- ストーカー被害にあってまして
-
2012.05.16 Wednesday今朝のツイートにあわせて、この場からからみなさんにご報告したいことがありあます。詳しいことは後でまとめます。
昨年の11月に「格差が拡大すると、この社会が崩壊します」としゃべりクチコミで広めると決めた都合上、わたしに関する町の噂の流れも、京都の町を歩きながら調べていました。といっても、聞きこみをしていたわけではなく、町の空気を読んでいたのです。
その過程で浮上したことは、わたしの身辺に複数のストーカーがいたことです。どうも空気を読むと、近づき方が分からないストーカーではなく、わたしとひとのつながりがあるとフレームを立てるために、ストーキングをしているようでした。
その中には、わたしの記憶が正しければ、10年ぐらい前に桂大橋西詰からトラックを降りてわたしに因縁をつけてきた運転手、保健福祉施設の待合室で因縁をつけてきた警備員、サイクリング中に横を通り過ぎるからベルを鳴らして警告をしたら罵声を浴びせてきた夫婦連れらしき男性などがいました。わたしの記憶が正しければ、在学中に因縁をつけてきた銀行の警備員までいました。
おまけに町の空気を読むと、わたしがこんな人間のことを覚えていないから、わたしが嘘をついており、そして、こんな人間たちはわたしから顔を覚えられていないけれども、わたしとひとのつながりがあるんだと思われているようでした。
自分で書いていて理屈が通らないのは分かります。けれども、町の空気を読むと、わたしがあいさつにあいさつを返すから、あいさつを返された人間はわたしから相手にされているけれども、わたし自身は盲目なんだと、噂されているようなんです。ストーカーたちの挙動を観察すると、わたしの死角になる背後やななめ後ろ45度の角度からわざとストーキングしておいて、わたしが気付かないでいる(本当は気付いていても黙殺しているわけですが)のを、目が見えないと言いふらしたり、分からないんだと言いふらしてるようでした。
「目が見えないのにどうして云々が分かるんだ」と疑問を抱くひとがいたら、嘘を信じこんでいるわけですから、嘘で操られるのも簡単な道理なわけです。それから空気を読むと「分からない」という単語にもいくつもの含意があって「分からないから顔を覚えていない」のと「フレームが理解できない人間だからフレームを立てて利用できるんだ」と二重の意味でストーカーたちは使っているようなんです。それで世間にはわたしが「分かっていない」から嘘をついておりストーカーたちはわたしとひとのつながりがあると錯誤する一方、鼻からフレームを立てるつもりストーキングをしている人間同士は、騙されている人間の前でも「(フレームが)分からない」のだと、認識を確かめあっているのではないでしょうか。
脱線ついでに書いておきますと、4月18日に隣の家のベランダに投げ文を入れたのも、てっきり、騙されてストーカーの片棒をかつがされているタイプの人間だと思っていたからなのです。あいさつを返されているからわたしから相手にされているけれども、わたしは目が見えないと言いふらす人間を信じる人間とは共通の認識がないからから、対面コミュニケーションが成り立たないと考えていました。また、信じ込んだ嘘から判断して腑に落ちないことがあれば、嘘を信じ込ませたストーカーに判断を委ねるだろうとも推測しました。人間ってそんなものです。マスコミケーションにおける二段階理論といって、物事の判断をコミュニティーのリーダーに委ねるわけです。
