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愚か者になれ、進んで失敗しろ(創発を生むミーム 2017/05/01号)
 創発を生むミーム 2017/07/01号の「愚か者になれ、進んで失敗しろ」の全文記事です。
 
2017/07/01号
愚か者になれ、進んで失敗しろ

 イノベーションの普及を研究した「技術革新の普及過程」(E.ロジャース)によれば、イノベーションは逸脱から生まれます。逸脱とは社会規範からの離反です。逆に、イノベーションを採用しないひととは、伝統的なアイデアに忠実なひとです。

 社会規範とそれからの逸脱の例として、「技術革新の普及過程」ではペルーの田舎町ロス・モリノスで行われた衛生のための飲料水の煮沸運動とその失敗が挙げられています。日本では不衛生な水を煮沸すると聞いても、不自然には思われません。しかし、同地では温めた水を飲むのは病人でした。そのため、健康な自分が煮沸した水を飲む必要がないと受け止められたのでしょう。(上水道がなく)汚染した水が飲用水に使われているにも関わらず、水を煮沸する習慣は広まりませんでした。社会規範がイノベーションの普及を妨げた例です。

 イノベーションに利益があっても、逸脱はこれまでのやり方から離反することです。それでは、逸脱なんかをしてまで、どうしてイノベーションを生み出さなければいけないのでしょうか。それより、みんなで一致団結して同じ定型化されたルーチンワークを熱心にくり返した方が効果的ではないでしょうか。

 それは、うっかり間違えて世間と違う方法を取ったら、より能率的だったということが起りえるからです。「働かないアリに意義がある」(長谷川英祐)にこんな観察が紹介されています。アリはエサを見つけると巣に持ち帰りながら、フェロモンを地面に付けます。それを目印に他のアリがエサを持って帰るのです。ところが、ここでうっかり間違えて、違うルートで巣まで帰るアリが出てきます。ところが、そのルートの方が近道なことがあるのです。こうして、より能率的なルートでエサを巣までアリたちは持ち帰るのです。

 実際、失敗から生まれたイノベーションはいくつもあります。ポストイットは粘着力の弱い接着剤という失敗作から考案されました。抗生物質は、寒天培地にうっかりカビを繁殖させた失敗から発見されました。

 アップルの故スティーブ・ジョブズも「愚か者になれ」と言っています。みんなと同じことをすれば能率的なはずなのに、わざわざ失敗する人は、まさに愚か者でしょう。

 さて、イノベーションを進めるためには規範から逸脱した失敗を許容できるふところの深い社会でなければいけません。しかし、日本は減点主義の社会です。

 人間には知能があって、将来を予測してふるまうことができます。ここで知能を働かせて、減点主義のまま前例のないことをして失敗するような社会を想像してみてください。

 失敗したひとが次々と落伍して、要領よく立ち回ったひとが残る、そんな社会ではないでしょうか。

 逸脱を許容するためには、失敗を許容できる社会でないといけません。これがアメリカなら「セカンドチャンスがある」となるでしょう。

 アメリカでは管理職に就くためには学位が必要であり、(失敗したベンチャー企業に就職して)最初のキャリアがふいになっても、大学に入り直して学位をとれば、失敗を取り返すことができます。オバマ前大統領もアメリカがセカンドチャンスの国でなければ、今の自分はなかったということを在任中に話していました。

アメリカというと「成功か死か」のお国柄ですが、失敗したひとのための受け皿が社会にあるのです。

 しかし、日本はセカンドチャンスの国でありません。

 逸脱と失敗を許容するためには、(定型化されたルーティンワークを熱心にくり返すことを否定するわけではないけれども)前例のないことをして少々の失敗(少々とは、失敗しても取り返せる程度)を受け止められる社会でないといけないでしょう。

 また、日本では和を乱してはいけないという社会規範が根強くあります。しかし、イノベーションを生み出すことは社会規範からの逸脱に他なりません。「右にならえ」の社会ではイノベーションは生まれません。ひとに迷惑をかけなければ、個人の裁量と自由が許される社会にならなければいけないでしょう。他人と違うことが許される社会でないと、逸脱できないからです。

 それを社会規範に求めれば、個人主義になります。集団の和より個人の価値観を重んじる思想だからです。個人主義は和を乱したり、利己主義のように受け止められています。自分さえ良ければいいという考えが利己主義です。しかし、個人主義は、価値観や生き方が違うお互いを尊重しようという考えです。それなら、人と違った理想の追求も自由の尊重できるでしょう。

 そして、ここまで見てきたように、(時には)逸脱も社会の役に立ちます。

 もちろん、「愚か者になれ、進んで失敗しろ」と言っても、知能を働かせるのはやめないでください。
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市民を監視下における共謀罪(創発を生むミーム 2017/04/01号)
 創発を生むミーム 2017/04/01号の「市民を監視下における共謀罪」の全文記事です。
 
2017/04/01号
市民を監視下における共謀罪

 司法は、「法と良心」に従えば一般市民を摘発できます。それが安倍政権の進める共謀罪です。正確な法律名はテロ等準備罪ですが、この記事では世間に通りのいい共謀罪の名を使います。

 安倍首相はテロリストの摘発のための共謀罪だと国民に説明しているのに、どうしてそうなるのでしょうか。それは、法律の条文はテロリストに限定するようには書かれておらず、一般市民も対象にできるからです。

 憲法第76条は、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と規定されています。だから、裁判官は法には従わなければいけません。

 そして、日本の司法では、立法趣旨は法源になりません。法源とは、裁判官が判決を下す根拠となる法のことです。憲法や法律や判例などがそれにあたります。しかし、立法趣旨(この場合は、テロリストを摘発するためという安倍首相の説明)は司法の現場では顧みられません。

 同じようなことに、国旗国歌法があります。国旗国歌法を推進した政治家たちは「国旗国歌を強制することはない」と国民に説明したました。これが立法趣旨です。

 それではどうなったでしょうか。地方教育の現場において教員の国歌斉唱が強制され、逆らった教員が処罰されました。この処罰が適法かどうかをめぐって裁判になり、裁判官は処罰は適法だと判決を下しました。日の丸君が代は国旗国歌法でそれぞれ国旗国歌と定められていることが判決の根拠でした。

 このように、立法趣旨は、司法では考慮されません。立法趣旨を無視した、法律の条文そのものが考慮されるのです。そして、政府の条文は、テロ組織に限定したものではなく、一般市民全体を対象にしたものです。

 政府は共謀罪の適用対象になるのは「組織的犯罪集団」でそれは「重大犯罪を実行するために結合している団体」だと説明しています。しかし、日弁連の指摘では、法律には「常習性」や「反復継続性」などの要件がなく、組織犯罪に限定される法律ではないとされています。また法的には、「二人以上で計画」したら共謀罪で摘発の対象となります。テロリストと一般市民を分けるようには、法律はできていません。

   なお、実際の条文は下記のようになります。

”第六条の二  次の各号に掲げる罪に当たる行為で、組織的犯罪集団(団体のうち、その結合関係の基礎としての共同の目的が別表第三に掲げる罪を実行することにあるものをいう。次項において同じ。)の団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を二人以上で計画した者は、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。”

 テロリストに限定されていませんし、一般国民を除外した条文でもありません。

 それでは、「テロリストを摘発するため」という安倍首相の説明はなんなのでしょうか。空手形を切っているのです。将来の司法のあり方を国民に約束するものではありません。

 共謀罪は227の法律に適用されます(その中には著作権法や文化財保護法が含まれます)。政府は「サリンガスなどの化学兵器散布に対処するため」「ハイジャックに対処するため」などと説明してますが、それぞれサリン等人身被害防止法やハイジャック防止法で対処できると野党から反論されています。

 また、政府は著作権侵害やキノコ採りなどを共謀罪で裁く理由として、テロリストの資金源になるからと説明しています。しかし、そのために、一般市民がそんな犯罪の相談をすれば、司法が摘発するのが共謀罪です。例えば、メディア批判のための資料作りににネット動画やネット記事をダウンロードしようと相談するだけで、「組織的犯罪集団」として摘発されます。

 政府は計画だけでなく「実行準備行為」をしなければ共謀罪で摘発されないと説明しています。先ほどの例なら、パソコンを用意するだけで実行準備行為になるり、メンバー全員が逮捕の対象になります。

 例えば、アメリカでの共謀罪による著作権侵害の摘発の例として「誰が音楽をタダにした?」(スティーヴン・ウィット)に次のケースが書かれています。

 90年代から00年代にかけて、業界最大手のユニバーサル・ミュージックの工場から新作のCDを盗み出すルートを開拓した海賊版業者は、リリース前の新曲をリークすることができ、また物量でも、当時、海賊版として出回っていたCDのリーク元をたどるとその多くがこの組織にたどり着きました。

 海賊版のリークについてネットで打合せしていたため、著作権侵害の共謀罪の容疑で組織は摘発されました。政府なら、テロ組織の資金源になるかもしれないから(実際の組織はテロとは無関係です。念のため)、共謀罪が必要だと主張するかもしれません。しかし、テロ組織を狙い撃ちにするものではありません。

 政府は「国際組織犯罪防止条約に締結してテロを未然に防ぐ」「共謀罪がなければ五輪が開けない」と主張しますが、この条約はマフィアなど経済犯罪対策でありテロ対策ではなく、また加盟国の刑法の原則(この場合なら「意思」を裁く共謀罪)の変更を強いるものではありません。この条約の条文にも、適用対象の文句に金銭的利益ためと書かれており、テロリストを対象としたものでもありません(ただし、禁固4年以上の重大犯罪であれ、金銭的利益がでなくても、適用対象になります)。

 また、国際社会にあるテロ防止関連条約のうち、国連が定めたもの5つ、国連外のもの8つすべてに、日本はすでに加盟しています。

 また共謀罪がなければ五輪が開けないというなら、「なぜテロ組織に限定した法律にしないのか」という疑問がわきます。

 戦前にも、共産主義や無政府主義の取り締まりのためと説明された治安維持法が、労働運動・民主主義・自由主義の取り締まりのために使われた過去があります。

 意思を取り締まる共謀罪には同じ危険があるでしょう。「一度、例外をつくれば、例外でなくなる」といいます。例外が前例になり、拡大解釈されるからです。政府の共謀罪にも同じ危険があります。総務省が示した見解でも、取り締まりの対象になる組織的犯罪集団 について「もともと正当な活動を行っていた団体も、結合の目的が犯罪を実行する団体に一変したと認められる場合は、組織的犯罪集団にあたる」となっており、組織的犯罪集団と一般人の境界は(司法の現場では)あいまいになっています。

