購読する


アフィリエイト広告
author:taiga, category:メルマガ, 17:14
comments(0), trackbacks(0), pookmark
少数意見の抹殺(創発を生むミーム 2017/12/01号)
 創発を生むミーム 2017/12/01号の「少数意見の抹殺」の全文記事です。
 
2017/12/01号
少数意見の抹殺

 国会の質疑答弁の時間の与野党間の配分について、与党自民党がこれまでの与党2野党8を改め、与党5野党5にすることを要求しました。

 安倍首相は国会議員は国民から権力を信託されているのだから、与党野党の政党の枠組みではなく、国会議員個人の責任を果たすべきであり、それが国民からの負託に応えることだと説明してます。

 これは、個人主義・平等権に基づく主張でしょう。国会議員個人に焦点を当てると、なんだか良いことのように思えてしまいます。

 しかし、国会内の勢力関係の視点で見ると、少数意見の抹殺につながり、個人主義・平等権を妨げてしまいます。

 政治家は議会の中で会派を組んで行動します。政党交付金を国から受け取るためにも、法案提出権を獲得するためにも、5人以上の会派を組まなければいけません。また、首相を選出するためには、衆議院で全議席数の過半数を占めなければいけません(首相を選ぶ権限は参議院にもありますが、衆議院と参議院で割れた時は、衆議院が優先されます)。また、政党が党議拘束をかけて、議員個人に党の方針に従って、法案の可決について投票するように強制することは、当たり前のように起こっています。

 安倍首相が自民党総裁として、党議拘束をかけず自民党の議員ひとりひとりの意見を尊重して、与党を運営するなら分かりますが、実際には公認権と毎年100億円を超す政党交付金の使い道を握っており、安倍一強と呼ばれる状況で、それはないでしょう。

 だから、国会議員個人の責任を果たすことを期待して、質疑答弁の時間配分を変えても、権力による少数意見の抹殺につながるでしょう。

 それでは少数意見をどうして尊重しなければいけないのでしょうか。

 まず、人権思想の下、国民ひとりひとりの幸せが追求される民主主義国家の日本では、様々な立場から意見が国政に反映されなければ、国民の幸福追求が成り立たないからです。

 また、多様な意見を認めれば、ひとつの政策がうまくいかなてくも、代わりとなる政策を国民が選ぶことが可能になるからです。

 みんなと一致団結すれば、大きなパワーになると思っている読者には、多様な意見を認められたならば、てんでばらばらになると思うでしょう(「みんなと一致団結」は日本人にありがちな問題解決策です)。しかし、(「戦争への道を振り返る」の記事でも取り上げましたが」)1931年の満州事変以来15年間に渡って続いた戦時中の15年戦争では、日中戦争は聖戦として位置づけられ、泥沼にはまり、戦争を止められないまま、中国における日本軍の占領地の返還を要求するアメリカのハルノートを拒否して太平洋戦争に突入しました。

 また、小選挙区制の衆議院選挙は死票(落選候補に投じられた票)が多く、議席数は必ずしも国民の信託を正確には表しません。先の総選挙で全有権者のうち、自民党の占める得票率は25%でした。自民党が議席数の3分の2を占めたにも関わらず、与党2野党8の配分の方が、国民の信託を正確に表しています。

 イギリスの政治哲学者のミルは、「多数派の横暴(多数派で決めて、少数派を黙らせること)」という言葉を残しましたが、これでは少数派の横暴です。もちろん、実際には、野党は複数の党に割れているのだから、よりいっそう少数派なわけですが。

 また、国権の最高機関と憲法で位置付けらている国会には、政府を監視するという責任があります。一方で、内閣も国会に対して責任を追うと、憲法に明記されています。それなら、安倍首相も、野党に対して質疑答弁する時間を取らないといけないでしょう。

 安倍首相は、自分が自民党総裁として人事権や政党資金の分配権を握っている自民党の議員たちが、真剣に質疑答弁で内閣を追求しなければいけない、またそれができると思っているのでしょうか。

 森友問題での籠池泰典の国会証人喚問の自民党の質問も、「安倍明恵首相夫人から聞いた話と違う」と籠池氏を責めるもので、国会議員である自民党議員が内閣総理大臣である安倍首相側についたものでした。

 もちろん、裁判の場でも、被告人を追求する検事と被告人を弁護する弁護士に分かれるので、与党の議員が内閣側のつくのも問題ではありません。しかし、与党の議員ひとりひとりに個人主義・平等権に基づいて質疑答弁の時間を配分しても、過去にも自民党の議員はカジノ解禁法案の質疑答弁で時間が余ったのでお経を読んだぐらいなのだから、安倍首相へのごますりに使われるのではないでしょうか。

 11月の特別国会でも、自民党の岸田政調会長が、自分がまとめた総選挙の自民党のマニュフェストのうち憲法改正について安倍首相に質問していました。言ってみれば自民党の宣伝です。今後重要になるだろう憲法改正の国会質疑でも、自民党に偏った時間配分になれば、同じことになるでしょう。

 もっとも安倍首相はよく、行政府の長である内閣総理大臣と政党である自民党総裁の立場の違いを利用して答弁から逃げます。2段落目の答弁を引き出した枝野幸男議員の代表質問への返事も、国会が決めることだから、首相としては答えられないというものでした。ところが、日経新聞の報道によると、与党の質疑時間の拡大は安倍首相の指示だと、萩生田内閣官房副長官が明らかにしています。

 そもそも、安倍首相は自民党の質疑時間を増やすのは、自民党の若手政治家に活躍の機会を与えるためだと説明しています。しかし、自民党の政治家に手柄を立てさせるために、国会を利用するのは、自民党による国会の私物化でしょう。

 そもそも多数派を握る与党側は、金でも権力でも情報でも、野党の優位に立ちます。法案も与党内ですり合わせてから国会に提出され、それから与野党で時間配分されて質疑応答に入ります。最初から与党有利なのです。議席数に応じて時間配分を決めるのは一見、公平のように見えて、与党チートなのです。少数派が尊重される国会運営が必要です。
■メルマガを購読する


アフィリエイト広告
author:taiga, category:メルマガ, 17:27
comments(0), trackbacks(0), pookmark
安倍首相のための憲法改正(創発を生むミーム 2017/11/01号)
 創発を生むミーム 2017/11/01号の「安倍首相のための憲法改正」の全文記事です。
 
