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企業家を縛る規制を撤廃(創発を生むミーム 2017/09/01号)
 創発を生むミーム 2017/09/01号の「??企業家を縛る規制を撤廃」の全文記事です。
 
2017/09/01号
企業家を縛る規制を撤廃

 国があって企業家がおり労働者があります。

 労働者への待遇について、国が企業家を規制したものが労働基準法です。労働者を守るために、企業家はこの法律を守らなければいけません。そのひとつに労働時間の上限があります。企業家が労働者を働かせられる時間は週40時間までであり、それ以上働かせようとすれば、賃金を25%割り増しした残業代を支払わなければいけません。

 そして、企業家たちの主張をくみ取り国が進めているのが、この規制の撤廃です。それが「高度プロフェッショナル制度」(通称残業代ゼロ法案)です。

 企業家たちは勤労意欲のある労働者のために、残業規制をなくそうとポジション・トーク(自分の利益ための偏った主張)をしています。しかし、実際に規制が解除されるのは、労働者を縛る法律ではなく、企業家を縛る法律です。

 残業代ゼロ法案を主張する経団連の2005年の提言を読むと、頭脳労働が主流の現在のサラリーマンの働き方では、工場で管理されて働いていた1947年の労働基準法制定当時の働き方にはそぐわないとあります。しかし、それで改めるのが、企業家を縛っていた残業規制なのだから、自分に甘い意見です。

経団連の「ホワイトカラーエグゼンプションに関する提言」https://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2005/042/teigen.pdf

 経団連の提言にはフレックスタイム制でも「労働時間にとらわれない自由な働き方」には足りないとしています。それなら、何なら経団連は満足するかというと、残業規制が撤廃されたらです。企業家への規制が撤廃されたら満足するのです。

 また、管理監督者(いわゆる管理職)の規定について「深夜業の割増賃金の支払いが適用除外とされていないという点で、真の意味における労働時間の適用除外とはなっていない」と主張しています。どうあっても、経団連は残業代を払いたくないのでしょう。

 経団連は残業規制撤廃について「働き方の選択肢を増やし、労働者の勤労意欲に十分に応えつつ、生産性を向上させ、我が国産業の国際競争力の強化にも繋がるホワイトカラーに適した労働時間制度」が必要だと主張しています。

 経団連は、アイデアは自宅でも生まれるから、労働時間と非労働時間の区別があいまいだと主張しています。しかし、それならフレックスタイム制と成果主義で十分であり、それでは足りないという経団連の主張には根拠がありません。

 また、非効率でも残業をたくさんした労働者の方が、効率的に仕事を進める労働者より(残業代の分で)高賃金になり、優秀な労働者の意欲を削ぐと経団連は主張しています。しかし、それなら成果主義を導入すれば良く、企業家への規制を撤廃する必要はありません。こんな理由で残業規制を撤廃するのは、労働者全体の待遇切り下げです。なお、経団連の前述の提言によれば、成果主義を導入している企業は全体の55%です。

 また、「社会生活基本調査」によれば、2011年の国内の正規雇用の男性の週労働時間は53.1時間、女性は44.1時間でした。残業が前提の待遇です。だから、残業代ゼロ法案が通れば、必ず賃金は下がります。正社員の男性の場合、(ボーナスや手当を入れず)単純に計算して、およそ4分の1の減収になります。

 また、「子供もできたし、住宅ローンも抱えているから、できるだけ仕事を引き受けて残業代を稼ぐぞ」という小市民的なワークライフもできなくなります。少数の者がオーバーワークになるため、本当は良くないことですが、こういうひとが日本の現場を支えているのではないですか。日本は戦略不在現場頼みの国なのに、これでいいとは思えません。経団連が「これが経費節約になる。これで良いんだ」と考えているなら、タコ足食いのようなものでしょう。

 政府は成果に応じて賃金が決まるようにようになると宣伝していますが、現在の制度でも、企業は同じことができます。また、成果主義の導入は条文に書いてありません。企業に成果主義を義務付けるような制度ではありません。そもそも、前述の経団連の提言を読んでも、「労働時間、休憩、休日及び深夜業に係る規制の適用除外とする」とあるだけで、成果主義を導入するとは書かれていません。

 政府の今回の(これまでに同様の法案は何度も流れています)残業代ゼロ法案は年収1075万以上の専門職に対象が限定されています。しかし、前述の経団連の提言では、年収400万円以上を残業代ゼロとするとあります。だから、将来的には、対象が拡大されるでしょう。

 経団連には、熱心に働くアメリカのビジネスマンのように、日本の意欲のあるサラリーマンにも働いてもらいたいという主張もあります。しかし、こんなのは残業代を切り捨てるためのポジション・トーク(自分に都合よく流す偏った情報)です。日本とアメリカでは労使関係が違います。アメリカのビジネスマンは、一年限りの査定で毎年の年棒が決まります。メジャーリーガーの年棒のようなものです。日本のように年功給や過去の貢献度で決まることはありません。毎年、ゼロベースから査定されます(ただし、功労の概念が全くないわけがありません)。日本でなら、外資系がそれにあたります。しかし、こんな査定制度を持ちこまないで、残業規制だけ撤廃するなら、サービス残業させたい放題になるでしょう。

 企業家に良心があるのなら、勤労意欲があって働きたい、そうやって企業に貢献したい労働者に報いることを考えるべきでしょう。しかし、意欲ある労働者の上にあぐらをかいて、労働者全体の待遇を切り下げるのは、企業家の身勝手で政治を歪めていることに他なりません。
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日本人を分断した教育勅語(創発を生むミーム 2017/08/01号)
創発を生むミーム 2017/08/01号の「日本人を分断した教育勅語」の全文記事です。
 
2017/08/01号
日本人を分断した教育勅語

 教育勅語とは、戦前の日本の道徳教育に使われた、天皇から国民への訓示です。

 どのような道徳が説かれたかというと、このような文言があります。

”父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ”

 家族仲良くせよという訓示です。しかし、この家族は現代のわたしたちが考えるような家族ではありません。

 この当時の法で認められた家族制度に戸主というものがありました。家の中で一番偉い立場です。現在の核家族でなぞらえるなら、夫です。ただし、戸主は特権階級でした。戸主と跡取りは徴兵されませんでした(当時の日本は現在と違い徴兵は憲法で禁じられておらず、国民の義務でした)。家産の財産権は戸主にありました。離婚は戸主の特権でした。妻から離婚できませんし、財産分与もありませんでした(手切れ金の慣行ならありました)。子供の結婚も戸主が決めました。子供本人には決定権はありませんでした。現代なら結婚は結婚する当事者同士の問題でしたが、戦前は家と家が行うものでした。

 その戸主の中の戸主、それが天皇でした。教育勅語に則り、子供や妻が戸主に従うように、日本人全体は天皇に従わなければいけませんでした。天皇が国民を支配するための道徳でした。戦前の主権者は天皇でした。

 憲法で法の下の平等が認められた戦後の日本と違い(大日本帝国憲法に平等権はありませんでした)、戦前の日本は階級社会でした。同じ日本人同士に格差を設け、支配者である天皇に従わせようというのが、戦前の家族制度である戸主制度であり、その秩序を守らせるための道徳が教育勅語なのです。

 戦前の日本人が「私は天皇陛下の赤子(せきし。純真な子供)です」という時は、天皇を戸主にする拡大家族の一員という意味でした。

 昭和天皇への教育勅語の進講の草稿をまとめた「教育勅語」(杉浦重剛)にも、日本が天皇を君主とした一大家族制であることや、天皇が民を赤子とする温情を示すことなどが記述されています。

 また、教育勅語は戦争にも利用されました。教育勅語には、このよう文言があります。

”一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ”

 危機が起これば公(おおやけ)のために身をささげ、皇室の運命を助けるべし、という訓示です。

 前述の進講をまとめた「教育勅語」には、鎌倉時代の元寇にあたって、執権の北条時宗を中心に挙国一致で当たったことや、楠木正成が後醍醐天皇に忠節を尽くして最後まで戦ったことが触れられています。

 戦時中、日本兵たちが「靖国で会おう」(戦死すると靖国神社に神として祀られた)と声を掛け合ったり、命令に従って特攻しました。そのような滅私奉公の背景には、(こればっかりというわけではありませんが)教育勅語による道徳教育がありました。

(人権思想の下)国民ひとりひとりの幸福が重視される現在の日本と違い、戦前の日本で重視されたのは、国体(天皇を中心とした秩序)でした。国民は国体のために犠牲にならなければならなかったのです。この国体の中には、(天皇を支えるという名目で、実際には政務をとらなかった天皇から権限を授かった)特権階級である政治家や軍人や官僚やそれと結託した財界人などがいました。

 教育勅語のように道徳を国が説くとは素晴らしいという意見もあります。しかし、戸主に特権を認めているのだから、家族仲良くせよと国が道徳を説いても、戸主を中心にした家族関係に波風をたてるなと命じているようなものです。また、天皇が主権者なのだから、国が国民に国に尽くせと説いても、個人は国のために犠牲になれと説いていることになります。

 法に定められた国民が守らなければならない道徳なら、日本国憲法前文もそうです。憲法前文には、このような理由から憲法を定めるとあります。

”われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。”

 安倍首相は解釈改憲によって集団的自衛権の行使を認めました。これは宣戦布告することでもあります。日本政府が自分の意志によって戦争を起こせるようになったのです(それまでの個別自衛権の行使には敵国の攻撃が必要でした。日本政府の意志とは関係ありませんでした)。これは、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という憲法前文に反するでしょう(ただし、学説では前文違反を理由に国を相手取って裁判を起こせないとします。具体的な個別の条文で争えるからです)。政府に二度と戦争を起こさせない、それが日本国憲法前文です。もちろん、誰が起こさせないかというと、世の中の偉いひとではなく、国民です。

 また、憲法前文の大部分は、日本国民に課せられた道徳です。以下に引用します。 

”日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。”

 もちろん、教育勅語の背景にある時代の変化を踏まえて、教育勅語を再解釈することはできるでしょう。

 しかし、教育勅語を賛美する当の右派から、そのような声はありません。それどころか、「近代日本人の骨格」と手放しで賛美しています。そして、東日本大震災であらわになった日本人の礼儀正しさは教育勅語のおかげだと根拠もなく、教育勅語を持ち上げています。