 そして、組織的犯罪集団かどうかを判断するのは、監視される市民ではなく、警察です。石破茂元自民党幹事長が国会前のデモをテロリスト扱いしたことがあり(のちに撤回)、権力の暴走が懸念されます。

 金田法相が「組織的犯罪集団と関わりがない一般人は捜査対象にならない」と国会答弁しているので、市民には関係ないと思うかもしれません。しかし、金田法相の発言には、「組織的犯罪集団と関わりがなければ」という仮定があって、実際に関わりがないと判断するのは、捜査機関だということが、説明から抜け落ちています。

 そもそも一般の刑事捜査でも一般人を捜査対象にするものです。しかし、共謀罪の条文には捜査対象をテロリストに限り、一般人を捜査対象から外す担保となるものがありません。

 テロ対策のためには共謀罪で市民を監視する必要があり、それに反対するのは平和ボケという意見もあるでしょう。しかし、アメリカはテロ対策のために、2001年の9.11テロ以降から2011年までに1兆ドル(円ではなくドルです)を注ぎこんできましたが、それでもテロを完全に防げていません。孫子も、敵対勢力には疲弊させろということを書き残しています。

 国民の権利が制限され治安が強化されたら、そうでない場合より、テロは起こりにくくなるでしょう。しかし、中国のような国民の人権が制限された警察国家でもテロは起こっています。共謀罪を成立させても、(例えばオリンピックなどで)テロを防げるものでもないでしょう。欧米におけるイスラム原理主義勢力の影響を受けたテロリストたちは、高学歴で中流生活を送る一般市民がネットなどで感化されテロに走るのがパターンであり、警察が事前に情報を収集してテロを察知できる組織の体をなしていません。

(テロ対策のすべてがムダとは言いませんが)テロ対策で国が疲弊したら、喜ぶのはテロリストです。

 日本もテロ対策のためにと、市民を監視する社会になれば、自由な活動を逼塞させれば、テロリストの思うつぼです。
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なぜ日本は原発を推進するのか(創発を生むミーム 2017/03/01号)
 創発を生むミーム 2017/03/01号の「??」の全文記事です。
 
2017/03/01号
なぜ日本は原発を推進するのか

 原発推進とはなんなのでしょうか。電力の安定供給でしょうか。しかし、原発が全く稼働しなくても電力は足りています。福島第一原発の原子力事故直後によく使われた節電という言葉も、最近ではめっきり聞かなくなりました。

 ベースロード電源のためでしょうか。ベースロード電源とは、季節や天候や昼夜を問わず、電力を安定して供給できる電源のことです。原発は安全に停止させるために数日かかるため、ベースロード電源にしか使い道がありません。こまめに切ったりつけたりできません。火力発電でベースロード電源をまかなってもかまいません。

 それでは電力資源の多様化でしょうか。しかし、風力や太陽光発電といった再生可能エネルギー」は商業化に手が届くところまで発達しました。資源の乏しい日本にこそ推進しなければならないものでしょう。ただし、再生可能エネルギーによる発電は不安定なため、現在の送電技術では高品質で大量に(大量にというのは送電量全体の2割から3割程度)送電し難いという欠点があります。

 また、ウラン資源の世界全体での可採年数(資源を消費し尽くす年数)は石油資源の倍程度あるため、「石油かウランか」の論点で比較すれば、原発にも石油と比較して利点があります。一方、天然ガスの可採年数はウランと8割程度、石炭ならウランを上回ります。資源エネルギー庁の2011年の発表によると、ウランの可採年数は100年、石油は42年、天然ガスは80年、石炭は122年です。

 また、「原子力か再生可能エネルギーか」で見た時も、やはり原子力にさほどの将来性はありません。現在の再生可能エネルギー発電のコストは、原子力発電や火力発電の数倍です。しかし、太陽光発電のメガソーラー発電コストは、2012年の1kWhあたり27円(政策経費を除く)ですが、NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)は2020年に14円まで下げることを目標にしています。アメリカは(南部の日照量が日本より3,4割ほど多いこともあって)2014年に発電コストが1kWhあたり11セントになっており、すでにこのレベルに到達しており、日本の目標も現実離れしたものではありません。NEDOは2030年には太陽光発電の発電コストを1kWhあたり7円にすることを目標にしています。

 核オプションのためでしょうか。核オプションとは、核兵器は保有しないが、いつでも核兵器を開発できる体制を整えるということです。原発から回収されるプルトニウム239は1945年に長崎に投下された原爆と同じものの材料になります。外務省は長年、核オプションを捨てないでいました。しかし、国民に隠し事にされてきた核オプションに、(一基や二基ならともかく)日本中に原発を建設させる力はないでしょう。日本は2015年に47.9トンのプルトニウムを保有しています。これは長崎に投下された原発数千発分に匹敵します。これだけ核燃料があれば十分です。

 ただし、保守的な読売新聞の社説に、核燃料サイクルをやめると核抑止力がなくなるとあったことがあります。核燃料サイクルとは、核燃料のリサイクルです。天然に存在する核燃料のウラン235はいずれは尽きてしまうため、核のゴミから核燃料のプルトニウム239をリサイクルして取り出すことです。

 事故続きて運転が停止している高速増殖炉のもんじゅは、プルトニウム239を生産するために設計されました。

 政府はもんじゅの廃炉を決めましたが、後継となる高速炉の開発を進める方針です。高速炉はもんじゅ同様、冷却材にナトリウムを使います。ナトリウムは酸素と反応して爆発したり、大気中の水蒸気から酸素を奪って水素を発生させたり、危険な物質です。また、廃炉のさいに、ナトリウムを原子炉から取り出す技術がありません。そのため、もんじゅの廃炉も、ナトリウムを取り出す新技術の開発を進める方針ですが、まだめどは立っていません。廃炉の技術が開発できなければ、チェルノブイリのようにコンクリートの石棺に閉じ込めることになるかもしれません。

 また、原子力規制委員会は、高速炉はコストがかかり商業的に引き合わないと政府の方針を批判しています。

 それでは経済性でしょうか。福島第一原発の原子力事故の後、運転停止されていた原発の再稼働が決まると、大手電力会社の株価は上がりました。燃料費を節約できるからです。しかし、原発の総コスト(運転にかかる経費だけでなく、設備投資の費用も含む)は水力発電所より高いのです。そして、この総コストに事故の経費や廃炉の費用は含まれていません。また、政府は40年で運転終了した原発の廃炉の費用を、電力を送電する企業に転嫁して、送電網を利用する国民に負担させる方針です。

 東京電力の原子力事故の賠償金や除染を支援するために、国費が当初5兆円投入され、それだけは足りないからとさらに4兆円が積み増しされました。それでもまだ足りないから8兆円の支援が検討されています。この費用は大手電力会社を通じて、電力消費者が返済することになります。

 廃炉の費用も、当初の見積もりから大幅に増える見こみで、国費の投入も検討されています。東京電力は当初、廃炉の費用は年800億円と見積もり、2兆円を積み立てていましたが、それが経済産業省の試算では廃炉まで8兆円かかるとされています。

 6兆円も増えたこの試算は、1979年のアメリカのスリーマイル原発事故の廃炉の費用が1千億円だったから、その60倍はかかるだろうというどんぶり勘定です。技術的な段取りから試算されたものではありません。福島第一原発の1号機から3号機までの原子炉は、今も高い放射線量のため、ひとが長時間に渡って近づくことができません。2号機格納容器内は毎時650シーベルトの放射線量のため、ロボットも数時間で壊れます。このような状況のため、廃炉の費用がさらに上がることが予想されます。

 廃炉の費用を捻出するために、東京電力の送電料金の(定期的な)値下げを取りやめる方針です。新電力の利用者でも東京電力の送電網を利用するため、廃炉の費用を(値下げしないことで)負担することになります。

 そもそも東京電力は福島第一原発の廃炉に2兆円、賠償費用に5兆4千億円、除染に2兆5千億円、中間貯蔵(核のゴミの仮置き)に1兆1千億円を見こんでいましたが、予算の超過は確実視されています。経済産業省は賠償・除染・中間貯蔵・廃炉で合計21兆5千億円(廃炉8兆円、賠償7兆9千億円、除染4兆円、中間貯蔵1兆6千億円)に上ると試算しています。そのため、中間貯蔵には国費の投入が決定され、賠償の一部にも国費を投入することが検討されています。

 また、政府は福島第一原発の賠償の費用の一部を新電力に負担させる方針です。(現在でも毎年1630億円を大手電力会社の利用者が負担していますが)もちろん、(東京電力と関係なくても)国民の電気料金に転嫁されます。

 政府は「電力自由化以前に、原発のおかげで電気料金が安かった分の恩恵を国民が受けていたからだ」としています。政府のこの物言いは、「過去、原発の安全性を政府や大手電力会社が過信していたため、保険にかける費用が少なく見積もられ、原子力発電の料金が少なかった」ことが前提でなければいけません(もっとも、政府は誰も責任を取らないでしょうが)。

 (その説明もなかったのに)原発の安い電気料金を享受していた国民に、予見義務もなければ(国が安全だと説明していたのだから予見しようがありません)、結果回避義務もありません(電力会社は地域独占だったのだから、回避しようがありません)。予見義務・結果回避義務は民事訴訟において過失の有無を図る目安です。予見義務は危険を予測する義務。結果回避義務は予見された危険を避ける義務です。もちろん、国民だけでなく、原発を推進した政府や大手電力会社にもこれらの義務はあります。それなのに、政府や大手電力会社の過失(原発の危険性を見くびったこと)のしわ寄せが国民にくることになります。

 売買契約が成立した後に、業者側がコストを過小に見積もっていたからといって、後になってから費用を請求できる道理はありません。消費者に契約以上の義務はありません。

 東電救済のための目的税が課税されるようなものです。これは東京電力を倒産から救うための政策であり、ひいては、国策として原子力を推進してきた国の責任をうやむやにするためでもあります。廃炉の費用8兆円が計上されると債務超過に陥って東電は破たんします(銀行には内規があって、資産より債務が多い企業とは取引しません)。