2017/11/01号
安倍首相のための憲法改正

 安倍首相率いる自民党が憲法9条の改正を総選挙の公約にしました。憲法改正の条文は選挙の後に発表するとのことですが、以前から発表されている草案が土台になるでしょう。これから起こる憲法改正論議のために、取り上げました。一言で表現すれば安倍首相のための憲法改正です。何が問題なのでしょうか。

 今年6月に憲法9条に自衛隊を明記する安倍首相の提案を受けて自民党憲法改正推進本部が出した叩き台は次のものです


9条の2 前条の規定は、我が国を防衛するための必要最小限度の実力組織として自衛隊を設けることを妨げると解釈してはならない
2 内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有し、自衛隊は、その行動について国会の承認その他の民主的統制に服する


 自民党の保岡興治・党憲法改正推進本部長は現在の憲法解釈を1ミリも動かさないと発言しています。それならば、変えなければいけないのは9条ではなく幸福追求権を定めた13条です。自衛隊を合憲と解釈する従来の憲法解釈の源は13条にあるからです。つまり、国民の幸福追求のために政府は国民を守らなければならず、そのために自衛隊が必要だという解釈です。

 自民党の憲法改正案には「必要最小限度の実力」という文言があるのだから、たいした違いではないという意見もあるかもしれません。しかし、「防衛のため」という文言が問題となります。集団的自衛権の根拠となるからです。

 安倍政権以前の憲法解釈では日本は個別自衛権しか持っておらず、集団的自衛権は持っていないというものでした。憲法のどこにも書いていないからです。

 しかし、安部政権は「国民を守るため」なら集団的自衛権が認められると憲法解釈を変更しました。この解釈変更について、多くの憲法学者が違憲であると表明しました。

 ところが、自民党の憲法改正案では、自衛隊の存在が合憲とされた上で、防衛のために使ってよいとされました。それならば、安倍首相の解釈改憲も、合憲とされるでしょう。

 このように、自民党の憲法改正案は、安倍政権下での解釈改憲や安保法制を追認するものであり、安倍首相のための憲法改正だと位置付けられでしょう。

 ただ、安倍首相は現在の条文でも集団的自衛権を持つという解釈なので、今後の改憲議論で「防衛」という文句が削られても、政府は集団的自衛権を持つと主張を続けるでしょう。

 現行の憲法のまま政府が集団的自衛権を行使して自衛隊を戦地に送っても、最高裁判所で違憲と判断が下る公算が高いでしょう。大勢の憲法学者が違憲と考えていることだからです(ただし、日本では学説は法源になりません。法源とは裁判官が判決を下す根拠となる法のこと)。

 しかし、改憲をして憲法で集団的自衛権を認めてしまえば、将来、最高裁が違憲と判断を下すことがなくなります。

 そして、その先には、アメリカに軍事貢献するために、自衛隊を使う国に日本がなるということです。しかも、その軍事貢献は首相の意向次第で出来てしまうのです。

 憲法9条一項や二項では、交戦権や戦力の保持を禁じているので、そんなことにはならないと思われるかもしれません。しかし、法律解釈には後方優位の原則があります。矛盾する条文を解釈するさい、後から付け足されたものを優先させるという考えです。後の方が、より立法者の趣旨にかなうという考えです。だから、三項を付け足せば、それにかなうように、一項や二項も再解釈されます。

 安倍首相は集団的自衛権を行使して外国を守るために日本から戦争を始めるのは、日本を危機から守る場合に限るとしています。しかし、その危機の判断は首相がすることで、憲法に制約されません。

 ただ、「日本人を分断した教育勅語」でも触れたように「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」とある憲法前文は、防衛のためでも、日本政府の意志で戦争を起こすことを禁じています。

 しかし、集団的自衛権を行使して自衛隊の武力を使うとは、日本政府が宣戦布告して戦争を始めることです。安倍首相は抑止力だ、これが国を守ることだと主張しますが、日本が戦争に向かうことなのです。

 そのため、集団的自衛権の行使は前文に反します(個別自衛権は敵国の攻撃があって発動されるものなので、政府の意志ではありません)。しかし、学説では前文違反を理由に裁判に訴えられません。個別の条文で対応できるからです。だから、集団的自衛権が違憲だと思うなら、安倍改憲に反対しないといけません。また、憲法9条を変えるなら、集団的自衛権を禁じれば、政府に戦争を再び起こさせない憲法前文の精神にかなうでしょう。
■メルマガを購読する


アフィリエイト広告
author:taiga, category:メルマガ, 10:29
comments(0), trackbacks(0), pookmark
政治家=マーケッター説(創発を生むミーム 2017/10/01号)
 創発を生むミーム 2017/10/01号の「政治家=マーケッター説」の全文記事です。
 
2017/10/01号
政治家=マーケッター説

 マーケティングとは、消費者の嗜好にあう商品やサービスの情報を消費者に届け、流通を円滑にすることです。この記事では、政治家の一側面をマーケッター(マーケティングの専門家)と捉え、論じたいと思います。何度もうそをつくからです

 そう聞くと、読者の中には「政治家は名誉ある職なのに、企業活動なんかになぞらえるなんて」と怒るひともいるかもしれませんが、最後まで読んで判断してください。

 現在のマーケティング事情をまとめた「ウソはバレる」(イターマル・サイモンソン、エマヌニュエル・ローゼン)では、マーケッターを「(消費者から見て)疑わしい存在」と切って捨てます。「つまらない要素をつけ加えたり、ほとんどの人にとって使い道や意味のない機能や差別化要因をアピール」(同書)するからでしょう。あるいは、消費者をだますからです。安全の代名詞だった自動車メーカーのボルボが、実際には安全性を裏付けるデータがなかったためにイメージを失墜させたケースなどが同書では論じられています。排ガス規制で消費者をだましたフォルクスワーゲンや同じく燃費データで消費者をだました三菱自動車などもそれにあたるでしょう。

 最近の日本の政治でも、(消費税増税分の5兆円のおよそ8割を教育予算に回す意向の)安倍首相が読売新聞のインタビューに答えて、(5%から8%に増税された8.2兆円の)消費税の使い道のうち、8割が財政再建のためだったことについて、「増えた税収の8割を借金返済に使われた」とぼやいていました。しかし、消費税増税の実施の最高責任者は安倍首相なのだから(最高責任者とは首相自身が言っていることです)、これでは言い逃れです。また、そんな安倍首相に都合の良い偏った報道をする読売新聞は「マーケッターより」の新聞社と言えるでしょう。