 なぜ、根拠がないと言い切れるかというと、「リベラル派の結集軸」の記事でも触れましたが、東日本大震災では大規模な暴動が起こらなかったのに、戦前の関東大震災では朝鮮人狩りが行われ、多数の朝鮮人が殺されたからです。教育勅語によって道徳教育が行われていた戦前でこれなのだから、現在の日本人の礼儀正しさが教育勅語のおかげのはずはありません。

 実際、日本人の意識調査でも、戦後まもなくより現在の方が礼儀正しいという結果が出ています。統計数理研究所の2013年の国民性調査によれば、日本人は礼儀正しいと感じるひとが77%、勤勉だと感じるひとが77%、親切と感じるひとが71%です。一方、1958年の国民性調査でも、日本人は礼儀正しいと感じるひとは47%、勤勉と感じるひとは55%、親切と感じる人は50%でした。

 現在の日本人の礼儀正しさは現時点でのものなのです。

 戦前と社会が変わった現在、教育勅語をどうとられればいいのでしょうか。また、現代に即して、どのような再解釈ができるでしょうか。

 例えば、国のために尽くせ。国が天皇の持ち物だった戦前なら、国民は支配者である天皇に命をささげよという意味です。しかし、国民が主権者になった現代では、おかしな話です。国民が国民に尽くすのだからです。むしろ、公僕である政府が国民に尽くさねばなりません。あべこべです。有権者として政治に関わり、その自覚を持って社会に参画しましょう、ぐらいでしょう。

 もっとも「夫婦仲良く」などという道徳を国が説くため教育勅語を持ち出す必要がどこまであるのか疑問です。夫にしか離婚権がなかった戦前と違い、現在は両性に離婚権があるため、夫婦関係が破たんすれば結婚生活が続かないことは分かり切ったことだからです(全文は引用しませんが、教育勅語の内容はありきたりの道徳です)。

 ただ、いくら再解釈しても「(議会に諮らず)国が定めた道徳」「国民を分断して支配するための道徳」としての教育勅語は旧時代の遺物でしょう。現代の日本が夫婦平等・男女平等・国民主権の社会なのに対して、戦前の日本は、天皇主権・男尊女卑の社会でした。教育勅語はそんな旧時代の社会を守るための道徳なのです。

 教育勅語は軍国主義を招くから、戦後まもなく、衆参両議会決議によって排除失効が決議されました。衆議院の決議の一部を引用します。

”詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的國体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる”

   教育勅語が国体(天皇を中心とした秩序)を説いており、基本的人権を損なうという決議です

 ところが、文部科学省は教育勅語を教えてもよいと、なしくずしで解禁しました。しかし、戦後の国民主権・基本的人権の尊重を国是とする戦後の日本にとって、教育勅語は、特権階級が日本人を分断して支配する手段だったと、反面教師にするものであると押さえなければなりません。

 必要なのは、道徳教育ではなく、人権教育です。人権とは、誰もが生まれながらに持ち、侵されることのない権利です。その権利には、政治に参画する権利や、苦役を強制されない自由、教育を受ける権利、言論や出版の自由などがあります。

 政治家が民意を気にするのは、国民に参政権があって、だれに投票するのか個人の自由だからです。また、原発や安保法制に反対したり、そのためのデモができるのも、思想信条の自由、言論の自由、集会結社の自由があるからです。

 人権が認められると、個人の放逸さが野放しにされるという意見があります。権利の前にまず義務を果たせというものです。しかし、人権教育で克服できることです。なぜなら、日本国憲法は、権利の濫用や公共の福祉に反する(ひとに迷惑をかけないことです)権利の行使を認めておらず、権利は国民の不断の努力によって守らなければならないと義務付けているからです。そもそも、お互いの人権を尊重しないと、自分の人権もひとから尊重されません。
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足りないのはチェック・アンド・バランスだ(創発を生むミーム 2017/07/01号)
 創発を生むミーム 2017/07/01号の「足りないのはチェック・アンド・バランスだ」の全文記事です。
 
2017/07/01号
足りないのはチェック・アンド・バランスだ

 以前の記事に何度か、税金が社会還元されるように、権力も社会還元が必要だと主張しました。当時はうまく言葉に表せなかったので比喩に頼りましたが、この記事から言葉を変えることにしました。

 権力を社会還元するとは、権力を分散させて、チェック・アンド・バランスを図ることです。

 現在の政治の課題は、安部一強と説明される行政府の独走にチェック・アンド・バランスをかけることではないでしょうか。

 安部政権下で行政府の力は高まっています。国会では自民党が多数派であり、その党内でも金と人事権を握る首相の力は揺るぎません。集団自衛権の行使も、首相である安倍首相の一存で行使できるように法律が変わりました。特定秘密保護法による秘密指定も濫用の調査もその秘密を扱う官庁自身によって行われます。行政府がなにをしているのか、外から監視しづらくなりました。

 国会による首相や行政府へのチェックのために、国会証人喚問のハードルを下げることが挙げられます。現在は、証人喚問は国会の全会一致が原則であり、衆議院で数例、過半数の賛成による証人喚問があるだけです。与党が衆議院でも参議院でも過半数を占めているため、喚問が困難です。そのため、行政府の不正を国会が追及することができません。

 これを3分の1の賛成にまで引き下げるのはどうでしょうか。政権党とそれに同調する野党で両院の3分の1を占める現在でも、招致は難しいですが、ハードルは下がります。一方、この新ルールを国会による行政府や司法府の不正の追求のために限定すれば、ハードルを下げても、濫用をされて国会が混乱するほどではないでしょう(行政府と司法府が対象なのは三権分立だからです)。

 また、司法府による行政府や立法府へのチェック・アンド・バランスの強化として、最高裁判所に抽象的違憲審査制を認めるのはどうでしょうか。

 法律や政府の行動が憲法に違反していないのかを審査することを違憲立法審査権と呼び、最高裁判所にだけ認められます。日本の場合、具体的な事件があって、裁判で違憲かどうかが争られた時に限って、最高裁が判断を下します。付随的違憲審査制と呼びます。そのため、政府が集団的自衛権を認めても、違憲かどうかは最高裁はただちに判断を下せません。実際に、集団的自衛権によって自衛隊が派遣された時に、「これは違憲ではないか」と訴えがあって、最高裁が違憲かどうかを判断することになります。

 一方、具体的な事件がなくても、最高裁が違憲の判断をできるのを抽象的違憲審査制と呼びます。こちらは、自衛隊が派遣されなくても、立法された段階で違憲の訴えを起こすことができます。

 また、アメリカには、政治的に敏感な事件を扱う特別検察官の制度があります。司法長官の要請によって、政府外の弁護士が就任します。日常の業務において、監督されることがありません。現在、トランプ大統領の司法妨害の罪について、特別検察官が捜査中です。ただし、捜査対象となるのは司法違反であって、日本の森友加計問題のように、行政が歪められたという疑惑だけでは、捜査対象になりません。

 なお、アメリカには行政府へのチェック・アンド・バランスとして独立検察官の制度もありました。ウォーターゲート事件で当時のニクソン大統領が捜査妨害をしたことから作られた制度です。政権の不正を捜査します。ただし、クリントン大統領の時代のホワイトウォーター疑惑において、本来の任務からかけ離れた捜査をしたため、行き過ぎだと廃止されました。

 ところで、抵抗勢力をやっつけるために強い権力が必要だという意見があります。抵抗勢力をやっつける強い権力のためには、権力の分散もチェック・アンド・バランスも不要なのでしょうか。

 チェック・アンド・バランスが働いて抵抗勢力をがやっつけられた例として、埋蔵金問題や事業仕分けが挙げられます。

 特別会計も一般会計と同様に国会で審査され承認されないといけません。ところが、埋蔵金問題が取り上げられるまで、チェックが素通りでした。政治家の怠慢です。

 税金のムダ使いを指摘する役所が会計検査院です。かつて会計検査院は自分たちの維持費と同じ程度のムダ使いしか指摘せず(数百億円程度)、怠慢が指摘されました。当の会計検査院は、ムダ使いを指摘されなかった他の官庁にも手本を示していると言い訳していました。ところが埋蔵金問題が出て政権交代してからから、1年間で1兆円を超えるムダ使いを指摘するようになりました。

 民主党政権下の2009年度には約1兆7904億円のムダ使いが指摘され、安倍政権下の2015年にも約1兆2189億円のムダ使いが指摘されました。

 民主党への政権交代は族議員や官僚をやっつけるために国民が権力を与えたものだから、権力の分散によるチェック・アンド・バランスと言われて、違和感を覚えるかもしれません。しかし、それまで密室で行われていたものを公開の席上で行い、民間人に仕分けさせたことは、権力の分散によるチェック・アンド・バランスと言えるでしょう。

 埋蔵金の規模を誤ったり、仕分け人に権限がなかったり(強い権力を与える、もしくは権力の分散といっても元々権力がなかったのです)、財務省の準備の下で仕分けがされたので、結局、財務省の思うつぼだっという批判がありました。しかし、チェック・アンド・バランスで抵抗勢力はやっつけられるでしょう。それは、チェック・アンド・バランスの対象が現政権だけでなく、族議員や官庁も含まれるからです(もちろん国民が政権交代させたのに、成果はそれだけかという批判もあるでしょう)。

 また、南スーダンに派遣された自衛隊を取り巻く状況を戦闘と書かれた自衛隊の日報や森友学園とのやりとりを記した財務省の書類などが、安易に廃棄されています。

 チェック・アンド・バランスのためにも、公文書の保存と国民への公開が必要です。また、公文書もスキャンして、ネットで公開するべきでしょう。

 ネットに公開することによって「国家のシロアリ」(福場ひとみ)のような調査ジャーナリズムによる政府の監視が期待できます。著者はネットで公開された政府の文書を読んで、復興予算が目的外に流用されていることに気付きました。

 また、公文書の保存と公開は、国会に付属する機関が行うべきでしょう。国会が行政府を監督するためです。公文書の保存と公開を行政府自身が行うのでは、自分に甘くなり、不正の隠蔽ができるでしょう。チェック・アンド・バランスができません。加計問題でも、文部科学省の文書調査は、政府の判断で実施するのかどうか、結果を公表するのかどうかが決められました。  

 また、アメリカの公文書館は保存期限を切れた文書を廃棄するかどうかにあたって、パブリックコメントの機会を設け、国民の声を反映させています。森友学園問題の財務省のように、公文書が国民に無断で廃棄はされません。

 日本にあって歴史的に重要な(一般の文書は法律で定められた期限だけ役所で保管されます)公文書の収集保存している国立公文書館は内閣府が主務官庁の独立行政法人であり、内閣府からチェックされる組織です。だから、国立公文書館を国会に付属させることで立法府による行政府へのチェック・アンド・バランスを図れるでしょう。ただし、国立公文書館には、一般の行政文書を収集する権利はないため、権限の強化が前提の話です。