それで投げ文ならどうだろうかと、これまでと違った頭の回路を働かせるコミュニケーションなら、嘘を信じ込んだ自分の姿を冷静に判断できるのではと考えたからです。投げ文の音に気付いてベランダに出てきても紙を拾わなかったから、ツイッターを利用して拾わせました。ところがこのストーカーは、マンション内でのエレベーターに乗り合わせた時や扉越しの応対ではカツラをつけシークレットブーツを履いて姿を変えておきながら、京都駅前のヨドバシカメラの一階ですれ違った時には、はずしていました。エレベーターで乗り合わせた時には、複数の友人がいる自室に入っていったので、その友人たちになんと説明しているのかは、わたしには分かりません。簡単にいうと、こうやって騙されていることにわたし自身気付いていなかったので、悪質なストーカーだと判断できなくて。気付いていたら、投げ文なんてしませんでした。ちなみに投げ文の時、近くの集合住宅の窓からわたしの様子をうかがっている人影がありました。わたしがそちらに顔を向けると、慌ててカーテンの陰から姿を消したので、ストーカーのひとりではと疑っています。これらの件も、警察に被害届を出して捜査してもらいます。
この一件についての軽犯罪法違反については、弁護士を立てて無罪を勝ち取るつもりでいます。脱線を終わります。
こんな理屈の通らない噂自体、わたしへの言いがかりだと思います。いずれ警察に被害届を出して捜査してもらうつもりです。それから、このブログから「格差が拡大すると、この社会が崩壊します」と公表してクチコミで広めた成行き上、犯罪被害者向けの司法当局の情報公開制度を利用して、世間の誤解を解くために、ストーカーについての情報をこの場から報告することにします。
実はこのストーカー事件、大変な事件性に発展する可能性があるのです。ストーカーたちが幼稚園児ぐらいの小さなの子供を連れ回しているのを今年、何度も目撃しました。どうも推測すると、わたしが小さな子供は挙動が読めないからと町の通りすがりに見かけた時に注意を払うから、わたしが小さな子供に注意を払ったことをわたしから相手にされているとフレームを立てられるように、小さな子供を連れましているのではないかと思われるのです。京都駅前ヨドバシカメラの地下一階の食料品スーパー前の休憩所にその子供が保護者もおらずにひとりで立っている姿も、今年、目撃しました。これはもう児童虐待です。
それだけでも冗談事ではないのですが、去年の11月ごろに家の近所の創価学会の施設の路上で、その子供を見かけた記憶があるんです。11月の冬の晩なのに薄着で、どうして夜の教団施設に小さな子供がいるんだろうと疑問に思ったのを覚えています。その時、中年女性ふたりがその子供に付き添っていたんです。夜のことなので顔までは覚えていないのですが、その子供を連れ回していた女性ストーカーではないかと思えてきて。この件についても警察に被害届を出した時に捜査してもらうことにします。
- 11月30日の投書の説明
-
2012.05.14 Monday昨年11月30日の投書の郵送先とこの投書の芸術性について説明します。
わたしは昨年11月30日に複数の政治家や実業家宛てに投書を郵送。その投書のスキャン画像をこのブログ記事から配信しました。郵送先の選定にあたっては、ふたつの基準から選びました。ひとつは郵送先は公的な機関であること。後になって受け取っていないととぼけにくいようにです。もうひとつは、受け取った事実がクチコミで広がりやすいような郵送先であることです。
脱原発より脱■■ 門川大作へ
京都市庁舎に郵送しました。
ひとを政治利用するのが賢い生き方です 橋下徹へ
大阪市庁舎に郵送しました。当時の状況を説明すると、橋下徹氏は大阪市長選に勝利していました。けれども、市長就任式はすませていません。橋下徹氏が就任式をすませるのは、郵送から一週間あまり後のことです。つまり、このブログ記事の配信から数日の間は、まだ、橋下徹氏の手にはわたしからの投書は渡っていなかったのです。無事に投書が橋下徹氏の手に渡っているなら、就任式の後のことになります。ひょっとしたら、市長就任後の最初の引き継ぎの時に、大阪市役所の役人から渡されているかもしれません。これは偶然のことです。わたしは就任式がまだなのに気付いていなかったのです。