 また、自民党自体、PR会社と契約して、メディア戦略を練っているそうなので、マーケッターという捉え方は実態に即したものの見方でしょう。

 さて、「ウソはバレる」で疑わしいマーケッターにかわって、信頼できる情報源になっていると指摘されるのが、他人(この場合は、詳しい消費者がそれにあたるでしょう)です。例えば、アマゾンレビューなどのレビューを読むと、ある商品について数十人がレビューをつけていて、購買の参考にできます。

 ただし、商品を実際に購入してからレビューを書く場合と違い、国政選挙の公約が実施されるのは、選挙の後です。だから、(選挙の前から)信頼できるレビューを書くには、相当勉強していないと無理でしょう。

「地方自治は民主主義の学校である」という格言があります。地方自治のように(国政と比べて)住人の目が行き届く政治なら、どんな政策が実施されたら、自分の暮らしにどう影響を与えるのか、学びやすいでしょう。ただ、そんな格言が(欧米に)あっても、日本の地方自治は不活発なので、有権者が政策を学ぶ教材にはなりえないかもしれません。

 また、インターネットの普及した現在においては、消費者が手に入る情報は(企業の広告以外にも)ふんだんにあり、消費者は自発的に継続的に情報を収集するようになったと「ウソはバレる」で指摘されています。

 国政選挙で政治家を選ぶとは、毎年数十兆円にのぼる国庫の使い道を選んだ政治家に委ねることなのだから、自発的に継続的に情報を収集する価値はあるでしょう。

 ただし、インターネットではフェイクニュースが手軽に広がるので注意も必要です。自分に都合の良い情報をうのみにせず、複数の信頼できる情報源にあたる必要があるでしょう。

 それから、自分とは違う意見の持ち主に注目するのも良いでしょう。同じ意見だけを拾っていると、たこつぼの中に入ってしまいます。自分とは違う意見を聞くと思わぬところで視野が開けるかもしれません。ただ、だまされたら元も子もないので、人間的に信頼できるひとを選ぶべきでしょう。

 それから、「ウソはバレる」で、ブランドや消費者の説得が無用となっているマーケッターの仕事として、関心の創出が挙げられています。

 関心の創出の例として、ホワイトバンドプロジェクトが挙げられます。先進国からアフリカ諸国への有償援助の債務棒引きを目指し、その運動の連帯感を示すために白いバンドを腕に巻こうという運動でした。日本でも多数の有名人が出演するCMが話題になりました。ところが、発祥の地の欧米では白いひもや布地を腕にまくだけで良いのに、日本では「業者からホワイトバンドを買うもの」とされました。ウィキペディアのホワイトバンドプロジェクトの項目からの引用になりますが、国内で販売されたホワイトバンドは1本300円、総数で464万本以上でした。そのうち、流通経費(製造から小売りまでの経費。一言にまとめれば、寄付とは無関係の業者の取り分)が約200円、広告費および国内でホワイトバンドプロジェクトを推進した特定非営利活動法人ほっとけない 世界のまずしさ事務局の運営費(ホワイトバンドプロジェクトの推進のための経費)が約57円、約28円がNGOの政治活動資金(実際に運動に使われるお金)、残りの14円が消費税でした。13億円を超す売り上げがあったのですから、そのうち10億円近くものお金が業者の懐を潤しました。

 この総選挙における民進党の希望の党への合流による、「自民か反自民か」という争点化は、まさにマーケッターの仕事とよべるでしょう。世間の関心が「自民か反自民か」に集まりました。世間の関心が選挙に集まるのは、投票率も上がって良いことです。しかし、それだけに終わらず、だまされない必要があるのは、うがちすぎでしょうか。

 また、日本の国政選挙で大きな影響力になるのが「なにかやってくれそう」という期待感です。風とも呼ばれます。しかし、「悪いヤツほど出世する」(ジェフリー・フェファー)で「カリスマ=感動させてくれるひと」と定義されています。自分を感動させてくれるひとに期待するのは、冷静になってから判断すべきでしょう。

 過去にも小泉構造改革の時代に、小泉首相が「改革を止めるな。」とキャッチフレーズにして衆議院の解散総選挙を実施したことがあります。しかし、デフレ不況下の構造改革は格差を拡大する一方で、内需を増やすことはありませんでした。アメリカの不動産バブル頼みの実感なき好景気でした。

 また、ライブドアの社長だった堀江貴文氏がカリスマ経営者としてメディアでもてはやされた時がありました。これからの日本人はこのような金持ちを目指すべきかと賛否が割れました。堀江貴文氏が有価証券報告書の虚偽で逮捕されると、状況は一変しました。例えばベンチャー企業向けの株式の取引が激減しました。

 そうはいっても、感動消費はなくならないでしょう。アメリカのオバマ元大統領の2009年の大統領就任演説について、日本の視聴者の一部から「感動させてくれなかった」という批判の声が上がりました。カリスマの演説に触れて、感動したかったのでしょう。しかし、感動させてくれるからといって、自分の暮らしが良くなると早計するのは、のぼせすぎではないでしょうか。

 やはり、社会の実態をどのように理解しているのか、それをどう変えるのか、その将来はどのような姿を目指すのか、その段取りはどうするのか、といったことを地道に調べる必要があるでしょう。国民の意識が高まらないと、国民をだます政治家はこれからも輩出されるでしょう。

 もちろん、そんなに難しく考えなくても、単純にうそをつく政治家はいます。東京都知事の小池百合子氏は「情報公開は東京大改革の一丁目一番地」と位置付けでいたのに、毎日新聞の調査で、築地移転問題について財源や運営費などを検討した資料が残されていなかった発覚した問題について「それは、私がAIだからです」「最後の決めはどうかというと、人工知能です。人工知能というのは、つまり政策決定者である私が決めたということでございます」とごまかしました

「自分がAIだなんて、素直に受け止めると妄想?」「AIであることが約束を破る口実になるSFって存在したっけ?」と思いますが、釈明に窮して言葉を選び損なったのでしょう。ここで「いや、そうはいっても、こういうことをしてくれるだろう」と有権者が忖度することは、企業に対してはしません。だから、政治家に対しても有権者は厳しく吟味しないといけないでしょう。
■メルマガを購読する