 安倍一強に象徴されるような行政府の強化について、小選挙区制のせいであり、これは日本にあわず、中選挙区制に戻すべきという意見もあります。しかし、行政府の独走が問題なら、立法府や司法府に行政府をチェックさせることも、対策になるでしょう。

 森友加計問題では、忖度が焦点になっています。強力な権力者の意向に反すれば、自分に不利になってしまいす。そんな状況では忖度も起こるでしょう。しかし、権力が分散され、チェック・アンド・バランスが働くなら、権力者が意のままに権力をふるった時だけでなく、忖度して便宜を図った自分が裁かれしまう。そんな緊張感があるなら、忖度も起こらないのではないでしょうか。
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2017/06/01号
いいね(b^-゚)

 茂木健一郎氏がこんなツイートをしました。

”トランプやバノンは無茶苦茶だが、SNLを始めとするレイトショーでコメディアンたちが徹底抗戦し、視聴者数もうなぎのぼりの様子に胸が熱くなる。一方、日本のお笑い芸人たちは、上下関係や空気を読んだ笑いに終止し、権力者に批評の目を向けた笑いは皆無。後者が支配する地上波テレビはオワコン。”

 なにかの記事で、芸能界では政治の色がつくとスポンサーが離れるので、芸能人は政治的発言を控えるという文章を読んだことがあります。

 ただ、東国原英夫氏によると、「ビートたけしのTVタックル」のような討論番組でも、政治を揶揄する発言が大量にカットされるそうなので、メディア全体が委縮しているのかもしれません。

 しかし、よくできた政治風刺なら、政治への関心も高まり、理解も深まるでしょう。また、それだけに政治家にとっては恐ろしいのかもしれません。

「預言者ムハンマドの人格権、イスラム教徒の人格権」の記事でも書いたのですが、もし権力者への批判や風刺ができないのなら、言論の自由は死んだも同然です。風刺には、権力者を庶民のレベルにまで下げる力があるのですから。

 先の記事では、ISILの風刺を展開しましたが、今回の記事では日本の政界への風刺にチャレンジしました。良い風刺を知らなければ、それを大切にできないからです。この記事の論旨に見合うだけの風刺ができれば良いのですが。


     −−1−−

安倍首相:ご承知のように、我が国はわたくしにアンダーコントロールされています(*1)。

野党:アンダーコントロールとはなにごとだ。

安倍首相:アンダーコントロールとは、そもそも状況を把握しているという意味です(*2)。

野党:辞書を引いたのか!(*3)

安倍首相:わたくしが辞書を引かずに話すことは、政府答弁書からも明らかであり、適切なふるまいだと思います(*4)。


     −−2−− 

野党:ナチの手口だ!

安倍首相:ナチとは失礼な。

麻生財務相:ナチの手口を学ぶといっても、ナチの手口自体が古い。ヒットラーに独裁権を与えた全権委任法は国会決議。一方、集団的自衛権に政府のフリーハンドを与えた解釈改憲は閣議決定。どちらが巧妙かは言うまでもない(*5)。

安倍首相:多数決で決まったことなのだから、国民のみなさまには従ってもらわなければいけません。

安倍首相:特定秘密保護法も解釈改憲も安保法制も共謀罪も、わたくしの著書の「美しい国へ」に政権構想を加筆した「新しい国へ」には書かれていません。しかし、この国の最高責任者はわたくしなのだから、国民のみなさまには従ってもらわなければいけません。これこそ正しくナチの手口です(*6)。


     −−3−−

野党:森友加計問題で追加の証人喚問を認めないのはどうしてだ。

安倍首相:わたくしに恥をかかせるような証人喚問は認められません。

野党:数の暴力だ!

安倍首相:それが強い権力というものです。自民党の総裁任期の延長。これだって強い権力のためです。国民が望んでいることです。

麻生財務相:わたしが総裁だった時期に任期が延長されても、政権の延命は無理だったと思うのですが・・。

安倍首相:失言ですよ(笑)

麻生財務相:(笑)

菅官房長官:私は数じゃないと思いますよ(*7)。

安倍首相:失言ですよ(笑)

菅官房長官:いやあ(笑)


     −−4−−

稲田防衛相:南スーダンで戦闘があれば自衛隊を撤収させなければいけないので、憲法9条上の問題になる戦闘という言葉を使わず衝突と言いかえました(*8)。

金田法相:共謀罪でも、一般市民が捜査の対象になると認めるとテロ対策のためという首相答弁のうそがばれるので、本当かどうかは捜査機関が捜査したうえで判断することなのにだまっておいて、組織的犯罪集団と関わりがない一般人は捜査対象にならないと、仮定の話でごまかしました(*9)。

安倍首相:わたくしのやり口をよく勉強しているようですね。大変喜ばしい。わたくしも集団的自衛権の時には、日米の取り決めでは日本人の安全は日本国が負わなければいけないのを黙っておいて、米軍が子供を抱いた母親を守ってくれるかのように印象操作しました(*10)。

麻生財務相:ナチの手口だ(笑)

安倍首相:失言ですよ(笑)

麻生財務相:総理の追求はしんぞうに悪い(笑)

安倍首相:良い切り返しです(笑)


     −−5−−

安倍首相:憲法について議論するのは憲法審査会の場だと思う。国会に立っているのは自民党総裁ではなく、内閣総理大臣としての責任における答弁に限定している。

安倍首相:国民のみなさまに丁寧な説明をしていきますが、まずは読売新聞を読んでください(*11)。

匿名希望:権力を握っている我々が有利だ。後は言質をとられないように粛々と進めるのみだ(*12)。


     −−6−−

安倍首相:共謀罪はテロリストが対象です。

テロリスト:……。

金田法相:一般市民は共謀罪の対象になりません。

テロリスト:……。

滝本弁護士:万引きも共謀罪の対象です(*13)。

テロリスト:そんなの困るよ!!


     −−7−−

国民:原発再稼働反対!

国民:秘密保護法反対!

国民:安保法制反対!

国民:共謀罪反対!

国民:森友加計問題の真相を追求しろ!

国民:安倍首相に投票しま〜す。

安倍首相:政治家なんてか弱い存在です。主権者である国民のみなさまが投じた一票がなければ、権力の暴走なんて無理です。

麻生財務相:選挙の時だけ頭を下げる。ナチの手口だ(笑)

安倍首相:都合よく国民が勝手に勘違いしてくれるのだから、楽なものです(笑)

麻生財務相:違いない(笑)


     −−8−−

石破元大臣:言論テロには屈しない。デモなんてテロだ(*14)。

安倍首相:いいね(b^-゚)(*15)。


*1 アンダーコントロールは「うそ」−小泉元首相が特派員協会で原発批判
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2016-09-07/OD4KYH6TTDTB01

*2 安倍首相が語っていた「アンダーコントロール」は今…
http://best-times.jp/articles/-/3821

*3 首相答弁の「そもそも」、意味はそもそも? 国会で論戦
http://www.asahi.com/articles/ASK4M3RGSK4MUTFK008.html

*4 首相自ら辞書引かず
https://this.kiji.is/240685445695243767?c=39550187727945729

*5 【国会ハイライト】「ナチスの手口に学べ」麻生発言の真意を維新・柿沢氏が直接追及!「緊急事態条項はナチス独裁のプロセスにそっくりだ」?麻生氏「おもしろいですな」と余裕を演じつつ議論からは「逃走」!
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/287880

*6 【悲報】産経新聞、総理大臣が「この国の最高責任者」だと勘違いしていたことが判明
http://buzzap.jp/news/20160330-sankei-saikousekininsha/

*7 菅官房長官の「著名な憲法学者もたくさんいる」→「数じゃないと思いますよ」 手のひら返し発言の笑撃!
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/6275f9d2718d568459734f3c96dd9e63

*8 「殺傷行われても、『戦闘行為』は紛らわしい」 稲田氏
http://www.asahi.com/articles/ASK293F1FK29UTFK003.html

*9 共謀罪は一般市民は捜査の対象にならない? 金田法相のデタラメな答弁 共謀罪は私たちの監視こそが目的
http://blogos.com/article/219220/

*10 安倍政権「日本人が乗っていなくても米艦は守る」。そして、米艦は日本の民間人を乗せて助けたりしない。
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/604e9cb1563ea810ee7cb6620c30e710

*11 安倍首相、憲法改正の考え方問われ「読売新聞を読んで」
http://www.huffingtonpost.jp/2017/05/08/constituion_n_16484292.html

*12 出典なし。こんな政治家がいるのかどうか、言いそうなのかは誰なのかは、自分で想像してください。


*13 報道するラジオ 5月22日(月)放送分 「共謀罪〜本当にテロ対策になるのか??」
https://youtu.be/iGLj3fxkOTg?list=PLYpJvGKpl7tZUZ31i2E2ImVg0cl1D4kUI

*14 石破茂氏がブログの記述を撤回 「デモの参加者はテロリスト?」 特定秘密保護法案を危惧する声も
http://www.huffingtonpost.jp/2013/12/02/isihiba-blog_n_4370147.html

*15 「朝日新聞は言論テロ」Facebookの投稿に安倍首相が『いいね!』
http://www.huffingtonpost.jp/2017/05/22/abeshinzo-facebook_n_16760444.html

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愚か者になれ、進んで失敗しろ(創発を生むミーム 2017/05/01号)
 創発を生むミーム 2017/07/01号の「愚か者になれ、進んで失敗しろ」の全文記事です。
 
2017/07/01号
愚か者になれ、進んで失敗しろ

 イノベーションの普及を研究した「技術革新の普及過程」(E.ロジャース)によれば、イノベーションは逸脱から生まれます。逸脱とは社会規範からの離反です。逆に、イノベーションを採用しないひととは、伝統的なアイデアに忠実なひとです。

 社会規範とそれからの逸脱の例として、「技術革新の普及過程」ではペルーの田舎町ロス・モリノスで行われた衛生のための飲料水の煮沸運動とその失敗が挙げられています。日本では不衛生な水を煮沸すると聞いても、不自然には思われません。しかし、同地では温めた水を飲むのは病人でした。そのため、健康な自分が煮沸した水を飲む必要がないと受け止められたのでしょう。(上水道がなく)汚染した水が飲用水に使われているにも関わらず、水を煮沸する習慣は広まりませんでした。社会規範がイノベーションの普及を妨げた例です。