 また、高レベル放射能廃棄物(核のゴミ。放射線を出す性質は物質にもよりますが10万年経たないとなくならない)の処理費用も原発を運営する大手電力会社が負担せず、送電会社が負担して、国民に送電料金として付けまわす法律が定められています。また、政府は稼働から40年以内で廃炉される一般の原発の廃炉の費用も送電会社を経由して国民に付けまわす方針です。

 また、福島第一原発の原子力事故以前、原発をつくるには一基3000億円と言われました。事故後、安全対策が見直され、フランスの原発メーカーのアレバの試算で1兆円に増えました。また、EU委員会での再試算では2兆2000億円とされました。イギリスの電力自由化の時にも原発を購入する民間会社はなかったので、原発が経済的ということはないでしょう。

 この記事では、日本が原発を推進する根拠を、大都市と地方の格差解消、大手電力会社の財政、政電複合体というキーワードで説明したいと思います。

 原発が大都市と地方の格差を解消してくれるのは、公共事業が大都市と地方の格差を解消してくれるのと同じことです。

 公共事業の誘致による利益誘導は、東京と地方の格差解消です。そう書くと、「政治家と土建屋と官僚が結託した利権でしょう」と言われそうです。

 地元選出の国会議員がキャリア官僚の便宜の下、中央の政府から分捕ってきた予算で公共事業を誘致して、地元の土建屋が仕事を請け負って潤い、土建屋がお金を出して業界団体を作り官僚の天下り先にして、また、土建屋が票や政治献金で政治家を支援するのが利権構造です。

 しかし、地方に流れる税金を払っている東京の納税者とその恩恵をこうむる地方の納税者の関係で見れば、東京と地方の格差解消に他なりません。東京のお金が地方に流れるからです。

 例えば、田中角栄が成立させた豪雪地帯対策特別措置法では、豪雪地帯に雪害対策の予算をつけることを認めています。東京都民の税金で豪雪地帯の道路に消雪設備を設けたりしたのです。「田中角栄伝説」(佐高信)によると、田中角栄は、岡山県なら川端康成の「雪国」はロマンだが、新潟県では、雪は冬の日常における闘いという趣旨の発言をしたことがあります。お金の流れの見方によっては、東京と地方の格差解消であり、あるいは、土建屋と政治家と官僚が結託した利権なのです。そして、田中角栄の選挙区といえば、日本有数の豪雪地帯である新潟県なのです。

 原発でも同じ構図があります。原発は地方の産業になります。田舎では「役所が一大産業」と言われるぐらいだから、原発は貴重な職場です。もちろん、政治家が誘致して官僚が便宜を図ります。また、電力需要地の都市から流れたお金が、固定資産税や核燃料税といった名目で、立地自治体に流れます。日本で最初に核燃料税を設けたのは新潟県です。柏崎刈羽原発原発から税を取り立てることを目論んだ地方税です。この税金は国会が定めた税金ではなく、新潟県議会が全国で最初に設けた条例が日本各地の原発立地自治体に広まったのです。そして、柏崎刈羽原発を誘致したのは田中角栄です。柏崎刈羽原発原発は田中角栄の地元選挙区にあります。

 さて、立地自治体にとって、原発推進が格差解消であることが分かりました。しかし、これは自治体にとってのメリットです。どうして、電力会社は原発を推進するのでしょうか。

 それは、高コストだからです。こんなことを書くと「企業の利潤追求に反するでしょう」と返ってきそうです。しかし、総括原価方式(原価を計算してそれに電力会社の儲けを上乗せして電気料金を決める制度)では、原価が高ければ高いほど電力会社は儲かります。原発は電力会社にとって、お金を生む打ち出の小槌なのです。給料や年金など人件費や広告費を含む経費の全額と資産の3%の合計から売電収入が計算され電力価格が認可されました。だから、原発を資産にすれば、その3%が売り上げにできました。

 それでは、なぜ総括原価方式などが認められたのでしょうか。電力の安定供給のためです。戦後間のなくの時期は日本中で電力が足りず、電力制限令(節電の強制)も何度も実施されました。電力会社が安心して発電所に投資するためには、総括原価方式が必要だったのです(世界を見ると、電力会社が故意に電力不足を作り、電気料金のつりあげを図るケースがあります。アメリカの例です)。

 大手電力会社は原発を再稼働させる方針です。燃料費が安いからです。燃料費だけでなく、設備投資まで計算すると高くつくのですが、原発を運転から40年で廃止させるルールに「例外」という理由をつくり、運転を延長させる方針です。

 40年の寿命が過ぎた原発を再稼働させる理由には、もっと簡潔なものがあります。原発を廃炉させると、大手電力会社は損失を計上しなければならず、資産の数割を失うからです。

 ジャーナリストの町田徹氏によると電力会社の関係者の中には「(延長して原発を)60年動かさせないのは、原子力で儲けるな、60年動かすのが当たり前だ」という声があるそうです。こんなのはポジショントーク(市場関係者が自分に都合よく流す発言)です。なぜなら、稼働後40年たった原発の延長を認めないと、大手電力会社が倒産して、関係者自身が責任を問われるからです。

 自治体や電力会社が原発を推進する理由は分かりました。それでは、どうして政治家が原発を推進するのでしょうか。それは政電複合体に他なりません。電力会社は、総括原価方式に組みこめるお金で様々な費用を賄うことができます。メディアに払う広告費は毎年億を超え、自治体への寄付も総括原価方式の計算に入ります。また、電力会社の役員が政治家に多額の寄付をしていることも分かっていますし、電力会社の労働組合も原発を推進についえを政治家に影響力を持っています。2016年の新潟知事選挙では、電力会社の労働組合を傘下に持つ連合は、野党候補ではなく、原発を推進する与党の候補者を支持しました。そして、連合を支持母体とする民進党は、再稼働に反対する野党共闘の候補を応援せず、自主投票を決めました。このような電力会社と政治家の結びつきがあるのです。

 政電複合体の原動力は、長年に渡って続けられた原子力政策の責任を(現在の自分たちが)取りたくないことです。

 例えば、連合の傘下にある東京電力の労働組合からすれば「廃炉の費用8兆円が計上されたら、債務超過に陥って東京電力が倒産する。失職したくない」でしょう。東京電力の経営陣からは「東京電力を倒産させた責任を取りたくない。退職金がなくなる」でしょう。経済産業省のキャリア官僚からすれば「東京電力を倒産させれば、自分が出世コースからはずれる」でしょう。原発推進派の政治家からすれば「票と金が逃げてしまう」でしょう。

 かつて原子力村は「原子力は夢のエネルギー」「原子力の平和利用で世界に貢献を」と旗を振りました。そのなれの果てが、この醜態なのです。今後、原子力事故の後始末のために、(代金を受けとる企業にとっては儲けですが)何十兆円が消耗されるのか分かりません。政府の方針では(法律を改正して)、経済産業省の一存で決められる省令で、国民に負担させる金額を決める方針です。国会で審議されることなく、原子力村の胸三寸で金額が決まるでしょう。

 原発推進派は、この記事で説明したような利益があるから、推進しているのです。

 しかし、原発推進派は安全性が見誤りました。田中角栄だって、原発が絶対安全だと信じているから、地元の選挙区に原発を誘致したのでしょう。福島第一原発の原子力事故で原発の危険性を原子力村が過小評価したことが明らかになりました。そして、福島県は県内の原発を全廃させる方針に転じました。

 また、原発の様々なコストが電力需要地の消費者や納税者に転嫁され、原発推進派が負担していないことも忘れてはいけません。原発の反対派は、単に原発の全廃を訴えるだけでなく、原発にかかわるコストを推進派に適切に負担させることによって、「やっぱり原発は割に合わない」と認識を改めさせることも大切でしょう。ただし、これは東京電力の倒産を含む経営責任・政策責任を原子力村に突きつけることになることを理解しなければいけません。

 国民の大多数は原発再稼働に反対ですが、国政選挙には反映されていません。このような原発を推進させる政治的経済的な原動力を理解することは、原発を再稼働させない政治活動にとって有意義なことでしょう。
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財政出動派と財政再建派は一致できる(創発を生むミーム 2017/02/01号)
 創発を生むミーム 2017/02/01号の「財政出動派と財政再建派は一致できる」の全文記事です。
 
2017/02/01号
財政出動派と財政再建派は一致できる

財政出動による経済成長と、プライマリーバランスの順守による財政再建は対立する考えです。しかし、「なぜ、そうするのか」を突きつめれば、根っこは同じです。つまり、経済成長です。財政出動なら分かります。政府が支出を増やせばそれだけ景気は良くなります。しかし、なぜ財政再建が経済成長なのでしょうか。それは、政府が国債を乱発して民間のお金を吸い上げると、市中金利が上がり、民間の投資需要を削いでしまうからです(クラウディングアウトと呼ばれます)。

             ←ーー経済を成長させる←ーー財政再建
              |              ↓ 
  国民の暮らしを豊かにする |             対立
               |              ↑               ←ーー経済を成長させる←ーー財政出動
 

 さて、財政出動も財政再建もどちらも経済を成長させることが目的であることが分かりました。どちらの支持者にとっても経済を成長させることは大切です。国民の暮らしを豊かにするためだからです。それでは、この対立をどうやって解決しましょうか。

 今、日本は政府が市中からお金を吸い上げるどころか、市中にお金を配っている状態です。黒田バズーカです(日銀は政府の子会社です)。国債金利もマイナスで、国債を発行すると、日銀がお金を受け取れる立場なのです。だから、今は、財政再建は不要なのです。

 現在の政治では、プライマリーバランスを守りながら、政府支出を増やすことが検討され、そして、制限されています。しかし、市場の反応を見る限り(国債金利に反映されます)、日本の財政不安に景気を悪化させる不安要素はなく、レーガン大統領時代のアメリカのように、クラウディングアウトが起こり、国内の投資需要を損なう恐れもありません。マイナス金利だからです。

 むしろ、銀行が不動産への融資をバブル期並みの緩和しているのに、借り手がいない状況です。需要不足なのだから、経済成長のために財政出動させる局面であることが分かります。