アフィリエイト広告
author:taiga, category:メルマガ, 11:57
comments(0), trackbacks(0), pookmark
企業家を縛る規制を撤廃(創発を生むミーム 2017/09/01号)
 創発を生むミーム 2017/09/01号の「??企業家を縛る規制を撤廃」の全文記事です。
 
2017/09/01号
企業家を縛る規制を撤廃

 国があって企業家がおり労働者があります。

 労働者への待遇について、国が企業家を規制したものが労働基準法です。労働者を守るために、企業家はこの法律を守らなければいけません。そのひとつに労働時間の上限があります。企業家が労働者を働かせられる時間は週40時間までであり、それ以上働かせようとすれば、賃金を25%割り増しした残業代を支払わなければいけません。

 そして、企業家たちの主張をくみ取り国が進めているのが、この規制の撤廃です。それが「高度プロフェッショナル制度」(通称残業代ゼロ法案)です。

 企業家たちは勤労意欲のある労働者のために、残業規制をなくそうとポジション・トーク(自分の利益ための偏った主張)をしています。しかし、実際に規制が解除されるのは、労働者を縛る法律ではなく、企業家を縛る法律です。

 残業代ゼロ法案を主張する経団連の2005年の提言を読むと、頭脳労働が主流の現在のサラリーマンの働き方では、工場で管理されて働いていた1947年の労働基準法制定当時の働き方にはそぐわないとあります。しかし、それで改めるのが、企業家を縛っていた残業規制なのだから、自分に甘い意見です。

経団連の「ホワイトカラーエグゼンプションに関する提言」https://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2005/042/teigen.pdf

 経団連の提言にはフレックスタイム制でも「労働時間にとらわれない自由な働き方」には足りないとしています。それなら、何なら経団連は満足するかというと、残業規制が撤廃されたらです。企業家への規制が撤廃されたら満足するのです。

 また、管理監督者(いわゆる管理職)の規定について「深夜業の割増賃金の支払いが適用除外とされていないという点で、真の意味における労働時間の適用除外とはなっていない」と主張しています。どうあっても、経団連は残業代を払いたくないのでしょう。

 経団連は残業規制撤廃について「働き方の選択肢を増やし、労働者の勤労意欲に十分に応えつつ、生産性を向上させ、我が国産業の国際競争力の強化にも繋がるホワイトカラーに適した労働時間制度」が必要だと主張しています。

 経団連は、アイデアは自宅でも生まれるから、労働時間と非労働時間の区別があいまいだと主張しています。しかし、それならフレックスタイム制と成果主義で十分であり、それでは足りないという経団連の主張には根拠がありません。

 また、非効率でも残業をたくさんした労働者の方が、効率的に仕事を進める労働者より(残業代の分で)高賃金になり、優秀な労働者の意欲を削ぐと経団連は主張しています。しかし、それなら成果主義を導入すれば良く、企業家への規制を撤廃する必要はありません。こんな理由で残業規制を撤廃するのは、労働者全体の待遇切り下げです。なお、経団連の前述の提言によれば、成果主義を導入している企業は全体の55%です。

 また、「社会生活基本調査」によれば、2011年の国内の正規雇用の男性の週労働時間は53.1時間、女性は44.1時間でした。残業が前提の待遇です。だから、残業代ゼロ法案が通れば、必ず賃金は下がります。正社員の男性の場合、(ボーナスや手当を入れず)単純に計算して、およそ4分の1の減収になります。

 また、「子供もできたし、住宅ローンも抱えているから、できるだけ仕事を引き受けて残業代を稼ぐぞ」という小市民的なワークライフもできなくなります。少数の者がオーバーワークになるため、本当は良くないことですが、こういうひとが日本の現場を支えているのではないですか。日本は戦略不在現場頼みの国なのに、これでいいとは思えません。経団連が「これが経費節約になる。これで良いんだ」と考えているなら、タコ足食いのようなものでしょう。

 政府は成果に応じて賃金が決まるようにようになると宣伝していますが、現在の制度でも、企業は同じことができます。また、成果主義の導入は条文に書いてありません。企業に成果主義を義務付けるような制度ではありません。そもそも、前述の経団連の提言を読んでも、「労働時間、休憩、休日及び深夜業に係る規制の適用除外とする」とあるだけで、成果主義を導入するとは書かれていません。

 政府の今回の(これまでに同様の法案は何度も流れています)残業代ゼロ法案は年収1075万以上の専門職に対象が限定されています。しかし、前述の経団連の提言では、年収400万円以上を残業代ゼロとするとあります。だから、将来的には、対象が拡大されるでしょう。

 経団連には、熱心に働くアメリカのビジネスマンのように、日本の意欲のあるサラリーマンにも働いてもらいたいという主張もあります。しかし、こんなのは残業代を切り捨てるためのポジション・トーク(自分に都合よく流す偏った情報)です。日本とアメリカでは労使関係が違います。アメリカのビジネスマンは、一年限りの査定で毎年の年棒が決まります。メジャーリーガーの年棒のようなものです。日本のように年功給や過去の貢献度で決まることはありません。毎年、ゼロベースから査定されます(ただし、功労の概念が全くないわけがありません)。日本でなら、外資系がそれにあたります。しかし、こんな査定制度を持ちこまないで、残業規制だけ撤廃するなら、サービス残業させたい放題になるでしょう。

 企業家に良心があるのなら、勤労意欲があって働きたい、そうやって企業に貢献したい労働者に報いることを考えるべきでしょう。しかし、意欲ある労働者の上にあぐらをかいて、労働者全体の待遇を切り下げるのは、企業家の身勝手で政治を歪めていることに他なりません。
■メルマガを購読する


アフィリエイト広告
author:taiga, category:メルマガ, 12:27
comments(0), trackbacks(0), pookmark
日本人を分断した教育勅語(創発を生むミーム 2017/08/01号)
創発を生むミーム 2017/08/01号の「日本人を分断した教育勅語」の全文記事です。
 
2017/08/01号
日本人を分断した教育勅語

 教育勅語とは、戦前の日本の道徳教育に使われた、天皇から国民への訓示です。

 どのような道徳が説かれたかというと、このような文言があります。

”父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ”