 イノベーションに利益があっても、逸脱はこれまでのやり方から離反することです。それでは、逸脱なんかをしてまで、どうしてイノベーションを生み出さなければいけないのでしょうか。それより、みんなで一致団結して同じ定型化されたルーチンワークを熱心にくり返した方が効果的ではないでしょうか。

 それは、うっかり間違えて世間と違う方法を取ったら、より能率的だったということが起りえるからです。「働かないアリに意義がある」(長谷川英祐)にこんな観察が紹介されています。アリはエサを見つけると巣に持ち帰りながら、フェロモンを地面に付けます。それを目印に他のアリがエサを持って帰るのです。ところが、ここでうっかり間違えて、違うルートで巣まで帰るアリが出てきます。ところが、そのルートの方が近道なことがあるのです。こうして、より能率的なルートでエサを巣までアリたちは持ち帰るのです。

 実際、失敗から生まれたイノベーションはいくつもあります。ポストイットは粘着力の弱い接着剤という失敗作から考案されました。抗生物質は、寒天培地にうっかりカビを繁殖させた失敗から発見されました。

 アップルの故スティーブ・ジョブズも「愚か者になれ」と言っています。みんなと同じことをすれば能率的なはずなのに、わざわざ失敗する人は、まさに愚か者でしょう。

 さて、イノベーションを進めるためには規範から逸脱した失敗を許容できるふところの深い社会でなければいけません。しかし、日本は減点主義の社会です。

 人間には知能があって、将来を予測してふるまうことができます。ここで知能を働かせて、減点主義のまま前例のないことをして失敗するような社会を想像してみてください。

 失敗したひとが次々と落伍して、要領よく立ち回ったひとが残る、そんな社会ではないでしょうか。

 逸脱を許容するためには、失敗を許容できる社会でないといけません。これがアメリカなら「セカンドチャンスがある」となるでしょう。

 アメリカでは管理職に就くためには学位が必要であり、(失敗したベンチャー企業に就職して)最初のキャリアがふいになっても、大学に入り直して学位をとれば、失敗を取り返すことができます。オバマ前大統領もアメリカがセカンドチャンスの国でなければ、今の自分はなかったということを在任中に話していました。

アメリカというと「成功か死か」のお国柄ですが、失敗したひとのための受け皿が社会にあるのです。

 しかし、日本はセカンドチャンスの国でありません。

 逸脱と失敗を許容するためには、(定型化されたルーティンワークを熱心にくり返すことを否定するわけではないけれども)前例のないことをして少々の失敗(少々とは、失敗しても取り返せる程度)を受け止められる社会でないといけないでしょう。

 また、日本では和を乱してはいけないという社会規範が根強くあります。しかし、イノベーションを生み出すことは社会規範からの逸脱に他なりません。「右にならえ」の社会ではイノベーションは生まれません。ひとに迷惑をかけなければ、個人の裁量と自由が許される社会にならなければいけないでしょう。他人と違うことが許される社会でないと、逸脱できないからです。

 それを社会規範に求めれば、個人主義になります。集団の和より個人の価値観を重んじる思想だからです。個人主義は和を乱したり、利己主義のように受け止められています。自分さえ良ければいいという考えが利己主義です。しかし、個人主義は、価値観や生き方が違うお互いを尊重しようという考えです。それなら、人と違った理想の追求も自由の尊重できるでしょう。

 そして、ここまで見てきたように、(時には)逸脱も社会の役に立ちます。

 もちろん、「愚か者になれ、進んで失敗しろ」と言っても、知能を働かせるのはやめないでください。
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市民を監視下における共謀罪(創発を生むミーム 2017/04/01号)
 創発を生むミーム 2017/04/01号の「市民を監視下における共謀罪」の全文記事です。
 
2017/04/01号
市民を監視下における共謀罪

 司法は、「法と良心」に従えば一般市民を摘発できます。それが安倍政権の進める共謀罪です。正確な法律名はテロ等準備罪ですが、この記事では世間に通りのいい共謀罪の名を使います。

 安倍首相はテロリストの摘発のための共謀罪だと国民に説明しているのに、どうしてそうなるのでしょうか。それは、法律の条文はテロリストに限定するようには書かれておらず、一般市民も対象にできるからです。

 憲法第76条は、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と規定されています。だから、裁判官は法には従わなければいけません。

 そして、日本の司法では、立法趣旨は法源になりません。法源とは、裁判官が判決を下す根拠となる法のことです。憲法や法律や判例などがそれにあたります。しかし、立法趣旨(この場合は、テロリストを摘発するためという安倍首相の説明)は司法の現場では顧みられません。

 同じようなことに、国旗国歌法があります。国旗国歌法を推進した政治家たちは「国旗国歌を強制することはない」と国民に説明したました。これが立法趣旨です。

 それではどうなったでしょうか。地方教育の現場において教員の国歌斉唱が強制され、逆らった教員が処罰されました。この処罰が適法かどうかをめぐって裁判になり、裁判官は処罰は適法だと判決を下しました。日の丸君が代は国旗国歌法でそれぞれ国旗国歌と定められていることが判決の根拠でした。

 このように、立法趣旨は、司法では考慮されません。立法趣旨を無視した、法律の条文そのものが考慮されるのです。そして、政府の条文は、テロ組織に限定したものではなく、一般市民全体を対象にしたものです。

 政府は共謀罪の適用対象になるのは「組織的犯罪集団」でそれは「重大犯罪を実行するために結合している団体」だと説明しています。しかし、日弁連の指摘では、法律には「常習性」や「反復継続性」などの要件がなく、組織犯罪に限定される法律ではないとされています。また法的には、「二人以上で計画」したら共謀罪で摘発の対象となります。テロリストと一般市民を分けるようには、法律はできていません。

   なお、実際の条文は下記のようになります。

”第六条の二  次の各号に掲げる罪に当たる行為で、組織的犯罪集団(団体のうち、その結合関係の基礎としての共同の目的が別表第三に掲げる罪を実行することにあるものをいう。次項において同じ。)の団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を二人以上で計画した者は、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。”

 テロリストに限定されていませんし、一般国民を除外した条文でもありません。

 それでは、「テロリストを摘発するため」という安倍首相の説明はなんなのでしょうか。空手形を切っているのです。将来の司法のあり方を国民に約束するものではありません。

 共謀罪は227の法律に適用されます(その中には著作権法や文化財保護法が含まれます)。政府は「サリンガスなどの化学兵器散布に対処するため」「ハイジャックに対処するため」などと説明してますが、それぞれサリン等人身被害防止法やハイジャック防止法で対処できると野党から反論されています。

 また、政府は著作権侵害やキノコ採りなどを共謀罪で裁く理由として、テロリストの資金源になるからと説明しています。しかし、そのために、一般市民がそんな犯罪の相談をすれば、司法が摘発するのが共謀罪です。例えば、メディア批判のための資料作りににネット動画やネット記事をダウンロードしようと相談するだけで、「組織的犯罪集団」として摘発されます。

 政府は計画だけでなく「実行準備行為」をしなければ共謀罪で摘発されないと説明しています。先ほどの例なら、パソコンを用意するだけで実行準備行為になるり、メンバー全員が逮捕の対象になります。

 例えば、アメリカでの共謀罪による著作権侵害の摘発の例として「誰が音楽をタダにした?」(スティーヴン・ウィット)に次のケースが書かれています。

 90年代から00年代にかけて、業界最大手のユニバーサル・ミュージックの工場から新作のCDを盗み出すルートを開拓した海賊版業者は、リリース前の新曲をリークすることができ、また物量でも、当時、海賊版として出回っていたCDのリーク元をたどるとその多くがこの組織にたどり着きました。

 海賊版のリークについてネットで打合せしていたため、著作権侵害の共謀罪の容疑で組織は摘発されました。政府なら、テロ組織の資金源になるかもしれないから(実際の組織はテロとは無関係です。念のため)、共謀罪が必要だと主張するかもしれません。しかし、テロ組織を狙い撃ちにするものではありません。

 政府は「国際組織犯罪防止条約に締結してテロを未然に防ぐ」「共謀罪がなければ五輪が開けない」と主張しますが、この条約はマフィアなど経済犯罪対策でありテロ対策ではなく、また加盟国の刑法の原則(この場合なら「意思」を裁く共謀罪)の変更を強いるものではありません。この条約の条文にも、適用対象の文句に金銭的利益ためと書かれており、テロリストを対象としたものでもありません(ただし、禁固4年以上の重大犯罪であれ、金銭的利益がでなくても、適用対象になります)。

 また、国際社会にあるテロ防止関連条約のうち、国連が定めたもの5つ、国連外のもの8つすべてに、日本はすでに加盟しています。

 また共謀罪がなければ五輪が開けないというなら、「なぜテロ組織に限定した法律にしないのか」という疑問がわきます。

 戦前にも、共産主義や無政府主義の取り締まりのためと説明された治安維持法が、労働運動・民主主義・自由主義の取り締まりのために使われた過去があります。

 意思を取り締まる共謀罪には同じ危険があるでしょう。「一度、例外をつくれば、例外でなくなる」といいます。例外が前例になり、拡大解釈されるからです。政府の共謀罪にも同じ危険があります。総務省が示した見解でも、取り締まりの対象になる組織的犯罪集団 について「もともと正当な活動を行っていた団体も、結合の目的が犯罪を実行する団体に一変したと認められる場合は、組織的犯罪集団にあたる」となっており、組織的犯罪集団と一般人の境界は(司法の現場では)あいまいになっています。

 そして、組織的犯罪集団かどうかを判断するのは、監視される市民ではなく、警察です。石破茂元自民党幹事長が国会前のデモをテロリスト扱いしたことがあり(のちに撤回)、権力の暴走が懸念されます。

 金田法相が「組織的犯罪集団と関わりがない一般人は捜査対象にならない」と国会答弁しているので、市民には関係ないと思うかもしれません。しかし、金田法相の発言には、「組織的犯罪集団と関わりがなければ」という仮定があって、実際に関わりがないと判断するのは、捜査機関だということが、説明から抜け落ちています。

 そもそも一般の刑事捜査でも一般人を捜査対象にするものです。しかし、共謀罪の条文には捜査対象をテロリストに限り、一般人を捜査対象から外す担保となるものがありません。

 テロ対策のためには共謀罪で市民を監視する必要があり、それに反対するのは平和ボケという意見もあるでしょう。しかし、アメリカはテロ対策のために、2001年の9.11テロ以降から2011年までに1兆ドル(円ではなくドルです)を注ぎこんできましたが、それでもテロを完全に防げていません。孫子も、敵対勢力には疲弊させろということを書き残しています。