時流に合わせるのが得意です 三木谷浩史へ
楽天本社に郵送しました。
メガ・ソーラーより犬が好き 孫正義へ
ソフトバンク本社に郵送しました。
ユッケは政治利用できましう 蓮舫へ
参議院議員会館蓮舫事務所に郵送しました。当時は部屋割りに番号があることを知りませんでした。
わたしは浜岡原発運転停止を政治利用しました 菅直人へ
菅直人前首相の議員会館室である衆議院第1議員会館512号室に郵送しました。
演説に失敗しました 前原誠司へ
京都市左京区にある前原誠司事務所に郵送しました。他の国会議員と違って地元の選挙事務所を郵送先に選んだのは、受け取った事実が明らかになった時にクチコミで広がりやすいと考えたからです。
わたしはピエロです 小泉純一郎へ
小泉進次郎氏の議員会館室である衆議院第1議員会館327号室に郵送しました。手紙の送り先としては明らかに間違っています。父親宛ての手紙を息子だからといって送るのはおかしな話です。だけど、世襲議員だから、これぐらいいいかと考えました。当時は小泉純一郎氏に所属事務所があるとは知らなかったのです。
牛肉の検査はしません 嘉田由紀子へ
滋賀県庁舎に郵送しました。
さて、わたしの一連の投書は落書きではなく、前衛芸術です。落書きだと思われたら、前衛芸術に不可欠な能書き(このブログ記事がまさに能書きにあたります)が欠けていることを割り引いても、わたしの筆力不足のせいです。この芸術によって表現したかったことは関係性です。このブログから配信した記事はクチコミによって広がります。これは関係性です。また、投書を受け取った人間から周囲にクチコミでも広がるでしょう。あるいは、ブログ記事を読んだひとからクチコミで聞いた人が、クチコミを通じて、投書を受け取ったひとに事実関係や感想を尋ねるかもしれません。すべては関係性に中にあります。噂とは元来、無責任なものです。尾ひれがつくこともあれば、嘘が広がることもあります。それなら、クチコミを通じて噂が広がる中で、誰かが話を広げたり、嘘をつくために、噂を利用するかもしれません。それなら、そこから先のクチコミは、風呂敷を広げた話や嘘にすり替わっているはずです。すべては関係性の中にあります。わたしの一連の投書が表現したかった芸術は、このような関係性なのです。
さて、先ほど、投書の芸術性が理解されず落書きだと思われたら、わたしの筆力不足のせいだと書きました。創作にあたって手本にしたのは、二条河原の落書です。最後に全文を引用して締めくくりたいと思います。
二条河原の落書
此頃都ニハヤル物 夜討 強盗 謀(にせ)綸旨
召人 早馬 虚騒動(そらさわぎ)
生頸 還俗 自由(まま)出家
俄大名 迷者
安堵 恩賞 虚軍(そらいくさ)
本領ハナルヽ訴訟人 文書入タル細葛(ほそつづら)
追従(ついしょう) 讒人(ざんにん) 禅律僧 下克上スル成出者(なりづもの)
器用ノ堪否(かんぷ)沙汰モナク モルル人ナキ決断所
キツケヌ冠上ノキヌ 持モナラハヌ杓持テ 内裏マシワリ珍シヤ
賢者カホナル伝奏ハ 我モ我モトミユレトモ
巧ナリケル詐(いつわり)ハ ヲロカナルニヤヲトルラム
為中美物(いなかびぶつ)ニアキミチテ マナ板烏帽子ユカメツヽ 気色メキタル京侍
タソカレ時ニ成ヌレハ ウカレテアリク色好(いろごのみ) イクソハクソヤ数不知(しれず) 内裏ヲカミト名付タル
人ノ妻鞆(めども)ノウカレメハ ヨソノミル目モ心地アシ
尾羽ヲレユカムエセ小鷹 手コトニ誰モスエタレト 鳥トル事ハ更ニナシ
鉛作ノオホ刀 太刀ヨリオホキニコシラヘテ 前サカリニソ指ホラス
ハサラ扇ノ五骨 ヒロコシヤセ馬薄小袖
日銭ノ質ノ古具足 関東武士ノカコ出仕