 家族仲良くせよという訓示です。しかし、この家族は現代のわたしたちが考えるような家族ではありません。

 この当時の法で認められた家族制度に戸主というものがありました。家の中で一番偉い立場です。現在の核家族でなぞらえるなら、夫です。ただし、戸主は特権階級でした。戸主と跡取りは徴兵されませんでした(当時の日本は現在と違い徴兵は憲法で禁じられておらず、国民の義務でした)。家産の財産権は戸主にありました。離婚は戸主の特権でした。妻から離婚できませんし、財産分与もありませんでした(手切れ金の慣行ならありました)。子供の結婚も戸主が決めました。子供本人には決定権はありませんでした。現代なら結婚は結婚する当事者同士の問題でしたが、戦前は家と家が行うものでした。

 その戸主の中の戸主、それが天皇でした。教育勅語に則り、子供や妻が戸主に従うように、日本人全体は天皇に従わなければいけませんでした。天皇が国民を支配するための道徳でした。戦前の主権者は天皇でした。

 憲法で法の下の平等が認められた戦後の日本と違い(大日本帝国憲法に平等権はありませんでした)、戦前の日本は階級社会でした。同じ日本人同士に格差を設け、支配者である天皇に従わせようというのが、戦前の家族制度である戸主制度であり、その秩序を守らせるための道徳が教育勅語なのです。

 戦前の日本人が「私は天皇陛下の赤子(せきし。純真な子供)です」という時は、天皇を戸主にする拡大家族の一員という意味でした。

 昭和天皇への教育勅語の進講の草稿をまとめた「教育勅語」(杉浦重剛)にも、日本が天皇を君主とした一大家族制であることや、天皇が民を赤子とする温情を示すことなどが記述されています。

 また、教育勅語は戦争にも利用されました。教育勅語には、このよう文言があります。

”一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ”

 危機が起これば公(おおやけ)のために身をささげ、皇室の運命を助けるべし、という訓示です。

 前述の進講をまとめた「教育勅語」には、鎌倉時代の元寇にあたって、執権の北条時宗を中心に挙国一致で当たったことや、楠木正成が後醍醐天皇に忠節を尽くして最後まで戦ったことが触れられています。

 戦時中、日本兵たちが「靖国で会おう」(戦死すると靖国神社に神として祀られた)と声を掛け合ったり、命令に従って特攻しました。そのような滅私奉公の背景には、(こればっかりというわけではありませんが)教育勅語による道徳教育がありました。

(人権思想の下)国民ひとりひとりの幸福が重視される現在の日本と違い、戦前の日本で重視されたのは、国体(天皇を中心とした秩序)でした。国民は国体のために犠牲にならなければならなかったのです。この国体の中には、(天皇を支えるという名目で、実際には政務をとらなかった天皇から権限を授かった)特権階級である政治家や軍人や官僚やそれと結託した財界人などがいました。

 教育勅語のように道徳を国が説くとは素晴らしいという意見もあります。しかし、戸主に特権を認めているのだから、家族仲良くせよと国が道徳を説いても、戸主を中心にした家族関係に波風をたてるなと命じているようなものです。また、天皇が主権者なのだから、国が国民に国に尽くせと説いても、個人は国のために犠牲になれと説いていることになります。

 法に定められた国民が守らなければならない道徳なら、日本国憲法前文もそうです。憲法前文には、このような理由から憲法を定めるとあります。

”われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。”

 安倍首相は解釈改憲によって集団的自衛権の行使を認めました。これは宣戦布告することでもあります。日本政府が自分の意志によって戦争を起こせるようになったのです(それまでの個別自衛権の行使には敵国の攻撃が必要でした。日本政府の意志とは関係ありませんでした)。これは、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という憲法前文に反するでしょう(ただし、学説では前文違反を理由に国を相手取って裁判を起こせないとします。具体的な個別の条文で争えるからです)。政府に二度と戦争を起こさせない、それが日本国憲法前文です。もちろん、誰が起こさせないかというと、世の中の偉いひとではなく、国民です。

 また、憲法前文の大部分は、日本国民に課せられた道徳です。以下に引用します。 

”日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。”

 もちろん、教育勅語の背景にある時代の変化を踏まえて、教育勅語を再解釈することはできるでしょう。

 しかし、教育勅語を賛美する当の右派から、そのような声はありません。それどころか、「近代日本人の骨格」と手放しで賛美しています。そして、東日本大震災であらわになった日本人の礼儀正しさは教育勅語のおかげだと根拠もなく、教育勅語を持ち上げています。

 なぜ、根拠がないと言い切れるかというと、「リベラル派の結集軸」の記事でも触れましたが、東日本大震災では大規模な暴動が起こらなかったのに、戦前の関東大震災では朝鮮人狩りが行われ、多数の朝鮮人が殺されたからです。教育勅語によって道徳教育が行われていた戦前でこれなのだから、現在の日本人の礼儀正しさが教育勅語のおかげのはずはありません。

 実際、日本人の意識調査でも、戦後まもなくより現在の方が礼儀正しいという結果が出ています。統計数理研究所の2013年の国民性調査によれば、日本人は礼儀正しいと感じるひとが77%、勤勉だと感じるひとが77%、親切と感じるひとが71%です。一方、1958年の国民性調査でも、日本人は礼儀正しいと感じるひとは47%、勤勉と感じるひとは55%、親切と感じる人は50%でした。

 現在の日本人の礼儀正しさは現時点でのものなのです。

 戦前と社会が変わった現在、教育勅語をどうとられればいいのでしょうか。また、現代に即して、どのような再解釈ができるでしょうか。

 例えば、国のために尽くせ。国が天皇の持ち物だった戦前なら、国民は支配者である天皇に命をささげよという意味です。しかし、国民が主権者になった現代では、おかしな話です。国民が国民に尽くすのだからです。むしろ、公僕である政府が国民に尽くさねばなりません。あべこべです。有権者として政治に関わり、その自覚を持って社会に参画しましょう、ぐらいでしょう。

 もっとも「夫婦仲良く」などという道徳を国が説くため教育勅語を持ち出す必要がどこまであるのか疑問です。夫にしか離婚権がなかった戦前と違い、現在は両性に離婚権があるため、夫婦関係が破たんすれば結婚生活が続かないことは分かり切ったことだからです(全文は引用しませんが、教育勅語の内容はありきたりの道徳です)。