 また、政府が放漫な財政支出をすれば、国債が暴落して金利が上がり、金利の利払いができなくなるという批判もあります。しかし、日本の国債は固定金利(金利は発行時点のものから変動しない)であり、一挙に利払い額が増えるということはありません。例えば、現在は(国債にもいくつかの種類があるのですが)国債の一部はマイナス金利なので、国庫にお金が納付される状態です。

 また、国債が暴落する可能性を指摘する風評もあります。しかし、高値が付いている国債が暴落するかどうかは、今の相場がバブルかどうかによるでしょう。そして、日銀の異次元緩和という官製需要ですが、現に需要があるのでバブルの恐れはないでしょう。もちろん、デフレが脱却すれば日銀が買いこんだ国債を売りに出す可能性もあるでしょうが、相場が崩壊するような売却の仕方はしないでしょう。もちろん、現在もデフレは進行しており、国債の暴落を心配するなんて、天が落ちてくるのを心配するようなものです。

 ところで、現在のわたしたちのための放漫財政で、将来の世代に負債を残すことは問題だという主張があります。しかし、財政出動によって経済を成長させることは、将来の世代にとっても大切なことです。年金の受取額に影響するからです。

 政府の年金改正法案は、インフレ率1.3%、実質賃金成長率2,5%が100年続くことを基準に計算されました。この数字が非現実的かどうかはさておいて、日本の経済が成長することは、将来の世代のパイを増やすことでしょう。

 また、デフレ不況はもう20年も続いています。長期的な問題です。デフレ不況からの脱却は、将来の世代にとっても問題でしょう。

 ただし、プライマリーバランスの実現を棚上げすることは、政治問題になるでしょう。緊縮財政派は、過去、財政再建を名目に消費税を増税しまた。

 しかし、「消費税増税に反対するブログ」の記事(http://anti-tax-increase.hatenablog.com/entry/2016/04/16/003549 )によると 実際の税金の使い道を調べると、消費税の税収の86%は、法人税の減税に使われました。1989年から2015年度にかけて国民が払った消費税の累計は304.8兆円なのに対して、法人税の減税分は累計で262.2兆円に達します。

 だから、緊縮財政派は、消費税減税や財政拡大に反対するでしょう。財政緊縮派のすべてとは言いませんが、彼らが財界の利益のために財政再建を利用したことを認めたくないからでしょう。
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これからのリベラル派(創発を生むミーム 2017/01/04号)
 創発を生むミーム 2017/01/04号の「これからのリベラル派」の全文記事です。
 
2017/01/04号
これからのリベラル派

 これからのリベラル派はどうすべきか。それを考えるには、その蹉跌(さてつ)の歴史を知らなければいけません。リベラル派の蹉跌は55年体制に始まります。

 この時代、ある意味、日本は安定した社会でした。安全保障の面では、米ソが対立した冷戦時代、対米追従の見返りにアメリカから援助を引き出しました。アメリカも同盟国が旧ソ連陣営に走っては困るから、同盟国に無理な要求をできませんでした。また、経済面では高度経済成長期であり、欧米の商品をロールモデルにして、それより少し品質の良い商品を努力して(定型化されたルーチンワークを熱心にくり返して)作っていれば、売れました。新商品の開発やそのためのマーケティングもデザインも考えなくてよい時代でした。

 指針は欧米が示してくれるから、考えなくてよい時代でした。(日本の政治経済にまったく戦略がなかったわけではありませんが)、定型化されたルーチンワークを熱心にくり返せば、なんとかなった時代だったのです。

 この時代にリベラル派がしたことは、自民党の改憲阻止です。リベラル派なのに不思議に思われるかもしれませんが、いうなれば、戦後体制の安定です。その背景には自民党の逆コース(戦前回帰)があるでしょう

 リベラル派の選挙戦略は、スローガンと組織票に頼ることでした。無党派層に憲法改正反対のスローガンを訴えながら、組織票を固めることでした。日本の将来をめぐって、与党と政策を戦わせるものではありませんでした。

 ところが、日米貿易摩擦の時代に移ります。冷戦も終わります。アメリカは同盟国だからともう手加減してくれません。手加減するには日本は大きくなりすぎました。また、バブルもはじけ、あれだけ世界を席巻した日本の商売もうまくいかなくなります。デフレ不況も続きます。失われた20年間です。

 国民は改革を求めています。安全保障と経済の面で。このふたつの立て直しが国民から求められす。ところが、リベラル派はそれに応えることができませんでした。それがリベラル派が日本で衰退した理由でしょう。

 リベラル派からの改革は以下の要件を満たさなれけばなりません。

 国民が自由に生き、理想を追求できる社会を目指すこと。別の表現をするなら、他人と違ってもしんどくない社会です。そうでなければ、リベラル派のアイデンティティーを失います。安全保障面からも経済面からも国民の幸福追求権を守らなければいけません。

 国の平和が守られなければ、国民は幸福に暮らせません。

 例えば、かつての自衛隊は力の空白を作らないことを目的としてました。力の空白とは、ある領域の軍事力が消失することです。

 普通、軍隊というと敵をやっつけるものです。どうして、こんな消極的なことが安全保障になるのでしょうか。強制力を持つ警察や裁判所がない国際社会では、力に物を言わせて、領土を奪うことがあります。韓国による竹島の占領だったり(韓国が竹島に軍隊を派遣した当時、自衛隊はなく保安隊でした)、中国による南沙諸島の占領(戦前は日本領ですが、ポツダム宣言の受託によって無主の土地となりました)です。これは倫理的に問題があるから起こる問題ではありません。シリアでは、ISILから奪還した領土をクルド人たちが自治領にすると宣言しました。単純に、戦国時代のように力で決まってしまうからです。そこで、日本のかつての方針は、日本の国土に自衛隊を置き、外国が占領する誘惑にかられないようにすることでした。

 逆に言えば、「日本が普通の国になる」とは、先ほど挙げた外国の例のように武力で問題を解決することになることです。国益のために武力行使するようになれば、戦後日本が平和国家として培ってきた国際社会における信用を損ねることになるでしょう。

「日本が攻めこまれた時はどうする、戦争できる国にならなければ」という意見もあるでしょう。これは、個別的自衛権の範囲であり、安倍首相のように集団的自衛権を認める必要はありません。これまでの日本ができたことです。

 もちろん、戦力があれば抑止力になる、だから、憲法9条を改正して自衛隊の枷をはずそうという意見もあるでしょう。憲法9条によって、自衛隊は必要最小限の実力しかもてません。必要最小限度の戦力とは、その時々の国際情勢や軍事技術から判断されます。また、敵国土の破壊のためにのみ使われる弾道ミサイル・空母・長距離爆撃機などは保有できません。憲法9条を改正したら、無制限の戦力を持てます。ただし、この場合、軍拡競争を東アジアで招くでしょう。日本の倍以上の経済力を持つ中国との軍拡競争に日本の勝ち目はありません。

 それから、武力で解決するのが普通の国というのなら、武力紛争が世界で頻発しているはずです。そうならないのは、国際的な問題解決の仕組みがあるからです。まず、世界大戦を再び起こさないという使命を帯びた国連があります。それから、東南アジア諸国連合やアフリカ統一機構など、地域間で話し合いで問題を解決する仕組みが出来上がっているからです(強制力がないため、万能というわけではありません)。話し合いで解決する仕組みがない東アジアの方が珍しいのです。

 安倍政権は、アメリカに日本を守ってもらうためにと、アメリカに軍事貢献をするために解釈改憲をしました。しかし、イラク戦争やアフガニスタン戦争など、アメリカが進んで世界に戦争を巻き起こしていることには、ほおかむりです。日本がアメリカに軍事貢献するとは、これらアメリカの戦争に日本が参加することです。

 しかし、主権を守るためのを除いて、国益のための武力行使をしない軍事力もあるのではないでしょうか。つまり、拒否権のための軍事力です。拒否権とは政治学の用語で権力によって強制されないことです。政治学では、権力とは相手の意に反することを強制することとされます。また、戦争とは、外交の延長であり、相手にわが意を強制することと定義されています。つまり、拒否権のための軍事力とは、外国から強制されないための軍事力です。なお、拒否権は軍事学では拒否抵抗とよばれます。

 また、憲法9条は、日本の自立を妨げる自虐的なものという意見もあります。しかし、日本にわが意を強制しようという外国の意思をくじくものなのだから、自立を妨げはしないでしょう。

 なお、拒否抵抗は軍事学における武力行使の一分類であり、安倍首相がよく口にする抑止力とは異なります。抑止力は、「(利益の係争があって:筆者注)費用と危険が期待する結果を上回ると敵対者に思わせることにより、自分の利益に反する行動を敵対者にとらせない」という意味です。一方、拒否抵抗は、「他国が武力攻撃を行った場合、あるいは政治目的達成のため威圧や恫喝を行った場合に、これを拒否し抵抗する機能」を指します。安倍政権が憲法解釈を変えるまで、自衛隊は拒否抵抗のための軍隊でした。この記事の拒否抵抗・抑止力の定義は「軍事学入門」(防衛大学校・防衛学研究会編)に拠っています。

 それから、中国が漁民に偽装した兵士を尖閣諸島に送ってくる、なのに防衛出動できないから、自衛隊法の改正が必要だという議論があります(そして、対策を明文化すると中国が裏をかこうとするから、政府にフリーハンドを渡すべきだと続きます)。しかし、これは自己解決できる議論です。中国のこの戦略は制限戦争の考え方です。制限戦争は冷戦時代に生まれた戦い方です。武力衝突がエスカレートすると核戦争になり、これでは共倒れだ。だから、限定した戦力で武力行使しようというのです。この場合なら、治安組織が出動する程度の武力行使にとどめようという考え方でしょう。だから、まっさきに出動するのは警察や海上保安庁になります。それで手におえなければ、自衛隊が治安出動することになります。なんのことはない、自衛隊が昔からできることです。裏をかかれるものでもありません。

 なお、リベラル派の一部は「自衛隊員は人殺し」という偏見があります。しかし、自衛隊は災害救出専門の装備を開発したり、演習を行っています。だから、人殺しというのはおかしいでしょう。ただ、「日本は戦争するのか」(半田滋)によれば、かつて航空自衛隊の幹部学校生選抜テストの2003年の論文テーマが「愛国心」だったことがあり、その時の主任試験官の一等空佐の所感に「ごく一部の受験生において、戦後のいわゆる自虐史観教育による影響から抜けきれず、その考え方を是とした者がいたのは極めて残念であった」とあったことがありました。自虐史観という右派の言葉を使って戦後の教育観を批判しているのだから、自衛隊のカルチャーがリベラルなわけではないでしょう。