 国民の権利が制限され治安が強化されたら、そうでない場合より、テロは起こりにくくなるでしょう。しかし、中国のような国民の人権が制限された警察国家でもテロは起こっています。共謀罪を成立させても、(例えばオリンピックなどで)テロを防げるものでもないでしょう。欧米におけるイスラム原理主義勢力の影響を受けたテロリストたちは、高学歴で中流生活を送る一般市民がネットなどで感化されテロに走るのがパターンであり、警察が事前に情報を収集してテロを察知できる組織の体をなしていません。

(テロ対策のすべてがムダとは言いませんが)テロ対策で国が疲弊したら、喜ぶのはテロリストです。

 日本もテロ対策のためにと、市民を監視する社会になれば、自由な活動を逼塞させれば、テロリストの思うつぼです。
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なぜ日本は原発を推進するのか(創発を生むミーム 2017/03/01号)
 創発を生むミーム 2017/03/01号の「??」の全文記事です。
 
2017/03/01号
なぜ日本は原発を推進するのか

 原発推進とはなんなのでしょうか。電力の安定供給でしょうか。しかし、原発が全く稼働しなくても電力は足りています。福島第一原発の原子力事故直後によく使われた節電という言葉も、最近ではめっきり聞かなくなりました。

 ベースロード電源のためでしょうか。ベースロード電源とは、季節や天候や昼夜を問わず、電力を安定して供給できる電源のことです。原発は安全に停止させるために数日かかるため、ベースロード電源にしか使い道がありません。こまめに切ったりつけたりできません。火力発電でベースロード電源をまかなってもかまいません。

 それでは電力資源の多様化でしょうか。しかし、風力や太陽光発電といった再生可能エネルギー」は商業化に手が届くところまで発達しました。資源の乏しい日本にこそ推進しなければならないものでしょう。ただし、再生可能エネルギーによる発電は不安定なため、現在の送電技術では高品質で大量に(大量にというのは送電量全体の2割から3割程度)送電し難いという欠点があります。

 また、ウラン資源の世界全体での可採年数(資源を消費し尽くす年数)は石油資源の倍程度あるため、「石油かウランか」の論点で比較すれば、原発にも石油と比較して利点があります。一方、天然ガスの可採年数はウランと8割程度、石炭ならウランを上回ります。資源エネルギー庁の2011年の発表によると、ウランの可採年数は100年、石油は42年、天然ガスは80年、石炭は122年です。

 また、「原子力か再生可能エネルギーか」で見た時も、やはり原子力にさほどの将来性はありません。現在の再生可能エネルギー発電のコストは、原子力発電や火力発電の数倍です。しかし、太陽光発電のメガソーラー発電コストは、2012年の1kWhあたり27円(政策経費を除く)ですが、NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)は2020年に14円まで下げることを目標にしています。アメリカは(南部の日照量が日本より3,4割ほど多いこともあって)2014年に発電コストが1kWhあたり11セントになっており、すでにこのレベルに到達しており、日本の目標も現実離れしたものではありません。NEDOは2030年には太陽光発電の発電コストを1kWhあたり7円にすることを目標にしています。

 核オプションのためでしょうか。核オプションとは、核兵器は保有しないが、いつでも核兵器を開発できる体制を整えるということです。原発から回収されるプルトニウム239は1945年に長崎に投下された原爆と同じものの材料になります。外務省は長年、核オプションを捨てないでいました。しかし、国民に隠し事にされてきた核オプションに、(一基や二基ならともかく)日本中に原発を建設させる力はないでしょう。日本は2015年に47.9トンのプルトニウムを保有しています。これは長崎に投下された原発数千発分に匹敵します。これだけ核燃料があれば十分です。

 ただし、保守的な読売新聞の社説に、核燃料サイクルをやめると核抑止力がなくなるとあったことがあります。核燃料サイクルとは、核燃料のリサイクルです。天然に存在する核燃料のウラン235はいずれは尽きてしまうため、核のゴミから核燃料のプルトニウム239をリサイクルして取り出すことです。

 事故続きて運転が停止している高速増殖炉のもんじゅは、プルトニウム239を生産するために設計されました。

 政府はもんじゅの廃炉を決めましたが、後継となる高速炉の開発を進める方針です。高速炉はもんじゅ同様、冷却材にナトリウムを使います。ナトリウムは酸素と反応して爆発したり、大気中の水蒸気から酸素を奪って水素を発生させたり、危険な物質です。また、廃炉のさいに、ナトリウムを原子炉から取り出す技術がありません。そのため、もんじゅの廃炉も、ナトリウムを取り出す新技術の開発を進める方針ですが、まだめどは立っていません。廃炉の技術が開発できなければ、チェルノブイリのようにコンクリートの石棺に閉じ込めることになるかもしれません。

 また、原子力規制委員会は、高速炉はコストがかかり商業的に引き合わないと政府の方針を批判しています。

 それでは経済性でしょうか。福島第一原発の原子力事故の後、運転停止されていた原発の再稼働が決まると、大手電力会社の株価は上がりました。燃料費を節約できるからです。しかし、原発の総コスト(運転にかかる経費だけでなく、設備投資の費用も含む)は水力発電所より高いのです。そして、この総コストに事故の経費や廃炉の費用は含まれていません。また、政府は40年で運転終了した原発の廃炉の費用を、電力を送電する企業に転嫁して、送電網を利用する国民に負担させる方針です。

 東京電力の原子力事故の賠償金や除染を支援するために、国費が当初5兆円投入され、それだけは足りないからとさらに4兆円が積み増しされました。それでもまだ足りないから8兆円の支援が検討されています。この費用は大手電力会社を通じて、電力消費者が返済することになります。

 廃炉の費用も、当初の見積もりから大幅に増える見こみで、国費の投入も検討されています。東京電力は当初、廃炉の費用は年800億円と見積もり、2兆円を積み立てていましたが、それが経済産業省の試算では廃炉まで8兆円かかるとされています。

 6兆円も増えたこの試算は、1979年のアメリカのスリーマイル原発事故の廃炉の費用が1千億円だったから、その60倍はかかるだろうというどんぶり勘定です。技術的な段取りから試算されたものではありません。福島第一原発の1号機から3号機までの原子炉は、今も高い放射線量のため、ひとが長時間に渡って近づくことができません。2号機格納容器内は毎時650シーベルトの放射線量のため、ロボットも数時間で壊れます。このような状況のため、廃炉の費用がさらに上がることが予想されます。

 廃炉の費用を捻出するために、東京電力の送電料金の(定期的な)値下げを取りやめる方針です。新電力の利用者でも東京電力の送電網を利用するため、廃炉の費用を(値下げしないことで)負担することになります。

 そもそも東京電力は福島第一原発の廃炉に2兆円、賠償費用に5兆4千億円、除染に2兆5千億円、中間貯蔵(核のゴミの仮置き)に1兆1千億円を見こんでいましたが、予算の超過は確実視されています。経済産業省は賠償・除染・中間貯蔵・廃炉で合計21兆5千億円(廃炉8兆円、賠償7兆9千億円、除染4兆円、中間貯蔵1兆6千億円)に上ると試算しています。そのため、中間貯蔵には国費の投入が決定され、賠償の一部にも国費を投入することが検討されています。

 また、政府は福島第一原発の賠償の費用の一部を新電力に負担させる方針です。(現在でも毎年1630億円を大手電力会社の利用者が負担していますが)もちろん、(東京電力と関係なくても)国民の電気料金に転嫁されます。

 政府は「電力自由化以前に、原発のおかげで電気料金が安かった分の恩恵を国民が受けていたからだ」としています。政府のこの物言いは、「過去、原発の安全性を政府や大手電力会社が過信していたため、保険にかける費用が少なく見積もられ、原子力発電の料金が少なかった」ことが前提でなければいけません(もっとも、政府は誰も責任を取らないでしょうが)。

 (その説明もなかったのに)原発の安い電気料金を享受していた国民に、予見義務もなければ(国が安全だと説明していたのだから予見しようがありません)、結果回避義務もありません(電力会社は地域独占だったのだから、回避しようがありません)。予見義務・結果回避義務は民事訴訟において過失の有無を図る目安です。予見義務は危険を予測する義務。結果回避義務は予見された危険を避ける義務です。もちろん、国民だけでなく、原発を推進した政府や大手電力会社にもこれらの義務はあります。それなのに、政府や大手電力会社の過失(原発の危険性を見くびったこと)のしわ寄せが国民にくることになります。

 売買契約が成立した後に、業者側がコストを過小に見積もっていたからといって、後になってから費用を請求できる道理はありません。消費者に契約以上の義務はありません。

 東電救済のための目的税が課税されるようなものです。これは東京電力を倒産から救うための政策であり、ひいては、国策として原子力を推進してきた国の責任をうやむやにするためでもあります。廃炉の費用8兆円が計上されると債務超過に陥って東電は破たんします(銀行には内規があって、資産より債務が多い企業とは取引しません)。

 また、高レベル放射能廃棄物(核のゴミ。放射線を出す性質は物質にもよりますが10万年経たないとなくならない)の処理費用も原発を運営する大手電力会社が負担せず、送電会社が負担して、国民に送電料金として付けまわす法律が定められています。また、政府は稼働から40年以内で廃炉される一般の原発の廃炉の費用も送電会社を経由して国民に付けまわす方針です。

 また、福島第一原発の原子力事故以前、原発をつくるには一基3000億円と言われました。事故後、安全対策が見直され、フランスの原発メーカーのアレバの試算で1兆円に増えました。また、EU委員会での再試算では2兆2000億円とされました。イギリスの電力自由化の時にも原発を購入する民間会社はなかったので、原発が経済的ということはないでしょう。

 この記事では、日本が原発を推進する根拠を、大都市と地方の格差解消、大手電力会社の財政、政電複合体というキーワードで説明したいと思います。

 原発が大都市と地方の格差を解消してくれるのは、公共事業が大都市と地方の格差を解消してくれるのと同じことです。

 公共事業の誘致による利益誘導は、東京と地方の格差解消です。そう書くと、「政治家と土建屋と官僚が結託した利権でしょう」と言われそうです。

 地元選出の国会議員がキャリア官僚の便宜の下、中央の政府から分捕ってきた予算で公共事業を誘致して、地元の土建屋が仕事を請け負って潤い、土建屋がお金を出して業界団体を作り官僚の天下り先にして、また、土建屋が票や政治献金で政治家を支援するのが利権構造です。