 ただ、いくら再解釈しても「(議会に諮らず)国が定めた道徳」「国民を分断して支配するための道徳」としての教育勅語は旧時代の遺物でしょう。現代の日本が夫婦平等・男女平等・国民主権の社会なのに対して、戦前の日本は、天皇主権・男尊女卑の社会でした。教育勅語はそんな旧時代の社会を守るための道徳なのです。

 教育勅語は軍国主義を招くから、戦後まもなく、衆参両議会決議によって排除失効が決議されました。衆議院の決議の一部を引用します。

”詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的國体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる”

   教育勅語が国体(天皇を中心とした秩序)を説いており、基本的人権を損なうという決議です

 ところが、文部科学省は教育勅語を教えてもよいと、なしくずしで解禁しました。しかし、戦後の国民主権・基本的人権の尊重を国是とする戦後の日本にとって、教育勅語は、特権階級が日本人を分断して支配する手段だったと、反面教師にするものであると押さえなければなりません。

 必要なのは、道徳教育ではなく、人権教育です。人権とは、誰もが生まれながらに持ち、侵されることのない権利です。その権利には、政治に参画する権利や、苦役を強制されない自由、教育を受ける権利、言論や出版の自由などがあります。

 政治家が民意を気にするのは、国民に参政権があって、だれに投票するのか個人の自由だからです。また、原発や安保法制に反対したり、そのためのデモができるのも、思想信条の自由、言論の自由、集会結社の自由があるからです。

 人権が認められると、個人の放逸さが野放しにされるという意見があります。権利の前にまず義務を果たせというものです。しかし、人権教育で克服できることです。なぜなら、日本国憲法は、権利の濫用や公共の福祉に反する(ひとに迷惑をかけないことです)権利の行使を認めておらず、権利は国民の不断の努力によって守らなければならないと義務付けているからです。そもそも、お互いの人権を尊重しないと、自分の人権もひとから尊重されません。
■メルマガを購読する


アフィリエイト広告
author:taiga, category:メルマガ, 12:48
comments(0), trackbacks(0), pookmark
足りないのはチェック・アンド・バランスだ(創発を生むミーム 2017/07/01号)
 創発を生むミーム 2017/07/01号の「足りないのはチェック・アンド・バランスだ」の全文記事です。
 
2017/07/01号
足りないのはチェック・アンド・バランスだ

 以前の記事に何度か、税金が社会還元されるように、権力も社会還元が必要だと主張しました。当時はうまく言葉に表せなかったので比喩に頼りましたが、この記事から言葉を変えることにしました。

 権力を社会還元するとは、権力を分散させて、チェック・アンド・バランスを図ることです。

 現在の政治の課題は、安部一強と説明される行政府の独走にチェック・アンド・バランスをかけることではないでしょうか。

 安部政権下で行政府の力は高まっています。国会では自民党が多数派であり、その党内でも金と人事権を握る首相の力は揺るぎません。集団自衛権の行使も、首相である安倍首相の一存で行使できるように法律が変わりました。特定秘密保護法による秘密指定も濫用の調査もその秘密を扱う官庁自身によって行われます。行政府がなにをしているのか、外から監視しづらくなりました。

 国会による首相や行政府へのチェックのために、国会証人喚問のハードルを下げることが挙げられます。現在は、証人喚問は国会の全会一致が原則であり、衆議院で数例、過半数の賛成による証人喚問があるだけです。与党が衆議院でも参議院でも過半数を占めているため、喚問が困難です。そのため、行政府の不正を国会が追及することができません。

 これを3分の1の賛成にまで引き下げるのはどうでしょうか。政権党とそれに同調する野党で両院の3分の1を占める現在でも、招致は難しいですが、ハードルは下がります。一方、この新ルールを国会による行政府や司法府の不正の追求のために限定すれば、ハードルを下げても、濫用をされて国会が混乱するほどではないでしょう(行政府と司法府が対象なのは三権分立だからです)。

 また、司法府による行政府や立法府へのチェック・アンド・バランスの強化として、最高裁判所に抽象的違憲審査制を認めるのはどうでしょうか。

 法律や政府の行動が憲法に違反していないのかを審査することを違憲立法審査権と呼び、最高裁判所にだけ認められます。日本の場合、具体的な事件があって、裁判で違憲かどうかが争られた時に限って、最高裁が判断を下します。付随的違憲審査制と呼びます。そのため、政府が集団的自衛権を認めても、違憲かどうかは最高裁はただちに判断を下せません。実際に、集団的自衛権によって自衛隊が派遣された時に、「これは違憲ではないか」と訴えがあって、最高裁が違憲かどうかを判断することになります。

 一方、具体的な事件がなくても、最高裁が違憲の判断をできるのを抽象的違憲審査制と呼びます。こちらは、自衛隊が派遣されなくても、立法された段階で違憲の訴えを起こすことができます。

 また、アメリカには、政治的に敏感な事件を扱う特別検察官の制度があります。司法長官の要請によって、政府外の弁護士が就任します。日常の業務において、監督されることがありません。現在、トランプ大統領の司法妨害の罪について、特別検察官が捜査中です。ただし、捜査対象となるのは司法違反であって、日本の森友加計問題のように、行政が歪められたという疑惑だけでは、捜査対象になりません。

 なお、アメリカには行政府へのチェック・アンド・バランスとして独立検察官の制度もありました。ウォーターゲート事件で当時のニクソン大統領が捜査妨害をしたことから作られた制度です。政権の不正を捜査します。ただし、クリントン大統領の時代のホワイトウォーター疑惑において、本来の任務からかけ離れた捜査をしたため、行き過ぎだと廃止されました。

 ところで、抵抗勢力をやっつけるために強い権力が必要だという意見があります。抵抗勢力をやっつける強い権力のためには、権力の分散もチェック・アンド・バランスも不要なのでしょうか。

 チェック・アンド・バランスが働いて抵抗勢力をがやっつけられた例として、埋蔵金問題や事業仕分けが挙げられます。

 特別会計も一般会計と同様に国会で審査され承認されないといけません。ところが、埋蔵金問題が取り上げられるまで、チェックが素通りでした。政治家の怠慢です。

 税金のムダ使いを指摘する役所が会計検査院です。かつて会計検査院は自分たちの維持費と同じ程度のムダ使いしか指摘せず(数百億円程度)、怠慢が指摘されました。当の会計検査院は、ムダ使いを指摘されなかった他の官庁にも手本を示していると言い訳していました。ところが埋蔵金問題が出て政権交代してからから、1年間で1兆円を超えるムダ使いを指摘するようになりました。