 また、パイが縮小するデフレ不況下では、パイの奪い合いになり、他人を踏みつけにする者が得をする社会になりました。真面目に努力した者が報われる社会を目指すためには、経済成長が必要です。

 世論調査を見ると、選挙の時に国民が候補者を選ぶ理由に、大多数は経済を理由に選んでいます。国民は経済成長を望んでいます。

 安保法制や脱原発などの個々の政策で見ると、国民は安倍政権にノーと言っています。しかし、国民は経済政策に高い優先順位を付けており、自民党が選挙に勝っています。直接選挙では勝っているものが間接選挙では負けることをオストロゴルスキーのパラドックスと言います。リベラル派が自民党に勝つためには、経済政策でも自民党に勝てなければいけません。

 しかし、リベラル派の一部は、「経済成長なんてもう望めない」と経済成長策に反対です。その理由は、「日本経済は大きくなりすぎた」「経済成長を望んだからバブルが起きた、縮小均衡を望むべき」「経済成長を望むのは、(やましい商売をするのだから)日本人の好む美しい心情に反する」などが上げられます。

 しかし、2015年の一人当たりGDPで見ると日本はOECD加盟国(34カ国)の中で20位、世界全体でも24位と成長を望む余地があります。また、G7の中では最低です。例えば、世界5位のアメリカの一人当たりGDPは日本の1.7倍です。時間ばかりかけて、付加価値を生み出せていません。

 また、縮小均衡しようとすると、(目標値がどうあれ)経済がマイナス成長になるため、失業や派遣切りなどの問題が起きます。また、ネットの普及によって消費者の力がかつてないほど高まった現在、消費者を食い物にするような商売は、成立しがたくなっています。そして、商売を成功させることと、消費者の利益になることは相矛盾することではありません。例えば、ソフトバンクは楽天市場からシェアを奪うために、ヤフーショッピングの出店手数料を無料化しました。そのせいで、楽天市場より安価で消費者は買い物ができるケースがあります。

 もちろん、独占や不公正な競争や環境破壊や政界との癒着によって利益を得ることは規制されなければいけません。これらを認めると、消費者の利益にならないからです。しかし、テッセイ(7分間のうちに新幹線を掃除する会社)やプリウスというエコカーを世に送り出したトヨタなど、消費者の役に立って成長した企業はいくつも上げられます。シャープや三菱自動車のような問題のある企業も、かつては消費者から喜ばれた企業だったでしょう。

 先ほどのソフトバンクのように、他の企業を食うような商売はなくならないでしょう。しかし、それが消費者の利益になるのなら、それはけっこうなことではないでしょうか。

 リベラル派が経済成長を目指す点が合意できなければ、具体的な経済成長策で合意することもできないでしょう。

 なお、この場合の経済成長の目的は企業が利益を上げることではありません。例えば、企業は利益を上げるためにリストラをできます。しかし、世界不況の時のように日本中の企業がリストラに走ればどうなるでしょうか。実質賃金(物価の変動を調整した賃金。実際に物やサービスの購入に使えるお金)が下がり、失業率が上がります。その結果、消費は落ちこみ、景気は悪化します。個別の行動で見れば合理的なのに、全体で見ると不合理な行動を合成の誤謬と言います。企業の利益ではなく、実質賃金が上がることが目的です。なぜなら、そうすれば、個人消費が増え、それをあてこんで企業の投資が増え、結果、経済は好転し税収も増えるからです。

 実質賃金は安倍政権になってから4%程度落ちこんでおり、実質賃金を上げることは政治の課題です。野党が倒閣を狙うなら、国民の実質賃金を上げる政策が必要でしょう。また、金融緩和と財政出動によってデフレから脱却することも大切です。日本は需要よりも供給の方が大きいため、リストラ圧力がかかっているからです。これは賃金を低迷させます。

 デフレ脱却のための財政出動は、リベラル派からはばらまきという批判もあります。しかし、デフレは民間の設備投資や雇用の減少を招き、社会全体では需要の減少によって、景気の悪化を招きます。需要の減少を穴埋めするために政府が財政出動しなければいけません。もちろん、デフレ不況を克服したら、財政出動は止めなければいけません。デフレ脱却後も財政出動を続ければ、高インフレになって跳ね返ってくるからです。デフレにはデフレ対策、インフレにはインフレ対策を国民が選ばなければいけません。

 また、金持ち増税と低中所得者減税や社会保障の拡充によって格差を解消することも経済成長に必要です。消費が増えるからです。

 それから、信託された権力(権力とは相手の意に反することを強制させることです)や集められた税金を社会に還元されること。そして、権力や税金を私腹を肥やすために使った権力者を、国民が更迭できる政治体制であること。そうでなければ、不公平な社会になり、国が衰退します。「国家はなぜ衰退するのか」( ダロン・アセモグル ジェイムズ・A・ロビンソン 著)の中で、「包括的(この記事では社会還元と言葉をおきかえています)」「収奪的」という言葉で説明されています。

 公平な社会を目指すことは、政界と産業界の癒着をただすことでもあります。日本は、欧米のような個人の自由と権利を優先する資本主義国ではありません。政界と産業界が協力して産業を育ててきた開発志向国です。消費者の権利はおざなりにされました。癒着のない公平な社会を目指すには、個人が強くならなければいけません。

 リベラル派が政権の選択肢になれるほど復権するには、政権交代に見合うだけの政策が必要でしょう。国民の暮らしを守り豊かにするリベラル派の政策が必要です。もちろん、この記事に書いてあることを政治家がスローガンとして唱えても、民主党政権が国民の期待に応えられず信用を失ったように、後には失望が残されるでしょう。
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トランプ離れ(創発を生むミーム 2016/12/01号)
 創発を生むミーム 2016/12/01号の「トランプ離れ」の全文記事です。
 
2016/12/01号
トランプ離れ

 今年11月のアメリカ大統領選で共和党候補のドナルド・トランプ氏が民主党のヒラリー・クリントン候補を破り、当選しました。

「アメリカを再び偉大にする(Make America greatful again)」をキャッチフレーズに掲げ、支持者たちから「チェンジ! チェンジ!」と迎えられた当選でした。その背景には、日本以上の格差社会のアメリカでグローバルな繁栄から取り残されて没落した層が、なんとかしてほしいと切実に願い、既存の政治勢力の枠にはまらないトランプ次期大統領を支持したことがありました。

 さて、まだ就任式も終えていませんが、トランプ次期大統領の賞味期限切れは来るのでしょうか。トランプ次期大統領には支持離れを招く三つのアキレス腱があります。「アメリカを再び偉大にする」の戦略性の欠如、トリクルダウン政策、保護主義の大義名分の欠如です。

 トランプ次期大統領は「アメリカを再び偉大にする」をキャッチフレーズに大統領選を戦いました。選挙戦略としては成功でした。しかし、選挙が終わりホワイトハウスに入るなら、選挙戦略としてではなく、政治戦略としてこのキャッチフレーズを展開させなければいけません。具体的には、「現状の何が問題なのか」を見定め、「あるべき理想の姿」を描き、「理想の具体化のための政策」を定めることです。

 しかし、トランプ大統領は、自身のキャッチフレーズについて、支持者の心を満たして喜ばすことには使えど、具体的な政策として提示したことはほとんどありません。報道によれば、支持者もよく分かっていないそうです。また、このキャッチフレーズでは、大統領選の勝利演説では一回も触れられませんでした。今後、具体的な政策として発表された時に、支持者が思い描いていたものと食い違うかもしれません。

 例えば、支持者の落胆を誘うような、排外的で強硬なもの(支持者は選挙期間中のトランプ次期大統領の暴言は真剣なものではないと受け止めていました)かもしれませんし、支持者から賛同される現実的な内容かもしれません。もちろん、大統領選が終わってからどんな政策が下されるのかやきもきするより、最初から政策で選んだほうが、支持者には合理的だったでしょう。

 また、トランプ次期大統領は税制面ではトリクルダウン減税を取っています。所得税の最高税率を39.6%から33%に下げます。Tax Policy Centerの試算によると、減税の恩恵の半分は、年収70万ドル以上の上位1%の層が蒙るそうです。低所得層の所得税も無税になります。しかし、現在でも45%が所得税を払っていないのが、50%になると程度だと見積もられています。また、連邦税のうち相続税を廃止します。アメリカの税金は連邦税と州税の二本立てです。連邦税の相続税の税率は2015年で40%です。控除額(控除とは税金のかからない金額)は543万ドルです。アメリカの相続税は金持ちから取るものです。州税の相続税は変わりません。また、法人税を35%から15%に引き下げます。アメリカは日本同様、株主資本主義の国ですから減税分の儲けは株主に還元されるでしょう。

「夢と消えたトリクルダウン」でも触れたように、日本ではトリクルダウンは起こりません。アメリカの場合は調べていませんが、日本同様に、トリクルダウンは起こらないでしょう。アメリカの上位10%の層が、所得の50%、資産の70%を占めています。金融資産だけなら、上位1%の層が42%を占めています(いずれも2007年のデータ)。そうすると、トランプ次期大統領は格差解消を期待する支持者に対して、格差拡大の税制を与えることになります。

 トリクルダウン減税は選挙期間中に発表されたものです。もし本当に実施されるのなら、トランプ次期大統領にとって格差解消を願う支持者は、自身が権力を握るために暴言で気持ちよくさせる票でしかなかったのでしょうか。支持離れを招くでしょう。

 ちなみにヒラリー候補はトリクルダウンは起らないと発言して金持ち増税を公約しました。ただ、大統領選ではトランプとヒラリーのどちらがうそつきかというくくりで論じられていたので、有権者は政策で選べなかったかもしれません。