下衆上臈ノキハモナク 大口(おおぐち)ニキル美精好(びせいごう)
鎧直垂猶不捨(すてず) 弓モ引ヱヌ犬追物
落馬矢数ニマサリタリ 誰ヲ師匠トナケレトモ
遍(あまねく)ハヤル小笠懸 事新キ風情也
京鎌倉ヲコキマセテ 一座ソロハヌエセ連歌
在々所々ノ歌連歌 点者ニナラヌ人ソナキ
譜第非成ノ差別ナク 自由狼藉ノ世界也
犬田楽ハ関東ノ ホロフル物ト云ナカラ 田楽ハナヲハヤル也
茶香十炷(ちゃこうじっしゅ)ノ寄合モ 鎌倉釣ニ有鹿ト 都ハイトヽ倍増ス
町コトニ立篝屋(かがりや)ハ 荒涼五間板三枚
幕引マワス役所鞆 其数シラス満々リ
諸人ノ敷地不定 半作ノ家是多シ
去年火災ノ空地共 クソ福ニコソナリニケレ
適(たまたま)ノコル家々ハ 点定セラレテ置去ヌ
非職ノ兵仗ハヤリツヽ 路次ノ礼儀辻々ハナシ
花山桃林サヒシクテ 牛馬華洛ニ遍満ス
四夷ヲシツメシ鎌倉ノ 右大将家ノ掟ヨリ 只品有シ武士モミナ ナメンタラニソ今ハナル
朝ニ牛馬ヲ飼ナカラ 夕ニ賞アル功臣ハ 左右ニオヨハヌ事ソカシ
サセル忠功ナケレトモ 過分ノ昇進スルモアリ 定テ損ソアルラント 仰テ信ヲトルハカリ
天下一統メズラシヤ 御代ニ生テサマザマノ 事ヲミキクゾ不思議ナル
京童ノ口ズサミ 十分ノ一ヲモラスナリ
- 格差社会の中でメディアは国民を分断する
-
2012.05.14 Monday格差社会の中でメディアは国民を分断する。これは内部リークは一切なく、考察によった記事です。メディアが格差社会の中で財務官僚の権力を守るために、これまでにメディアが築き上げた情報格差を利用して、国民を分断できることを論じました。
別の記事に書いたように、財務官僚の権力は大変安定したものです。その財務官僚の人事権を握る法で定められたポストが財務大臣です。また、財務大臣を任命する法で定められたポストが総理大臣です。それなら、国民が望めば、政治家を通じて財務官僚を掣肘できるに違いありません。そのためにはどのような手順を踏めばよいのでしょうか。国民はマニフェストを選んで、ある政党を勝たせます。そのマニフェストには、インフレ・ターゲットの採用や、税制改革を通じて税の公平性を達成させることが目標として掲げられています。そして、国民が勝たせた政党の党首が組閣して、公約に掲げた目標に取り組みます。
それでは、格差社会の中で財務官僚につながりを持ちたいメディアは、財務官僚のために何ができるのでしょうか。財務官僚を掣肘するマニフェストを掲げた政党を勝たせないことです。そのためにメディアができることは、国民を分断することです。
昨年、花王デモのおかげで現在の日本のメディア・コングロマリットがどんな国民の分断をやっているのかを説明することができました。関東地方ローカルで韓流番組を放送しながら、全国向けには韓流ブームが流行していると報じました。そして、花王デモのような大衆ムーブメントが起こると、東京では放送されないけれども全国各地では放送される、そんな大阪のローカルテレビ番組を通じて、関東ローカルの韓流番組を観たことがない全国の国民に向けて、東京で問題にされているのは衛星放送だと、嘘をつきました。わたしもフジテレビ騒動が起こるまで、韓流番組といえば、NHKと地元京都のKBSが放送する韓流番組しか知りませんでした。
全国的な格差の解消運動が起これば、格差社会の中で権力やお金が欲しい人間は、財務官僚にすり寄ると書きました。それなら、そんな人間や財務官僚や守るために、国民を分断するのが、格差社会の中でのメディアの役割になります。そんなメディアは、国民が有権者意識を持たないようにひとりひとりはちっぽけな存在だと思わせたり、あるいは、ひとを惹きつけ従わせる紫の力のような大衆ムーブメントによって国民がひとつにまとまらないように、国民の総意からはそっぽをむけられるような偏見からの運動だと思わせて、国民を分断したいのです。