 民主党政権下の2009年度には約1兆7904億円のムダ使いが指摘され、安倍政権下の2015年にも約1兆2189億円のムダ使いが指摘されました。

 民主党への政権交代は族議員や官僚をやっつけるために国民が権力を与えたものだから、権力の分散によるチェック・アンド・バランスと言われて、違和感を覚えるかもしれません。しかし、それまで密室で行われていたものを公開の席上で行い、民間人に仕分けさせたことは、権力の分散によるチェック・アンド・バランスと言えるでしょう。

 埋蔵金の規模を誤ったり、仕分け人に権限がなかったり(強い権力を与える、もしくは権力の分散といっても元々権力がなかったのです)、財務省の準備の下で仕分けがされたので、結局、財務省の思うつぼだっという批判がありました。しかし、チェック・アンド・バランスで抵抗勢力はやっつけられるでしょう。それは、チェック・アンド・バランスの対象が現政権だけでなく、族議員や官庁も含まれるからです(もちろん国民が政権交代させたのに、成果はそれだけかという批判もあるでしょう)。

 また、南スーダンに派遣された自衛隊を取り巻く状況を戦闘と書かれた自衛隊の日報や森友学園とのやりとりを記した財務省の書類などが、安易に廃棄されています。

 チェック・アンド・バランスのためにも、公文書の保存と国民への公開が必要です。また、公文書もスキャンして、ネットで公開するべきでしょう。

 ネットに公開することによって「国家のシロアリ」(福場ひとみ)のような調査ジャーナリズムによる政府の監視が期待できます。著者はネットで公開された政府の文書を読んで、復興予算が目的外に流用されていることに気付きました。

 また、公文書の保存と公開は、国会に付属する機関が行うべきでしょう。国会が行政府を監督するためです。公文書の保存と公開を行政府自身が行うのでは、自分に甘くなり、不正の隠蔽ができるでしょう。チェック・アンド・バランスができません。加計問題でも、文部科学省の文書調査は、政府の判断で実施するのかどうか、結果を公表するのかどうかが決められました。  

 また、アメリカの公文書館は保存期限を切れた文書を廃棄するかどうかにあたって、パブリックコメントの機会を設け、国民の声を反映させています。森友学園問題の財務省のように、公文書が国民に無断で廃棄はされません。

 日本にあって歴史的に重要な(一般の文書は法律で定められた期限だけ役所で保管されます)公文書の収集保存している国立公文書館は内閣府が主務官庁の独立行政法人であり、内閣府からチェックされる組織です。だから、国立公文書館を国会に付属させることで立法府による行政府へのチェック・アンド・バランスを図れるでしょう。ただし、国立公文書館には、一般の行政文書を収集する権利はないため、権限の強化が前提の話です。

 安倍一強に象徴されるような行政府の強化について、小選挙区制のせいであり、これは日本にあわず、中選挙区制に戻すべきという意見もあります。しかし、行政府の独走が問題なら、立法府や司法府に行政府をチェックさせることも、対策になるでしょう。

 森友加計問題では、忖度が焦点になっています。強力な権力者の意向に反すれば、自分に不利になってしまいす。そんな状況では忖度も起こるでしょう。しかし、権力が分散され、チェック・アンド・バランスが働くなら、権力者が意のままに権力をふるった時だけでなく、忖度して便宜を図った自分が裁かれしまう。そんな緊張感があるなら、忖度も起こらないのではないでしょうか。
■メルマガを購読する


アフィリエイト広告
author:taiga, category:メルマガ, 10:55
comments(0), trackbacks(0), pookmark
いいね(b^-゚)(創発を生むミーム 2017/06/01号)
 創発を生むミーム 2017/06/01号の「いいね(b^-゚)」の全文記事です。
 
2017/06/01号
いいね(b^-゚)

 茂木健一郎氏がこんなツイートをしました。

”トランプやバノンは無茶苦茶だが、SNLを始めとするレイトショーでコメディアンたちが徹底抗戦し、視聴者数もうなぎのぼりの様子に胸が熱くなる。一方、日本のお笑い芸人たちは、上下関係や空気を読んだ笑いに終止し、権力者に批評の目を向けた笑いは皆無。後者が支配する地上波テレビはオワコン。”

 なにかの記事で、芸能界では政治の色がつくとスポンサーが離れるので、芸能人は政治的発言を控えるという文章を読んだことがあります。

 ただ、東国原英夫氏によると、「ビートたけしのTVタックル」のような討論番組でも、政治を揶揄する発言が大量にカットされるそうなので、メディア全体が委縮しているのかもしれません。

 しかし、よくできた政治風刺なら、政治への関心も高まり、理解も深まるでしょう。また、それだけに政治家にとっては恐ろしいのかもしれません。

「預言者ムハンマドの人格権、イスラム教徒の人格権」の記事でも書いたのですが、もし権力者への批判や風刺ができないのなら、言論の自由は死んだも同然です。風刺には、権力者を庶民のレベルにまで下げる力があるのですから。

 先の記事では、ISILの風刺を展開しましたが、今回の記事では日本の政界への風刺にチャレンジしました。良い風刺を知らなければ、それを大切にできないからです。この記事の論旨に見合うだけの風刺ができれば良いのですが。


     −−1−−

安倍首相:ご承知のように、我が国はわたくしにアンダーコントロールされています(*1)。

野党:アンダーコントロールとはなにごとだ。

安倍首相:アンダーコントロールとは、そもそも状況を把握しているという意味です(*2)。

野党:辞書を引いたのか!(*3)

安倍首相:わたくしが辞書を引かずに話すことは、政府答弁書からも明らかであり、適切なふるまいだと思います(*4)。


     −−2−− 

野党:ナチの手口だ!