 しかし、地方に流れる税金を払っている東京の納税者とその恩恵をこうむる地方の納税者の関係で見れば、東京と地方の格差解消に他なりません。東京のお金が地方に流れるからです。

 例えば、田中角栄が成立させた豪雪地帯対策特別措置法では、豪雪地帯に雪害対策の予算をつけることを認めています。東京都民の税金で豪雪地帯の道路に消雪設備を設けたりしたのです。「田中角栄伝説」(佐高信)によると、田中角栄は、岡山県なら川端康成の「雪国」はロマンだが、新潟県では、雪は冬の日常における闘いという趣旨の発言をしたことがあります。お金の流れの見方によっては、東京と地方の格差解消であり、あるいは、土建屋と政治家と官僚が結託した利権なのです。そして、田中角栄の選挙区といえば、日本有数の豪雪地帯である新潟県なのです。

 原発でも同じ構図があります。原発は地方の産業になります。田舎では「役所が一大産業」と言われるぐらいだから、原発は貴重な職場です。もちろん、政治家が誘致して官僚が便宜を図ります。また、電力需要地の都市から流れたお金が、固定資産税や核燃料税といった名目で、立地自治体に流れます。日本で最初に核燃料税を設けたのは新潟県です。柏崎刈羽原発原発から税を取り立てることを目論んだ地方税です。この税金は国会が定めた税金ではなく、新潟県議会が全国で最初に設けた条例が日本各地の原発立地自治体に広まったのです。そして、柏崎刈羽原発を誘致したのは田中角栄です。柏崎刈羽原発原発は田中角栄の地元選挙区にあります。

 さて、立地自治体にとって、原発推進が格差解消であることが分かりました。しかし、これは自治体にとってのメリットです。どうして、電力会社は原発を推進するのでしょうか。

 それは、高コストだからです。こんなことを書くと「企業の利潤追求に反するでしょう」と返ってきそうです。しかし、総括原価方式(原価を計算してそれに電力会社の儲けを上乗せして電気料金を決める制度)では、原価が高ければ高いほど電力会社は儲かります。原発は電力会社にとって、お金を生む打ち出の小槌なのです。給料や年金など人件費や広告費を含む経費の全額と資産の3%の合計から売電収入が計算され電力価格が認可されました。だから、原発を資産にすれば、その3%が売り上げにできました。

 それでは、なぜ総括原価方式などが認められたのでしょうか。電力の安定供給のためです。戦後間のなくの時期は日本中で電力が足りず、電力制限令(節電の強制)も何度も実施されました。電力会社が安心して発電所に投資するためには、総括原価方式が必要だったのです(世界を見ると、電力会社が故意に電力不足を作り、電気料金のつりあげを図るケースがあります。アメリカの例です)。

 大手電力会社は原発を再稼働させる方針です。燃料費が安いからです。燃料費だけでなく、設備投資まで計算すると高くつくのですが、原発を運転から40年で廃止させるルールに「例外」という理由をつくり、運転を延長させる方針です。

 40年の寿命が過ぎた原発を再稼働させる理由には、もっと簡潔なものがあります。原発を廃炉させると、大手電力会社は損失を計上しなければならず、資産の数割を失うからです。

 ジャーナリストの町田徹氏によると電力会社の関係者の中には「(延長して原発を)60年動かさせないのは、原子力で儲けるな、60年動かすのが当たり前だ」という声があるそうです。こんなのはポジショントーク(市場関係者が自分に都合よく流す発言)です。なぜなら、稼働後40年たった原発の延長を認めないと、大手電力会社が倒産して、関係者自身が責任を問われるからです。

 自治体や電力会社が原発を推進する理由は分かりました。それでは、どうして政治家が原発を推進するのでしょうか。それは政電複合体に他なりません。電力会社は、総括原価方式に組みこめるお金で様々な費用を賄うことができます。メディアに払う広告費は毎年億を超え、自治体への寄付も総括原価方式の計算に入ります。また、電力会社の役員が政治家に多額の寄付をしていることも分かっていますし、電力会社の労働組合も原発を推進についえを政治家に影響力を持っています。2016年の新潟知事選挙では、電力会社の労働組合を傘下に持つ連合は、野党候補ではなく、原発を推進する与党の候補者を支持しました。そして、連合を支持母体とする民進党は、再稼働に反対する野党共闘の候補を応援せず、自主投票を決めました。このような電力会社と政治家の結びつきがあるのです。

 政電複合体の原動力は、長年に渡って続けられた原子力政策の責任を(現在の自分たちが)取りたくないことです。

 例えば、連合の傘下にある東京電力の労働組合からすれば「廃炉の費用8兆円が計上されたら、債務超過に陥って東京電力が倒産する。失職したくない」でしょう。東京電力の経営陣からは「東京電力を倒産させた責任を取りたくない。退職金がなくなる」でしょう。経済産業省のキャリア官僚からすれば「東京電力を倒産させれば、自分が出世コースからはずれる」でしょう。原発推進派の政治家からすれば「票と金が逃げてしまう」でしょう。

 かつて原子力村は「原子力は夢のエネルギー」「原子力の平和利用で世界に貢献を」と旗を振りました。そのなれの果てが、この醜態なのです。今後、原子力事故の後始末のために、(代金を受けとる企業にとっては儲けですが)何十兆円が消耗されるのか分かりません。政府の方針では(法律を改正して)、経済産業省の一存で決められる省令で、国民に負担させる金額を決める方針です。国会で審議されることなく、原子力村の胸三寸で金額が決まるでしょう。

 原発推進派は、この記事で説明したような利益があるから、推進しているのです。

 しかし、原発推進派は安全性が見誤りました。田中角栄だって、原発が絶対安全だと信じているから、地元の選挙区に原発を誘致したのでしょう。福島第一原発の原子力事故で原発の危険性を原子力村が過小評価したことが明らかになりました。そして、福島県は県内の原発を全廃させる方針に転じました。

 また、原発の様々なコストが電力需要地の消費者や納税者に転嫁され、原発推進派が負担していないことも忘れてはいけません。原発の反対派は、単に原発の全廃を訴えるだけでなく、原発にかかわるコストを推進派に適切に負担させることによって、「やっぱり原発は割に合わない」と認識を改めさせることも大切でしょう。ただし、これは東京電力の倒産を含む経営責任・政策責任を原子力村に突きつけることになることを理解しなければいけません。

 国民の大多数は原発再稼働に反対ですが、国政選挙には反映されていません。このような原発を推進させる政治的経済的な原動力を理解することは、原発を再稼働させない政治活動にとって有意義なことでしょう。
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財政出動派と財政再建派は一致できる(創発を生むミーム 2017/02/01号)
 創発を生むミーム 2017/02/01号の「財政出動派と財政再建派は一致できる」の全文記事です。
 
2017/02/01号
財政出動派と財政再建派は一致できる

財政出動による経済成長と、プライマリーバランスの順守による財政再建は対立する考えです。しかし、「なぜ、そうするのか」を突きつめれば、根っこは同じです。つまり、経済成長です。財政出動なら分かります。政府が支出を増やせばそれだけ景気は良くなります。しかし、なぜ財政再建が経済成長なのでしょうか。それは、政府が国債を乱発して民間のお金を吸い上げると、市中金利が上がり、民間の投資需要を削いでしまうからです(クラウディングアウトと呼ばれます)。

             ←ーー経済を成長させる←ーー財政再建
              |              ↓ 
  国民の暮らしを豊かにする |             対立
               |              ↑               ←ーー経済を成長させる←ーー財政出動
 

 さて、財政出動も財政再建もどちらも経済を成長させることが目的であることが分かりました。どちらの支持者にとっても経済を成長させることは大切です。国民の暮らしを豊かにするためだからです。それでは、この対立をどうやって解決しましょうか。

 今、日本は政府が市中からお金を吸い上げるどころか、市中にお金を配っている状態です。黒田バズーカです(日銀は政府の子会社です)。国債金利もマイナスで、国債を発行すると、日銀がお金を受け取れる立場なのです。だから、今は、財政再建は不要なのです。

 現在の政治では、プライマリーバランスを守りながら、政府支出を増やすことが検討され、そして、制限されています。しかし、市場の反応を見る限り(国債金利に反映されます)、日本の財政不安に景気を悪化させる不安要素はなく、レーガン大統領時代のアメリカのように、クラウディングアウトが起こり、国内の投資需要を損なう恐れもありません。マイナス金利だからです。

 むしろ、銀行が不動産への融資をバブル期並みの緩和しているのに、借り手がいない状況です。需要不足なのだから、経済成長のために財政出動させる局面であることが分かります。

 また、政府が放漫な財政支出をすれば、国債が暴落して金利が上がり、金利の利払いができなくなるという批判もあります。しかし、日本の国債は固定金利(金利は発行時点のものから変動しない)であり、一挙に利払い額が増えるということはありません。例えば、現在は(国債にもいくつかの種類があるのですが)国債の一部はマイナス金利なので、国庫にお金が納付される状態です。

 また、国債が暴落する可能性を指摘する風評もあります。しかし、高値が付いている国債が暴落するかどうかは、今の相場がバブルかどうかによるでしょう。そして、日銀の異次元緩和という官製需要ですが、現に需要があるのでバブルの恐れはないでしょう。もちろん、デフレが脱却すれば日銀が買いこんだ国債を売りに出す可能性もあるでしょうが、相場が崩壊するような売却の仕方はしないでしょう。もちろん、現在もデフレは進行しており、国債の暴落を心配するなんて、天が落ちてくるのを心配するようなものです。

 ところで、現在のわたしたちのための放漫財政で、将来の世代に負債を残すことは問題だという主張があります。しかし、財政出動によって経済を成長させることは、将来の世代にとっても大切なことです。年金の受取額に影響するからです。

 政府の年金改正法案は、インフレ率1.3%、実質賃金成長率2,5%が100年続くことを基準に計算されました。この数字が非現実的かどうかはさておいて、日本の経済が成長することは、将来の世代のパイを増やすことでしょう。

 また、デフレ不況はもう20年も続いています。長期的な問題です。デフレ不況からの脱却は、将来の世代にとっても問題でしょう。

 ただし、プライマリーバランスの実現を棚上げすることは、政治問題になるでしょう。緊縮財政派は、過去、財政再建を名目に消費税を増税しまた。

 しかし、「消費税増税に反対するブログ」の記事(http://anti-tax-increase.hatenablog.com/entry/2016/04/16/003549 )によると 実際の税金の使い道を調べると、消費税の税収の86%は、法人税の減税に使われました。1989年から2015年度にかけて国民が払った消費税の累計は304.8兆円なのに対して、法人税の減税分は累計で262.2兆円に達します。