- 国民的な格差解消運動が進むと、どうして財務官僚にすりよる人間が現れるのか
-
2012.05.14 Monday私は昨年、国民的な格差解消運動が進むと、どうして財務官僚にすりよる人間が現れると、このブログの記事に書きました。どうしてそうなると判断したのか説明します。
分かりやすくイメージできるように、最初に官民格差の原因から説明します。官僚は国民から税金をとって国庫に納入します。そこから、自分たちの給料を受け取ります。この給料は、国民のうち、一流企業の勤労者の給与水準から定められます。そして、税金だから給料の受け取り損ねはありえません。分かりやすく言うと、国民全体から税金をとりながら、国民のうち最良の部類を基準に、給料を受け取っているのです。
この官民格差の仕組みのように、税金を都合よく利用できれば、それが格差なのです。そして、財務官僚は増税を通じて、格差を拡大させられるポジションにいます。2010年夏の参議院通常選挙の民主党マニフェストのように、財務官僚は増税案の取りまとめに影響力を持っているからです。
ところで、財務官僚の権力は法で定められたものです。だから、この権力は安定したものなのです。同じように法で定められた権力を持つ政治家は選挙があるため、有権者からの支持を失うと権力を手放すことになります。この点、財務官僚は選挙の洗礼を浴びないため、同じ法で定められた権力を持つ政治家と比べて、ずっと安定したものなのです。
有権者からの支持を取り付けなければいけない政治家よりずっと安定した権力を持ち、増税を通じて格差を拡大させる影響力を持ち、おまけに税金の分配にも影響力を持つ財務官僚は、格差が拡大する社会の中でお金持ちになりたかったり、権力を握りたい人間にとって、ぜひとも人脈に加えたい存在なのです。分かりやすく言うと、税金というとりはぐれのない財源を握り、おまけにその権力は政治家のように失墜することがないからです。
昨年、日本の格差社会の仕組みを分析しているうちに、このような推測を立てました。まさか、白蟻12兆円のような話があったとは知りませんでした。税金や国庫の仕組みや、公開されている財政制度分科会の審議録から分析した2010年夏の参議院通常選挙の民主党マニフェストの舞台裏や、政治学があつかう法の安定性の知識からの分析です。内部リークは一切、ありません。
- 社会の破たんに賭けて大儲けできるのが現代の金融工学
-
2012.05.14 Mondayわたしたちは2008年に世界が変わったことを理解しなければいけません。これは、2001年3月11日のアルカイダによる同時多発テロがちっぽけな物に思えるような社会の変化なのです。2008年のアメリカの住宅バブルの破たんによって、ジョン・ポールソンの主宰するファンドは150億ドルを稼ぎ出しました。ジョン・ポールソン個人への論評はこの記事では控えます。投資家が社会の破たんに賭けて大儲けできるのが、現代の金融工学なのです。わたしたちは、自分たちの住んでいる社会が昔とは変わったことを受け止めなければいけません。
弱気筋の投資家とは、バブルに懐疑的で投機にしりごみする人物だと思われていました。ジョン・ポールソンもそんな投資家のひとりでした。ところが、2008年にそんな弱気筋の投資家のジョン・ポールソンが1年間に150億ドルを稼いでから、弱気筋の投資家の意味が変わりました。社会の破たんに賭けて投機を打つ人物、それが弱気筋の投資家の姿になったのです。わたしたちは、自分たちの住んでいる社会の姿を正しく理解しなければいけません。