 また、保護主義の大義名分の欠如です。自由貿易は輸出入の双方の国の消費者にメリットになります。具体的には双方の国で、国民の消費が増えることです(経済学で扱う国の豊かさとは、国民の消費が増えることです。神の見えざる手で有名なアダム・スミスの時代からそうです。いくらお金を貯めても、使わなければ幸せにはなれないからです)。なぜ国民の消費が増えるのかというと、双方の国が生産性の高い産業に特化できるからです。自由主義にはこのように国を豊かにする大義名分があるのです。一方で保護主義にはそのような大義名分はありません(勝ち組負け組に分かれる副作用がある程度です)。そうなると、実際に保護主義を政策化して実行する段階で、自由貿易を掲げるグローバル派と衝突することになります。権力を駆使して実現することは可能でしょう。しかし、そうすれば、アメリカ国民を分断することになります。

 もちろん、グローバル派は負け組のことを自己責任で済ませていて、その負け組の労働者たちがトランプ次期大統領を支持したわけですが。負け組は市場からの退場をというのが自己責任の原則ですが、負け組だからといっても、人間は生きていかなければいけません。負け組の逆集です。

 それではTPPはどうなのか。TPPは純粋な自由貿易ではありません。ISD条項のような国の主権を制限する取り決め(国の規制が企業の損失になれば、世界銀行傘下の委員会に訴えて、賠償金を取れる制度)があったり、 規制整合性小委員会のようなグローバル企業が参加して規制撤廃を国に勧告できる制度(消費者団体は参加できないため、消費者の権利はおざなりにされます)があったりして、自由貿易ではない部分があるからです。

この記事はトランプ次期大統領の政策面を公開情報から分析しました。トランプ人事から今後を占う報道ならいくつもありますが、私にはそんなインサイダー情報はよく分からないので、分析から外しています。

 この記事が配信される時点でトランプ丸はまだ進水もしていません。それなのにもう賞味期限切れはどうなのかとも思ってしまいます。しかし、演説(と毒舌)で有権者の心を気持ちよくするだけでなく、ビジョンを具体的な政策の形にすることが民主主義国家の政治家には求められます。そうすると、トランプ次期大統領の政策には、具体性に欠け、支持者の意向に反し、国民を分断する面があることが分かります。アメリカ国民がこの問題に直面した時に、支持者のトランプ離れが起るかもしれません。もちろん、トランプ次期大統領の就任は来年1月20日、閣僚人事が決まり政策が動き出すのは、慣例では6月以降です。それまでに立て直すかもしれません。
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モラルある社会を願う(創発を生むミーム 2016/11/01号)
 創発を生むミーム 2016/11/01号の「??」の全文記事です。
 
2016/??/01号
モラルある社会を願う

 私利私欲で動く人間を教化するために、礼儀作法を身につけるべきだという意見があります。公徳心を育もうというわけです。公徳心とは、公共のためを思う心のことです。民主主義を機能させるためには、公徳心を持つ有権者が必要であり、公徳心の養成のための手段がマナーであったり、気づかいだという主張です。

 そんなに悪くない主張ですが、公徳心の養成方法に関しては異論があります。公徳心は社会への信頼がないと身につかないでしょう。それは、社会が自分を公正に扱ってくれるから、自分も社会を信頼して参加する意欲が湧くからです。

 つまり、政治家であったり、財界人であったり、キャリア官僚であったり、社会の要職につく者が、国民を公正に扱うから社会を信頼できるのです。

 それでは、現在の日本社会で公徳心を阻害する不公正にはどんなものがあるでしょうか。例えば、安倍首相の国民をだまし討ちする政治運営でしょう。2013年の参議院通常選挙の後には、秘密保護法を制定しました。2014年の衆議院総選挙の後には、安保法を制定しました。いずれも、安倍首相が争点にしなかったことです。

 もちろん、安倍首相を責めるだけでは片手落ちです。例えば、小泉政権時代には、競争を通じて供給力を増やすための構造改革なのに、その副作用の勝ち組と負け組がでるのが良いとされ、ひとを踏みつけにする風潮を生み出しました。他人をやっつければ、自分が勝ち組に入れると思われたからです。ことに(社会にぶら下がっているはずの)弱者をやっつけるのが良いとされました。例えば、集団暴行犯の大学生たちを現職の国会議員が「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい。まだ正常に近いんじゃないか」と称えました。レイプ犯が強者に思えたのでしょう。しかし、他人をやっつけても、(他人を引きずり落とすことで)相対的に自分が強くなるだけで、社会全体で見て、プラスにはならないでしょう。しかし、小泉首相(当時)は、勝ち組と負け組に分かれるのが良いと、その風潮を是認しました。

 また、20世紀の自民党政権は「民間の接待文化が官に飛び火した官官接待」「政治家と官僚が結託した利権誘導」などを生み出しました。いずれも社会の公徳心を損ないました。正直者がバカを見るというわけです。

 ハイカルチャーの役割は社会のロールモデルだと思います。そのメッセージが礼儀作法やマナーであっても、行動がそれを裏切っていたら説得力はゼロです。ハイカルチャーとは一般には純文学や芸術のことを指しますが、この記事では、公権力や公論の形成にたずさわる人々を含めます。権力者が権力を不正に使っているのに、国民がルールやマナーを進んで守ることはないでしょう。

 もちろん、政治家に権力を与えているのは有権者なのですから、安倍首相たち政治家を責めるだけでは問題は解決しないでしょう。もちろん、福島第一原発の原子力事故で政治家も官僚も東京電力も誰も責任をとっていないことを思えば、有権者の力にも限界があるでしょう。その原因は、与党も野党も原発を推進してきたため、有権者に選択肢が与えられないせいです。

 さて、こうやって政治道徳を説いていると「マキャベッリ以前じゃないか」と批判を浴びそうです。イタリア人のマキャベッリは自著の「君主論」の中で、政治道徳と権力を分けて考えることを説きました。しかし、これは君主が権力を握る方策です。マキャベッリはフィレンツェを支配する君主、ロレンツィオ・メディチに献呈するために君主論を書き上げました。

 例えば、00年代のころ、「日本の民主主義は失敗ではないか、古代ローマのような寡頭制を目指すべき」という意見がありました。みんなが自分勝手なばかりで、民主主義が機能しているないからです。しかし、アフリカには「民主選挙は一度だけ」という言葉があるそうです。建国して最初の選挙で大統領を選んだけれども、独裁政治になって何十年も続く、というわけです。だから、寡頭制政治に移行しても、民主選挙が行われなくなって、独裁制に移行するだけだったでしょう。そして、君主論が説いているのは、そんな独裁者が権力を握る方策なのです。

 民主主義では、政治家は権力を握るだけでなく、その権力を国民のために公正に行使することが求められます。つまり、信託された権力(権力とは相手の意に反することを強制させることです)や集められた税金を社会に還元しないといけないのです。そして、権力や税金を私腹を肥やすために使った権力者を、国民が更迭できる政治体制であること。これらは、一国の浮沈に関わる問題だという研究もあります。「国家はなぜ衰退するのか」( ダロン・アセモグル ジェイムズ・A・ロビンソン 著)の中で、「包括的(この記事では社会還元と言葉をおきかえています)」「収奪的」という言葉で説明されています。

 権力者は私腹を肥やすために権力を使うだけでなく、自分の権力の座を脅かす存在を蹴落とすために権力を使うこともできるのです。だから、独裁者のファミリー企業を守るために、ライバルとなる企業を妨害したり倒産させたりできるのです。ジンバブエの独裁者のモブツ大統領は、独裁者なのに宝くじで一等を当てたことがあります。もちろん、不正だと言われています。この風聞が本当なら、私腹を肥やすだけでなく、ライバル(財力を握れば力になります)の出現を阻止したと言えるでしょう。こんな社会は没落の一途をたどるでしょう(例外的に中国は共産党の一党独裁なのに高い経済成長を続け、いずれGDPでアメリカを抜くという観測もあります。中国の経済成長が今後も続くのかは私には分かりません)。

 例えば、橋下徹前大阪市長のように、政治を「きれいごとか実行力か」で二分して、実行力でなければいけないとする政治家もいます。しかし、実行力とは権力を握ることです。そして、きれいごととは、この記事で論じたように、権力や財源を国民に還元することであったり、私腹を肥やした政治家を更迭することなのです。きれいごとと実行力と両方を有権者は求めなければいけません。

 政治家が信託された権力や集められた税金を国民に還元する社会というのは理想でしょう。しかし、ただきれいごとなだけでなく、社会の繁栄にとっても大切なことなのです。そして、それは民主主義国では国民が望まないと始まらないことなのです。そして、そのような社会だから国民の公徳心が育まれるのではないでしょうか。

 最後に、道徳の乱れの原因が政治の乱れだけではないことも書き添えます。

 勝ち組をもてはやした時代には、その前段階として価値相対主義がありました。価値相対主義とは、正義のような価値は、個人の受け止め方次第、ひとによって違うという意見です。しかし、これは、最後には自己利益の追求に行きつきました。どんな道徳もケースバイケースで済ませられるなら、自己利益の追求の歯止めがなくなるからです。小泉首相が勝ち組と負け組に分かれるのが良いと説いたことは、自己利益の追求にお墨付きを与えたのです。

 それでは、勝ち組をもてはやし、弱者を踏みつけにする社会で、道徳を説くためにどんな行動をすれば良いのでしょうか。それは「困った時に力になってくれるものを大切にする」ではないでしょう。東日本大震災のような大災害のさいに自分を助けてくれるものだから、日頃から大切にできるのではないでしょう。

 もちろん、「困った時に力になってくれるものを大切にする」と言っても、良いことだけではありません。「影響力の武器」という本でも「返報性のルール」として指摘されているように、(恩返しをしない奴というレッテルを貼られると社会性を損なってしまうため)恩を受けた者が便宜を図ることを断りづらいのを利用して、恩を売るというケースがあります。個人間ではささいなことかもしれませんが、時に大事になることもあります。

 ノーベル平和賞を受賞したマララ女史の自伝「わたしはマララ」によると、7万人以上がなくなった2005年のパキスタンの大地震の被災者支援をテコに、イスラム原理主義勢力のタリバンがパキスタンで勢力を伸ばしたことが記述されています。タリバンの本拠はパキスタンの隣国のアフガニスタンにあり、9.11テロを起こしたアルカイダのリーダーの故オサマ・ビン・ラディンをかくまったため、アメリカと戦争になりました。また、タリバンはパキスタン国内でも戦争を始め、マララ女史も国内避難民としてふるさとを離れることになりました。