 だから、緊縮財政派は、消費税減税や財政拡大に反対するでしょう。財政緊縮派のすべてとは言いませんが、彼らが財界の利益のために財政再建を利用したことを認めたくないからでしょう。
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これからのリベラル派(創発を生むミーム 2017/01/04号)
 創発を生むミーム 2017/01/04号の「これからのリベラル派」の全文記事です。
 
2017/01/04号
これからのリベラル派

 これからのリベラル派はどうすべきか。それを考えるには、その蹉跌(さてつ)の歴史を知らなければいけません。リベラル派の蹉跌は55年体制に始まります。

 この時代、ある意味、日本は安定した社会でした。安全保障の面では、米ソが対立した冷戦時代、対米追従の見返りにアメリカから援助を引き出しました。アメリカも同盟国が旧ソ連陣営に走っては困るから、同盟国に無理な要求をできませんでした。また、経済面では高度経済成長期であり、欧米の商品をロールモデルにして、それより少し品質の良い商品を努力して(定型化されたルーチンワークを熱心にくり返して)作っていれば、売れました。新商品の開発やそのためのマーケティングもデザインも考えなくてよい時代でした。

 指針は欧米が示してくれるから、考えなくてよい時代でした。(日本の政治経済にまったく戦略がなかったわけではありませんが)、定型化されたルーチンワークを熱心にくり返せば、なんとかなった時代だったのです。

 この時代にリベラル派がしたことは、自民党の改憲阻止です。リベラル派なのに不思議に思われるかもしれませんが、いうなれば、戦後体制の安定です。その背景には自民党の逆コース(戦前回帰)があるでしょう

 リベラル派の選挙戦略は、スローガンと組織票に頼ることでした。無党派層に憲法改正反対のスローガンを訴えながら、組織票を固めることでした。日本の将来をめぐって、与党と政策を戦わせるものではありませんでした。

 ところが、日米貿易摩擦の時代に移ります。冷戦も終わります。アメリカは同盟国だからともう手加減してくれません。手加減するには日本は大きくなりすぎました。また、バブルもはじけ、あれだけ世界を席巻した日本の商売もうまくいかなくなります。デフレ不況も続きます。失われた20年間です。

 国民は改革を求めています。安全保障と経済の面で。このふたつの立て直しが国民から求められす。ところが、リベラル派はそれに応えることができませんでした。それがリベラル派が日本で衰退した理由でしょう。

 リベラル派からの改革は以下の要件を満たさなれけばなりません。

 国民が自由に生き、理想を追求できる社会を目指すこと。別の表現をするなら、他人と違ってもしんどくない社会です。そうでなければ、リベラル派のアイデンティティーを失います。安全保障面からも経済面からも国民の幸福追求権を守らなければいけません。

 国の平和が守られなければ、国民は幸福に暮らせません。

 例えば、かつての自衛隊は力の空白を作らないことを目的としてました。力の空白とは、ある領域の軍事力が消失することです。

 普通、軍隊というと敵をやっつけるものです。どうして、こんな消極的なことが安全保障になるのでしょうか。強制力を持つ警察や裁判所がない国際社会では、力に物を言わせて、領土を奪うことがあります。韓国による竹島の占領だったり(韓国が竹島に軍隊を派遣した当時、自衛隊はなく保安隊でした)、中国による南沙諸島の占領(戦前は日本領ですが、ポツダム宣言の受託によって無主の土地となりました)です。これは倫理的に問題があるから起こる問題ではありません。シリアでは、ISILから奪還した領土をクルド人たちが自治領にすると宣言しました。単純に、戦国時代のように力で決まってしまうからです。そこで、日本のかつての方針は、日本の国土に自衛隊を置き、外国が占領する誘惑にかられないようにすることでした。

 逆に言えば、「日本が普通の国になる」とは、先ほど挙げた外国の例のように武力で問題を解決することになることです。国益のために武力行使するようになれば、戦後日本が平和国家として培ってきた国際社会における信用を損ねることになるでしょう。

「日本が攻めこまれた時はどうする、戦争できる国にならなければ」という意見もあるでしょう。これは、個別的自衛権の範囲であり、安倍首相のように集団的自衛権を認める必要はありません。これまでの日本ができたことです。

 もちろん、戦力があれば抑止力になる、だから、憲法9条を改正して自衛隊の枷をはずそうという意見もあるでしょう。憲法9条によって、自衛隊は必要最小限の実力しかもてません。必要最小限度の戦力とは、その時々の国際情勢や軍事技術から判断されます。また、敵国土の破壊のためにのみ使われる弾道ミサイル・空母・長距離爆撃機などは保有できません。憲法9条を改正したら、無制限の戦力を持てます。ただし、この場合、軍拡競争を東アジアで招くでしょう。日本の倍以上の経済力を持つ中国との軍拡競争に日本の勝ち目はありません。

 それから、武力で解決するのが普通の国というのなら、武力紛争が世界で頻発しているはずです。そうならないのは、国際的な問題解決の仕組みがあるからです。まず、世界大戦を再び起こさないという使命を帯びた国連があります。それから、東南アジア諸国連合やアフリカ統一機構など、地域間で話し合いで問題を解決する仕組みが出来上がっているからです(強制力がないため、万能というわけではありません)。話し合いで解決する仕組みがない東アジアの方が珍しいのです。

 安倍政権は、アメリカに日本を守ってもらうためにと、アメリカに軍事貢献をするために解釈改憲をしました。しかし、イラク戦争やアフガニスタン戦争など、アメリカが進んで世界に戦争を巻き起こしていることには、ほおかむりです。日本がアメリカに軍事貢献するとは、これらアメリカの戦争に日本が参加することです。

 しかし、主権を守るためのを除いて、国益のための武力行使をしない軍事力もあるのではないでしょうか。つまり、拒否権のための軍事力です。拒否権とは政治学の用語で権力によって強制されないことです。政治学では、権力とは相手の意に反することを強制することとされます。また、戦争とは、外交の延長であり、相手にわが意を強制することと定義されています。つまり、拒否権のための軍事力とは、外国から強制されないための軍事力です。なお、拒否権は軍事学では拒否抵抗とよばれます。

 また、憲法9条は、日本の自立を妨げる自虐的なものという意見もあります。しかし、日本にわが意を強制しようという外国の意思をくじくものなのだから、自立を妨げはしないでしょう。

 なお、拒否抵抗は軍事学における武力行使の一分類であり、安倍首相がよく口にする抑止力とは異なります。抑止力は、「(利益の係争があって:筆者注)費用と危険が期待する結果を上回ると敵対者に思わせることにより、自分の利益に反する行動を敵対者にとらせない」という意味です。一方、拒否抵抗は、「他国が武力攻撃を行った場合、あるいは政治目的達成のため威圧や恫喝を行った場合に、これを拒否し抵抗する機能」を指します。安倍政権が憲法解釈を変えるまで、自衛隊は拒否抵抗のための軍隊でした。この記事の拒否抵抗・抑止力の定義は「軍事学入門」(防衛大学校・防衛学研究会編)に拠っています。

 それから、中国が漁民に偽装した兵士を尖閣諸島に送ってくる、なのに防衛出動できないから、自衛隊法の改正が必要だという議論があります(そして、対策を明文化すると中国が裏をかこうとするから、政府にフリーハンドを渡すべきだと続きます)。しかし、これは自己解決できる議論です。中国のこの戦略は制限戦争の考え方です。制限戦争は冷戦時代に生まれた戦い方です。武力衝突がエスカレートすると核戦争になり、これでは共倒れだ。だから、限定した戦力で武力行使しようというのです。この場合なら、治安組織が出動する程度の武力行使にとどめようという考え方でしょう。だから、まっさきに出動するのは警察や海上保安庁になります。それで手におえなければ、自衛隊が治安出動することになります。なんのことはない、自衛隊が昔からできることです。裏をかかれるものでもありません。

 なお、リベラル派の一部は「自衛隊員は人殺し」という偏見があります。しかし、自衛隊は災害救出専門の装備を開発したり、演習を行っています。だから、人殺しというのはおかしいでしょう。ただ、「日本は戦争するのか」(半田滋)によれば、かつて航空自衛隊の幹部学校生選抜テストの2003年の論文テーマが「愛国心」だったことがあり、その時の主任試験官の一等空佐の所感に「ごく一部の受験生において、戦後のいわゆる自虐史観教育による影響から抜けきれず、その考え方を是とした者がいたのは極めて残念であった」とあったことがありました。自虐史観という右派の言葉を使って戦後の教育観を批判しているのだから、自衛隊のカルチャーがリベラルなわけではないでしょう。

 また、パイが縮小するデフレ不況下では、パイの奪い合いになり、他人を踏みつけにする者が得をする社会になりました。真面目に努力した者が報われる社会を目指すためには、経済成長が必要です。

 世論調査を見ると、選挙の時に国民が候補者を選ぶ理由に、大多数は経済を理由に選んでいます。国民は経済成長を望んでいます。

 安保法制や脱原発などの個々の政策で見ると、国民は安倍政権にノーと言っています。しかし、国民は経済政策に高い優先順位を付けており、自民党が選挙に勝っています。直接選挙では勝っているものが間接選挙では負けることをオストロゴルスキーのパラドックスと言います。リベラル派が自民党に勝つためには、経済政策でも自民党に勝てなければいけません。

 しかし、リベラル派の一部は、「経済成長なんてもう望めない」と経済成長策に反対です。その理由は、「日本経済は大きくなりすぎた」「経済成長を望んだからバブルが起きた、縮小均衡を望むべき」「経済成長を望むのは、(やましい商売をするのだから)日本人の好む美しい心情に反する」などが上げられます。

 しかし、2015年の一人当たりGDPで見ると日本はOECD加盟国(34カ国)の中で20位、世界全体でも24位と成長を望む余地があります。また、G7の中では最低です。例えば、世界5位のアメリカの一人当たりGDPは日本の1.7倍です。時間ばかりかけて、付加価値を生み出せていません。