安倍首相:ナチとは失礼な。

麻生財務相:ナチの手口を学ぶといっても、ナチの手口自体が古い。ヒットラーに独裁権を与えた全権委任法は国会決議。一方、集団的自衛権に政府のフリーハンドを与えた解釈改憲は閣議決定。どちらが巧妙かは言うまでもない(*5)。

安倍首相:多数決で決まったことなのだから、国民のみなさまには従ってもらわなければいけません。

安倍首相:特定秘密保護法も解釈改憲も安保法制も共謀罪も、わたくしの著書の「美しい国へ」に政権構想を加筆した「新しい国へ」には書かれていません。しかし、この国の最高責任者はわたくしなのだから、国民のみなさまには従ってもらわなければいけません。これこそ正しくナチの手口です(*6)。


     −−3−−

野党:森友加計問題で追加の証人喚問を認めないのはどうしてだ。

安倍首相:わたくしに恥をかかせるような証人喚問は認められません。

野党:数の暴力だ!

安倍首相:それが強い権力というものです。自民党の総裁任期の延長。これだって強い権力のためです。国民が望んでいることです。

麻生財務相:わたしが総裁だった時期に任期が延長されても、政権の延命は無理だったと思うのですが・・。

安倍首相:失言ですよ(笑)

麻生財務相:(笑)

菅官房長官:私は数じゃないと思いますよ(*7)。

安倍首相:失言ですよ(笑)

菅官房長官:いやあ(笑)


     −−4−−

稲田防衛相:南スーダンで戦闘があれば自衛隊を撤収させなければいけないので、憲法9条上の問題になる戦闘という言葉を使わず衝突と言いかえました(*8)。

金田法相:共謀罪でも、一般市民が捜査の対象になると認めるとテロ対策のためという首相答弁のうそがばれるので、本当かどうかは捜査機関が捜査したうえで判断することなのにだまっておいて、組織的犯罪集団と関わりがない一般人は捜査対象にならないと、仮定の話でごまかしました(*9)。

安倍首相:わたくしのやり口をよく勉強しているようですね。大変喜ばしい。わたくしも集団的自衛権の時には、日米の取り決めでは日本人の安全は日本国が負わなければいけないのを黙っておいて、米軍が子供を抱いた母親を守ってくれるかのように印象操作しました(*10)。

麻生財務相:ナチの手口だ(笑)

安倍首相:失言ですよ(笑)

麻生財務相:総理の追求はしんぞうに悪い(笑)

安倍首相:良い切り返しです(笑)


     −−5−−

安倍首相:憲法について議論するのは憲法審査会の場だと思う。国会に立っているのは自民党総裁ではなく、内閣総理大臣としての責任における答弁に限定している。

安倍首相:国民のみなさまに丁寧な説明をしていきますが、まずは読売新聞を読んでください(*11)。

匿名希望:権力を握っている我々が有利だ。後は言質をとられないように粛々と進めるのみだ(*12)。


     −−6−−

安倍首相:共謀罪はテロリストが対象です。

テロリスト:……。

金田法相:一般市民は共謀罪の対象になりません。

テロリスト:……。

滝本弁護士:万引きも共謀罪の対象です(*13)。

テロリスト:そんなの困るよ!!


     −−7−−

国民:原発再稼働反対!

国民:秘密保護法反対!

国民:安保法制反対!

国民:共謀罪反対!

国民:森友加計問題の真相を追求しろ!

国民:安倍首相に投票しま〜す。

安倍首相:政治家なんてか弱い存在です。主権者である国民のみなさまが投じた一票がなければ、権力の暴走なんて無理です。

麻生財務相:選挙の時だけ頭を下げる。ナチの手口だ(笑)

安倍首相:都合よく国民が勝手に勘違いしてくれるのだから、楽なものです(笑)

麻生財務相:違いない(笑)


     −−8−−

石破元大臣:言論テロには屈しない。デモなんてテロだ(*14)。

安倍首相:いいね(b^-゚)(*15)。


*1 アンダーコントロールは「うそ」−小泉元首相が特派員協会で原発批判
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2016-09-07/OD4KYH6TTDTB01

*2 安倍首相が語っていた「アンダーコントロール」は今…
http://best-times.jp/articles/-/3821

*3 首相答弁の「そもそも」、意味はそもそも? 国会で論戦
http://www.asahi.com/articles/ASK4M3RGSK4MUTFK008.html

*4 首相自ら辞書引かず
https://this.kiji.is/240685445695243767?c=39550187727945729

*5 【国会ハイライト】「ナチスの手口に学べ」麻生発言の真意を維新・柿沢氏が直接追及!「緊急事態条項はナチス独裁のプロセスにそっくりだ」?麻生氏「おもしろいですな」と余裕を演じつつ議論からは「逃走」!
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/287880

*6 【悲報】産経新聞、総理大臣が「この国の最高責任者」だと勘違いしていたことが判明
http://buzzap.jp/news/20160330-sankei-saikousekininsha/

*7 菅官房長官の「著名な憲法学者もたくさんいる」→「数じゃないと思いますよ」 手のひら返し発言の笑撃!
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/6275f9d2718d568459734f3c96dd9e63

*8 「殺傷行われても、『戦闘行為』は紛らわしい」 稲田氏
http://www.asahi.com/articles/ASK293F1FK29UTFK003.html

*9 共謀罪は一般市民は捜査の対象にならない? 金田法相のデタラメな答弁 共謀罪は私たちの監視こそが目的
http://blogos.com/article/219220/

*10 安倍政権「日本人が乗っていなくても米艦は守る」。そして、米艦は日本の民間人を乗せて助けたりしない。
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/604e9cb1563ea810ee7cb6620c30e710

*11 安倍首相、憲法改正の考え方問われ「読売新聞を読んで」
http://www.huffingtonpost.jp/2017/05/08/constituion_n_16484292.html

*12 出典なし。こんな政治家がいるのかどうか、言いそうなのかは誰なのかは、自分で想像してください。


*13 報道するラジオ 5月22日(月)放送分 「共謀罪〜本当にテロ対策になるのか??」
https://youtu.be/iGLj3fxkOTg?list=PLYpJvGKpl7tZUZ31i2E2ImVg0cl1D4kUI

*14 石破茂氏がブログの記述を撤回 「デモの参加者はテロリスト?」 特定秘密保護法案を危惧する声も
http://www.huffingtonpost.jp/2013/12/02/isihiba-blog_n_4370147.html

*15 「朝日新聞は言論テロ」Facebookの投稿に安倍首相が『いいね!』
http://www.huffingtonpost.jp/2017/05/22/abeshinzo-facebook_n_16760444.html

■メルマガを購読する
アフィリエイト広告


author:taiga, category:メルマガ, 18:39
comments(0), trackbacks(0), pookmark