 だから、「影響力の武器」で指摘されているように、好意には好意で返し、承諾を引き出すための策略には好意を返さないという分別は必要でしょう。

 そして、ここでもやはり、出発点は国民の行動なのです。
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夢と消えたトリクルダウン(創発を生むミーム 2016/10/01号)
 創発を生むミーム 2016/10/01号の「夢と消えたトリクルダウン」の全文記事です。
 
2016/??/01号
夢と消えたトリクルダウン

 トリクルダウンという仮説があります(仮説とは科学用語で、こんなアイデアがあるが本当かどうかは確かめられていない、という意味です)。高所得層が富めば、そこから滴がしたたり落ちるように、低中所得層にお金が流れ落ちるという考えです。まだ、証明されたことはありません。しかし、このアイデアはアメリカを席巻して、レーガン大統領(当時)の経済政策となりました。また、日本にも入ってきて、小泉構造改革の時代に持てはやされました。トリクルダウンが働くから、勝ち組が富み負け組が衰えるのが良い、という意見です。

 一方、トリクルダウンは起こらないという意見もあります。スティグリッツ教授(ノーベル経済学賞受賞者です)はトリクルダウンが起こらない理由を次のように説明しています。

”下層から上層へ金を移動させれば、消費は落ち込む。なぜなら、低所得者より高所得者のほうが、所得に占める消費の割合が少ないからだ。

(中略)

 前述のとおりアメリカの上位1%の人々は、国民所得の約20%を稼ぎ出している。彼らの貯蓄率を20%、中下層の貯蓄率を0%と仮定し、国民所得の5%分を上層から中下層へ移転すれば(上層にはまだ15%分が残る)、総需要を”直接”1%押し 上げることができる。”

 しかし、どちらの意見も本当かどうか確かめられたわけではありません。こんなアイデアを持っています、というレベルなのです。

 そこで、トリクルダウンが起こるのかどうか検証するために、世帯収入別貯蓄率を調べてみました。高所得層ほど貯蓄率が低いのなら、所得が低中所得層から高所得層に移るほど、消費が増える、つまりトリクルダウンが起こることが分かります。逆に、低所得層ほど貯蓄率が低いのなら、トリクルダウンが起こらないことが分かります(個人収入ではなく世帯収入なのは、家計の実態により近いからです)。

 調査に利用した資料は「貯蓄率低下の背景-年齢・所得階層別の分析から-」(著 新堂 精士 )です。
→http://www.fujitsu.com/jp/group/fri/report/research/2005/report-244.html

 この資料では、世帯収入の区分に家計調査(総務省統計局)を利用しており、2003年のデータなら低所得者は世帯収入が445万円未満、中所得者は世帯収入が445万円以上950万円未満、高所得者は世帯収入が950万円以上を指します。

 なお、「taigaの挙げた資料には正解なんて書いていないじゃないか」というひとのために、先に書いておきます。この資料には正解は書かれていません。仮説(トリクルダウンが成り立つなら高所得層の貯蓄率はほかの階層より低いはずだ)を検証するためにデータを利用しているだけです。誰かが書いた正解を探すのが科学ではありません。日本では明治時代以来、欧米の科学研究を翻訳紹介して西洋文明を摂取することが重要な仕事だったため、(すでに欧米で研究済みだから)それを調べて翻訳することが科学だと誤解をされているのです。科学とは、仮説を立て、検証して仮説が成り立つのかどうか調べることです。欧米でも研究例がないのなら、自分で調べるしかありません。グーグル検索しても正解は出てきません。

 そんな過程なんてムダだ、正解だけが欲しいというひとは、次の段落の最初だけを読んでください。私の提示した正解が書いてあります。ただ、「その正解がどうして成り立つの?」と疑問の方のために、その正解にいたった根拠も後の段落に書いてあります。目を通すことをお勧めします。権威の授けてくれた正解をありがたがるひとには不遜に思える疑問ですが、正解を深く理解するためには欠かせません。

 結論から述べれば、トリクルダウンは起こりません。低中所得層より高所得層の方が貯蓄率が高いからです。

 低所得層の貯蓄率は2003年で約13%です。また、1990年から2003年までの調査期間中、常に貯蓄率は最下位でした。

 中所得層の貯蓄率は2003年で約25%です。また、1990年から2003年までの調査期間中、常に貯蓄率は中位でした。

 高所得層の貯蓄率は2003年で約30%です。また、1990年から2003年までの調査期間中、常に貯蓄率は最上位でした。

 厳密には特定年齢世帯の特定期間に限れば、順位が入れかわるケースもあります。しかし、全年齢の平均で見れば、調査期間のいつの年でも、順位の変動はありません。

 それから、1998年に所得税と住民税の最高税率が、合計50%に減税されました。それまでは65%でした。そして、高所得層の貯蓄率は変化は微増でした。税金が減ったからといって、貯蓄率が減り、その分のお金が消費に回る、ということはないようです。

 外国ではどうかまでは調べていませんが(これがトマ・ピケティなら過去300年のデータを20以上の国から集めて結論付けるところです。ここまでくれば普遍的な法則だとよべるのですが、私にはそこまでリサーチ力がありません)、このように、日本ではトリクルダウンは起こらないのです。2014年の総選挙の時、甘利経済産業大臣(当時)は何度もトリクルダウンが起こると発言しましたが、誤まりであることが分かりました(ただし安倍首相は選挙後にトリクルダウンは我々の政策とは違うと発言しました。また安倍政権のブレーンであり小泉構造改革の時代にトリクルダウンの旗振り役だった竹中平蔵氏も「「滴り落ちてくるなんてないですよ。あり得ないですよ」」と今は発言を変えました)。トリクルダウンを起こそうとすると、逆に景気を悪化させます。

 高所得層より低中所得層の方が貯蓄率が低いのだから、高所得層への増税を原資に低中所得層を減税したり社会保障を増やせば、経済が成長する可能性があります。ただし、お金の分配は、一時給付金の形ならば、消費を増やす効果はあまり望めないでしょう。1999年の地域振興券は約6000億円の財政支出に対して、消費の刺激は約2000億円ほどだったからです。恒久減税であれば、可処分所得(税金を引いた後の所得)の増加が将来に渡って望めるため、一時給付金より、消費を刺激する効果があるからもしれません。

再分配というと、お金持ちからとって貧困層に配るウィン・ルーズ関係であり、中所得層には無関係と思われがちです。しかし、トリクルアップ(貧困層に分配することによって下から上へ消費が滴り上がること)であれば、社会全体が利益を得られます。

 日本のジニ係数(格差の度合い)はOECD加盟国の平均より悪いです。日本社会のこの特徴は弱みであることが分かります。トリクルダウンは現実には起こらないからです。一億総中流社会という造語がありました。造語された当時はみんな等しく凡庸なんてと受け止められましたが、実際には強みだったのです。一方、勝ち組と負け組に分け、強い者が富栄えるとトリクルダウンが起こるから、社会のしくみを強い者に有利にしようという経済観は、現に強い者には良いが、社会全体で見ると、消費が減り経済成長を損なうでしょう。

 また、グローバル貿易によって国内の富が不均衡になっている問題への処方箋にもなります。日本だけに限らず、EUから離脱を決めたイギリスでも、トランプ旋風が起こったアメリカでも、グローバル貿易で富を築いた富裕層と、その恩恵にあずかれない労働者との対立が問題になっています。しかし、富裕層に増税され、低中所得層に所得移転されるなら、格差を緩和しながら、国内の消費市場を活性化できるでしょう(ただし、タックスヘイブンを用いた課税逃れが問題になるかもしれません)。

 ここで読者の注意を喚起したいことがあります。格差解消の大きな議論は日本では起きていないのに、高所得層への増税がすでに何度も実施されていることです。所得税の最高税率は40%から45%に引き上げられました(所得1800万円以上の場合)。地方自治体に支払う住民税と合わせると、最高税率は55%になります。また、高所得層の給与所得控除(控除とは所得のうち税金がかからない金額のことです)の上限が引き下げられ、1000万円以上の給与の場合、増税となります。相続税の増税もされ、最高税率が50%から55%に上がり(6億円以上の場合)、控除される金額も減額されました。

 そこで肝心なのは、高所得者に新たに課された税金は、低中所得層への減税や社会保障に回されなければなりません。そうでなければ、格差解消・経済成長の大義名分を果たせません。しかし、現実には、社会保障の充実を名分とした消費税増税が社会保障に回されなかったという事実があります。2014年の消費税の8.2兆円増税のうち、社会保障の拡充に回された金額が1.35兆円だったのです(他にも基礎年金の国庫支出に3兆円が使われていますが、これまでの財源からの置き換えです)。だから、高所得層への増税だけで満足してはいけません。ひょっとすると、高所得層が増税されたら、妬みの気持ちから拍手喝采するひともいるかもしれません。しかし、シロアリは、そんな気持ちを増税に利用するでしょう。
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マスゴミ退治(創発を生むミーム 2016/09/01号)
 創発を生むミーム 2016/09/01号の「マスゴミ退治」の全文記事です。
 
2016/09/01号
マスゴミ退治

 今年2月高市総務大臣(当時)がテレビ局の免許停止と停波を認める国会答弁をして、安倍首相もそれを肯定しました。自民党はマスコミへの介入を長年、続けており、政府がテレビ局に行政指導する、マスコミを呼んで抗議したり事情聴取をしたりしてきました。総務大臣の停波発言はその延長にあります。また、政治のマスコミへの介入は自民党単独のものでもありません。

 その背景には、国民のマスコミ不信があります。マスゴミとはマスコミへの蔑称です。マスコミが人権を侵したり、不当な報道ややらせをするから、そのように呼ばれるのです。

 2011年には、フジテレビが韓流ブームをねつ造しているという疑いを持たれました。関東ローカルに限って、韓流αといって韓流ドラマを平日昼の時間帯に数時間に渡って流す番組編成でした(すでに終了)。フジテレビの子会社は韓流音楽の権利を数多く持っており、韓流音楽が流行ると、フジテレビが儲かるビジネスモデルでした。一方、大阪では読売テレビが全国的な人気番組で司会者が韓流アルファを地上波でなくBSにすりかえる趣旨の発言をしており、ブームねつ造疑惑への火消しが疑われる番組内容でした。