 また、縮小均衡しようとすると、(目標値がどうあれ)経済がマイナス成長になるため、失業や派遣切りなどの問題が起きます。また、ネットの普及によって消費者の力がかつてないほど高まった現在、消費者を食い物にするような商売は、成立しがたくなっています。そして、商売を成功させることと、消費者の利益になることは相矛盾することではありません。例えば、ソフトバンクは楽天市場からシェアを奪うために、ヤフーショッピングの出店手数料を無料化しました。そのせいで、楽天市場より安価で消費者は買い物ができるケースがあります。

 もちろん、独占や不公正な競争や環境破壊や政界との癒着によって利益を得ることは規制されなければいけません。これらを認めると、消費者の利益にならないからです。しかし、テッセイ(7分間のうちに新幹線を掃除する会社)やプリウスというエコカーを世に送り出したトヨタなど、消費者の役に立って成長した企業はいくつも上げられます。シャープや三菱自動車のような問題のある企業も、かつては消費者から喜ばれた企業だったでしょう。

 先ほどのソフトバンクのように、他の企業を食うような商売はなくならないでしょう。しかし、それが消費者の利益になるのなら、それはけっこうなことではないでしょうか。

 リベラル派が経済成長を目指す点が合意できなければ、具体的な経済成長策で合意することもできないでしょう。

 なお、この場合の経済成長の目的は企業が利益を上げることではありません。例えば、企業は利益を上げるためにリストラをできます。しかし、世界不況の時のように日本中の企業がリストラに走ればどうなるでしょうか。実質賃金(物価の変動を調整した賃金。実際に物やサービスの購入に使えるお金)が下がり、失業率が上がります。その結果、消費は落ちこみ、景気は悪化します。個別の行動で見れば合理的なのに、全体で見ると不合理な行動を合成の誤謬と言います。企業の利益ではなく、実質賃金が上がることが目的です。なぜなら、そうすれば、個人消費が増え、それをあてこんで企業の投資が増え、結果、経済は好転し税収も増えるからです。

 実質賃金は安倍政権になってから4%程度落ちこんでおり、実質賃金を上げることは政治の課題です。野党が倒閣を狙うなら、国民の実質賃金を上げる政策が必要でしょう。また、金融緩和と財政出動によってデフレから脱却することも大切です。日本は需要よりも供給の方が大きいため、リストラ圧力がかかっているからです。これは賃金を低迷させます。

 デフレ脱却のための財政出動は、リベラル派からはばらまきという批判もあります。しかし、デフレは民間の設備投資や雇用の減少を招き、社会全体では需要の減少によって、景気の悪化を招きます。需要の減少を穴埋めするために政府が財政出動しなければいけません。もちろん、デフレ不況を克服したら、財政出動は止めなければいけません。デフレ脱却後も財政出動を続ければ、高インフレになって跳ね返ってくるからです。デフレにはデフレ対策、インフレにはインフレ対策を国民が選ばなければいけません。

 また、金持ち増税と低中所得者減税や社会保障の拡充によって格差を解消することも経済成長に必要です。消費が増えるからです。

 それから、信託された権力(権力とは相手の意に反することを強制させることです)や集められた税金を社会に還元されること。そして、権力や税金を私腹を肥やすために使った権力者を、国民が更迭できる政治体制であること。そうでなければ、不公平な社会になり、国が衰退します。「国家はなぜ衰退するのか」( ダロン・アセモグル ジェイムズ・A・ロビンソン 著)の中で、「包括的(この記事では社会還元と言葉をおきかえています)」「収奪的」という言葉で説明されています。

 公平な社会を目指すことは、政界と産業界の癒着をただすことでもあります。日本は、欧米のような個人の自由と権利を優先する資本主義国ではありません。政界と産業界が協力して産業を育ててきた開発志向国です。消費者の権利はおざなりにされました。癒着のない公平な社会を目指すには、個人が強くならなければいけません。

 リベラル派が政権の選択肢になれるほど復権するには、政権交代に見合うだけの政策が必要でしょう。国民の暮らしを守り豊かにするリベラル派の政策が必要です。もちろん、この記事に書いてあることを政治家がスローガンとして唱えても、民主党政権が国民の期待に応えられず信用を失ったように、後には失望が残されるでしょう。
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トランプ離れ(創発を生むミーム 2016/12/01号)
 創発を生むミーム 2016/12/01号の「トランプ離れ」の全文記事です。
 
2016/12/01号
トランプ離れ

 今年11月のアメリカ大統領選で共和党候補のドナルド・トランプ氏が民主党のヒラリー・クリントン候補を破り、当選しました。

「アメリカを再び偉大にする(Make America greatful again)」をキャッチフレーズに掲げ、支持者たちから「チェンジ! チェンジ!」と迎えられた当選でした。その背景には、日本以上の格差社会のアメリカでグローバルな繁栄から取り残されて没落した層が、なんとかしてほしいと切実に願い、既存の政治勢力の枠にはまらないトランプ次期大統領を支持したことがありました。

 さて、まだ就任式も終えていませんが、トランプ次期大統領の賞味期限切れは来るのでしょうか。トランプ次期大統領には支持離れを招く三つのアキレス腱があります。「アメリカを再び偉大にする」の戦略性の欠如、トリクルダウン政策、保護主義の大義名分の欠如です。

 トランプ次期大統領は「アメリカを再び偉大にする」をキャッチフレーズに大統領選を戦いました。選挙戦略としては成功でした。しかし、選挙が終わりホワイトハウスに入るなら、選挙戦略としてではなく、政治戦略としてこのキャッチフレーズを展開させなければいけません。具体的には、「現状の何が問題なのか」を見定め、「あるべき理想の姿」を描き、「理想の具体化のための政策」を定めることです。

 しかし、トランプ大統領は、自身のキャッチフレーズについて、支持者の心を満たして喜ばすことには使えど、具体的な政策として提示したことはほとんどありません。報道によれば、支持者もよく分かっていないそうです。また、このキャッチフレーズでは、大統領選の勝利演説では一回も触れられませんでした。今後、具体的な政策として発表された時に、支持者が思い描いていたものと食い違うかもしれません。

 例えば、支持者の落胆を誘うような、排外的で強硬なもの(支持者は選挙期間中のトランプ次期大統領の暴言は真剣なものではないと受け止めていました)かもしれませんし、支持者から賛同される現実的な内容かもしれません。もちろん、大統領選が終わってからどんな政策が下されるのかやきもきするより、最初から政策で選んだほうが、支持者には合理的だったでしょう。

 また、トランプ次期大統領は税制面ではトリクルダウン減税を取っています。所得税の最高税率を39.6%から33%に下げます。Tax Policy Centerの試算によると、減税の恩恵の半分は、年収70万ドル以上の上位1%の層が蒙るそうです。低所得層の所得税も無税になります。しかし、現在でも45%が所得税を払っていないのが、50%になると程度だと見積もられています。また、連邦税のうち相続税を廃止します。アメリカの税金は連邦税と州税の二本立てです。連邦税の相続税の税率は2015年で40%です。控除額(控除とは税金のかからない金額)は543万ドルです。アメリカの相続税は金持ちから取るものです。州税の相続税は変わりません。また、法人税を35%から15%に引き下げます。アメリカは日本同様、株主資本主義の国ですから減税分の儲けは株主に還元されるでしょう。

「夢と消えたトリクルダウン」でも触れたように、日本ではトリクルダウンは起こりません。アメリカの場合は調べていませんが、日本同様に、トリクルダウンは起こらないでしょう。アメリカの上位10%の層が、所得の50%、資産の70%を占めています。金融資産だけなら、上位1%の層が42%を占めています(いずれも2007年のデータ)。そうすると、トランプ次期大統領は格差解消を期待する支持者に対して、格差拡大の税制を与えることになります。

 トリクルダウン減税は選挙期間中に発表されたものです。もし本当に実施されるのなら、トランプ次期大統領にとって格差解消を願う支持者は、自身が権力を握るために暴言で気持ちよくさせる票でしかなかったのでしょうか。支持離れを招くでしょう。

 ちなみにヒラリー候補はトリクルダウンは起らないと発言して金持ち増税を公約しました。ただ、大統領選ではトランプとヒラリーのどちらがうそつきかというくくりで論じられていたので、有権者は政策で選べなかったかもしれません。

 また、保護主義の大義名分の欠如です。自由貿易は輸出入の双方の国の消費者にメリットになります。具体的には双方の国で、国民の消費が増えることです(経済学で扱う国の豊かさとは、国民の消費が増えることです。神の見えざる手で有名なアダム・スミスの時代からそうです。いくらお金を貯めても、使わなければ幸せにはなれないからです)。なぜ国民の消費が増えるのかというと、双方の国が生産性の高い産業に特化できるからです。自由主義にはこのように国を豊かにする大義名分があるのです。一方で保護主義にはそのような大義名分はありません(勝ち組負け組に分かれる副作用がある程度です)。そうなると、実際に保護主義を政策化して実行する段階で、自由貿易を掲げるグローバル派と衝突することになります。権力を駆使して実現することは可能でしょう。しかし、そうすれば、アメリカ国民を分断することになります。

 もちろん、グローバル派は負け組のことを自己責任で済ませていて、その負け組の労働者たちがトランプ次期大統領を支持したわけですが。負け組は市場からの退場をというのが自己責任の原則ですが、負け組だからといっても、人間は生きていかなければいけません。負け組の逆集です。

 それではTPPはどうなのか。TPPは純粋な自由貿易ではありません。ISD条項のような国の主権を制限する取り決め(国の規制が企業の損失になれば、世界銀行傘下の委員会に訴えて、賠償金を取れる制度)があったり、 規制整合性小委員会のようなグローバル企業が参加して規制撤廃を国に勧告できる制度(消費者団体は参加できないため、消費者の権利はおざなりにされます)があったりして、自由貿易ではない部分があるからです。

この記事はトランプ次期大統領の政策面を公開情報から分析しました。トランプ人事から今後を占う報道ならいくつもありますが、私にはそんなインサイダー情報はよく分からないので、分析から外しています。

 この記事が配信される時点でトランプ丸はまだ進水もしていません。それなのにもう賞味期限切れはどうなのかとも思ってしまいます。しかし、演説(と毒舌)で有権者の心を気持ちよくするだけでなく、ビジョンを具体的な政策の形にすることが民主主義国家の政治家には求められます。そうすると、トランプ次期大統領の政策には、具体性に欠け、支持者の意向に反し、国民を分断する面があることが分かります。アメリカ国民がこの問題に直面した時に、支持者のトランプ離れが起るかもしれません。もちろん、トランプ次期大統領の就任は来年1月20日、閣僚人事が決まり政策が動き出すのは、慣例では6月以降です。それまでに立て直すかもしれません。
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