 韓流αの放送について、コンテンツの代金が安いからだと経済的合理性を理由にフジテレビを擁護する意見もあります。しかし、それだけでは関東ローカルの全日帯で放送した理由を説明できません。経済的合理性というのは、ブームをあおって儲けることではないでしょうか。

 メディアにだまされないためにはどうすればよいのでしょうか。

 それなら、国がメディアを規制すべきという意見もあるでしょう。

 意外なことに、政府へのマスコミへの干渉は、世界的にも珍しいほど強力なものです。日本では、総務省が直接、テレビ局を管轄しています。国会図書館の調べでは、このような国は世界でも北朝鮮やベトナムぐらいです(どちらも独裁国家です)。日本は十分、国家がマスメディアに干渉する国なのです。

 国家によるマスメディアへの干渉といえば、戦前の日本がそうでした。大日本帝国憲法では、議会が法律を定めれば、言論の自由を制限できるとありました。また、実際にそのような法律が定められました。戦前戦中のマスコミが政府や軍部に協力的だったのはそのせいでもあるのです。

 高市総務大臣が停波の根拠としたのは、放送の公正さを求めた放送法第4条です。かつてこの条文は、倫理規定であって、罰則はありませんでした。罰則がない倫理規定の法律の例なら、憲法にある労働の義務、憲法尊重擁護義務、が挙げられます。なぜ、倫理規定なのかというと、罰則を設けて強制すれば、報道の自由を侵すからです。自民党もかつてはそのような解釈でした。現在は、放送法4条1項を根拠に放送事業者への行政指導を行うようになりました。

 ちなみに、なぜ倫理規定だったかというと憲法で保障された言論の自由を侵さないためでした。

 さて、マスゴミ退治のために、国家権力を強化すれば、それは戦前のように国家がマスメディアに干渉する国になってしまうことが分かりました。それなら、国民はどうやってマスメディアの不当な報道に立ち向かえば良いのでしょうか。現在、国民がマスメディアに立ち向かえる手段として、インターネットがあります。

 インターネットによって、個人は自分の関心にある問題を広く国民に知ってもらうことが、現実的になりました。例えば、2011年のフジテレビデモでは、フジテレビは自局でデモを放送もしないのに、局内からデモを撮影している様子が写真に撮られ、その写真がネットで配信されました。マスメディアが報道手段を独占していた一昔前には考えられなかったことです。

 それなら、このような国民の権力を強化すればよいのではないでしょうか。例えば、マスコミの報道からの引用を広く認めるのはどうでしょうか。

 ネットにおけるよくある情報の流れは、メディアが報道した内容がネットで取り上げられ、ネット上で拡散していくというものです。このようなネット上の拡散のためには、報道内容の引用が必要です。また実際問題として、(良い内容にしろ悪い内容にせよ)報道内容を他人に知っててもらうためには、引用が欠かせません。原発事故、TPP、フジテレビデモなどで偏った報道やほとんど報道に取上げられないことを、ネットで知ったという人も少なからずいるでしょう(ただし、私は自分の体験で説明しています。一般メディアが編集によって幅広い層をとりあげて報道されているのに対して、ネットの情報の入手は自分の好みにあうものに偏りがちなので、大多数に当てはまるのかは分かりません)。

 しかし、著作権法上、著作権の侵害をせずに引用をするためには、いくつかの条件を満たさなければいけません。そのひとつが、引用が従であり、本文が主であることです。例えば、報道番組の内容を動画サイトにアップロードして、それにひとつふたつコメントをつけても、それは引用が主であり本文が従であるため、著作権の侵害になります。

 そこで、引用が主、本文が従でも著作権を侵害しないと法律を改正するのです。これなら、個人によるメディア監視が容易になります。それが無制限な引用につながるから問題なら、引用の例外規定にして、非商用に限ってとか、番組の放送時間や紙面の5分の1以下に限ってとか、制限を満たせば、引用が主でも認められることにすれば良いでしょう。(現在の法律では引用の条件をすべて満たせば、商用でもよく、また、分量に制限はありません。引用のための他の条件は、出典が明記されること、引用部分が明示されること、報道・批評・研究など正当な目的があることなどです)。

また、国連も日本政府のメディア統制を懸念しています。国連から勧告があり、国がメディア統制の法的根拠にしている放送法第4条の廃止を提案しています。同じ勧告の中で、ネットは自由が守られているとあります。しかし、これは政府がネットの自由を擁護しているからではないでしょう。単純にネットにまで、まだ政府の統制が回っていないのでしょう。リアルとネットの境界線では、リアルのメディアの報道内容がネットにアップロードされ、SNSを通じて拡散しています。そして、リアルの人々のクチコミが生まれています。

 著作権法の強化を図るなら、このような情報の流れを窒息させないことは、国民の利益にかなうでしょう。例えば、TPPでは著作権が非親告罪化されます。著作権者の許可を取らずにコンテンツをネットで配信すれば、警察が問答無用で摘発できるようになります。司法がネットの情報の流れを窒息させるでしょう。ただし、日本のTPP法案では、原則親告罪、海賊版に限って非親告罪なので、今のところ、その懸念は薄いでしょう。

 マスゴミ退治を政府に求める国民の動きは、マスコミ憎しが原動力です。憎しで動いて、かえって国を損なった例としては、刑事裁判とその報道においての、容疑者へのバッシングが挙げられます。00年代のころです。その背景に、容疑者が保護されるほど被害者が保護されないという問題がありました。例えば、強姦事件で被害者が法廷の場で証言しなければいけないのに、容疑者に保護を与えないといけないのはどういうことだという意見です(現在は被害者の周りに衝立を立てて、容疑者と顔を合わせないようにしたりします)。このバッシングは容疑者へ重罰を与えるという流れになりました。容疑者への保護を減らせば、見かけ上、被害者への保護と釣り合います。しかし、これでは被害者への保護そのものはおざなりにされます。一方、刑事裁判において重罰化の流れが加速され、刑務所が一杯になり、更生教育に支障をきたすという問題が起こりました。

 マスコミ批判も、その手段が政府へのマスメディアへの介入となれば、国を損なうでしょう。それよりは、国民にもっと権力を与えるべきでしょう。
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オバマ広島訪問の政治的資産の活用(創発を生むミーム 2016/08/01号)
 創発を生むミーム 2016/08/01号の「オバマ広島訪問の政治的資産の活用」の全文記事です。
 
2016/??/01号
オバマ広島訪問の政治的資産の活用

 オバマ大統領が被爆地の広島を訪問しました。原爆で亡くなった方たちを追悼するためです。被爆者を抱擁したり、核兵器のない世界を訴えたり、記憶に残るようなものでした。この訪問について、謝罪がなかったり、長崎は訪れないのかという批判もないわけではありませんでした。しかし、核兵器の廃絶という点で見れば、進展はなかったでしょう。

 それよりも、オバマ広島訪問の見逃せない点は、日米の友好関係の深化です。日米安保条約が結ばれた時は「お見合い結婚のよう」と言われた日米関係がここまで来たのです。2004年にシュレーダー首相がノルマンディー上陸作戦記念式典でシラク仏大統領と抱擁を交わし、フランスの新聞は「今日が本当の終戦の日」と書いたことがあります。オバマ大統領と被爆者の抱擁は、それに匹敵するでしょう。

 外交は相互的に進められます。オバマ大統領が広島訪問という譲歩(日本に花を持たせたわけです)をしたのなら、日本もそれ相応の譲歩があっても良いでしょう。そのお返しは首相のハワイの真珠湾訪問でしょう。

 ところで、オバマ大統領の広島訪問は、日本とアメリカが同盟国だったから実現したことでしょう。それならば、他の国と同じことができないでしょうか。例えば、中国です。中国も核保有国です。中国の首脳の広島訪問も意義のあることです。それならば、日本側は何をすれば、中国と対等と言えるでしょうか。それは、南京大虐殺記念館の訪問でしょう。南京大虐殺記念館と聞くと「反日施設でしょう」と返事が返ってきそうです。しかし、南京大虐殺記念館は、熊本大地震のさい「熊本県日中友好協会の関係者が20年以上、毎年欠かさず同記念館を訪れ、犠牲者を追悼してくれている。熊本の皆さんのことを心配している」というコメントを出しました。南京大虐殺記念館は中国の愛国教育の拠点とされていますが、一概に反日と決めつけられるものではありません。

 もちろん、これは政冷経熱(政治的には対立していても経済交流を深めること)の下、民間外交の成果でしょう。中国では、親日派と見られることは、政治的な自殺とされる、それどころか、日本に興味を示すだけで売国奴とバッシングを受ける空気があると聞きます。だから、日本の首脳の南京大虐殺記念館訪問だって、政治的に利用されるかもしれません。しかし、相互的なものであれば、その懸念も少なくなるでしょう。

 もちろん、日本人と中国人はお互いに嫌いあっているのだから簡単なものではないでしょう。日本のNPO法人「言論NPO」と中国の英字紙・チャイナデーリーが共同で行った2014年の世論調査によると、中国に良くない印象を持っている日本人の割合が93%、日本に良くない印象を持っている中国人の割合は86.8%です。だから、日本の努力だけでは成立しないでしょうが、日中関係が好転すれば、安全保障にも寄与するでしょう。

 さて、アメリカ大統領や中国の首脳の広島訪問から視野を広げると、また別のものが見えてきます。核クラブの五大国(核不拡散条約で核の保有を認められた国々のこと)の首脳の広島訪問です。つまり、ロシア・フランス・イギリスの大統領や首相の広島訪問です。もちろん、核兵器の保有は国際社会において大きなパワーであり、核クラブ諸国の首脳の広島訪問をしたからといって、それが核兵器の全廃に結びつくものではないでしょう。しかし、核兵器が廃絶されるなら、核五大国の首脳の広島訪問はどこかで通り過ぎる里程標になるでしょう。

 オバマ広島訪問の政治資産をどう活用するのかという議論はあるでしょう(もちろん、オバマ大統領や被爆者を政治利用することへの遠慮もあるでしょう)。それなら、核廃絶の進展のために利用するのが筋でしょう。被害者と加害者が手を携えて相互理解を進めてこそ、未来志向の政策が実現するのではないでしょうか。また、そう考えると、オバマ大統領の広島訪問も、核クラブの国々の首脳の広島訪問の第一歩と位置付けられるでしょう。
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