CDSは債務破たんに賭けるギャンブルです。CDSは保険の一種です。わたしたちが保険と聞くと、事故や災害で困った時に支払われるものだと連想します。けれども、保険を発行する側から見ると、事故や災害が発生しないことに賭けて保険を販売しているのです。もちろん、事故や災害の発生率を統計から導き出して、保険料率を決めています。けれども、アメリカの住宅バブルの破たんする確率は導き出しようがありません。こんなCDSを発行することはまさに、ギャンブルです。
ジョン・ポールソンが購入したCDSを販売したドイツ銀行は、住宅市場を楽観視する欧州のある年金ファンドの要請で、CDSの販売を代行しました。この年金ファンドとジョン・ポールソンの間でギャンブルがあったのです。胴元がドイツ銀行、チップがCDSです。そして、サブプライム・ローンを返済できなくなった一般人や、販売した証券やCDSの支払いをできずに破たんした証券会社の発生によって、ジョン・ポールソンは大儲けできたのです。
最近、国家の債務破たんを懸念するニュースがいくつもあります。欧州のユーロ危機もそうです。それから、日本の国債の債務不履行を懸念するニュースもあります。そんな折、弱気筋の投資家たちは、2006年のジョン・ポールソンがそうだったように、CDSの買い時期を見計らっているのです。
こんな文章を書いているわたしが「悪魔が来りて笛を吹く」みたいに思われなければよいですが。わたしは今年の元旦に「格差が拡大するとこの社会が崩壊する」としゃべりました。人間は形にしてイメージできるものでないと、理解が進みません。そこで、現代の金融工学のありのままの姿を説明することにしました。
- 経済学の教科書を書き換える
-
2012.05.13 Sunday経済学の教科書を書き換えなければいけません。経済学の教科書は、マクロ経済学とミクロ経済学で扱う前提が異なります。マクロ経済学の前提は、資源を有限なものであることです。例を挙げれば、GDPや税金です。ミクロ経済学の前提は資源を無限なものであることです。どうしてかというと、生産や取引によって、増やすことができるからです。けれども、世界不況によって2京円が失われるぐらい、グローバルなものになった金融市場は、有限な資源をあつかっているとみなさなければいけません。また、大飯原子力発電所がチェルノブリ原子力事故なみの事故を起こせば、GDPのおよそ2割以上が失われると試算されています。ミクロ経済学の扱う市場経済も、やはり、有限な資源なのです。
また、市場経済に関する俗説も改めなければいけません。競争に勝ち抜いた企業が強く巨大になることが、市場経済の利点であるかのように語られています。けれども、ミクロ経済学は市場メカニズムが正しく機能すれば、価格が原価まで下がると説明しています。独占企業や寡占企業によって市場メカニズムが働かなくなれば、価格は下がりません。それなら、企業が強く巨大になることを市場経済が円滑に働いている指標にすることはできません。消費者の利益にかなう別の指標を探さなければいけません。消費者からそっぽを向かれた企業が市場から撤退しなければいけない経済市場が、健全な市場経済と呼べるのではないでしょうか。
それならどうして、世界的に独占企業や寡占企業の出現が望まれているのでしょうか。外国との競争に勝つためにほかなりません。国際貿易の自由化が進められているからです。独占企業や寡占企業の出現が予期される現在の国際貿易は、不健全な市場経済であると言えます。
一例を挙げれば、TPP交渉にも含まれているアメリカの医療保険市場は、12の保険プランによって国民の3分の2がカバーされています。一方、4700万人の無保険者がいます。保険の入れるひとと入れないひとの差はなんなのでしょうか。アメリカの医療保険の例として、高齢者向け公的保険メディケアの自由化を例に挙げます。アメリカの民間医療保険会社は、健康な高齢者には優良なサービスを提供して、健康不安な高齢者の保険加入を理由をつけて拒みました。その結果、公的機関が運営するメディケアは、当初の目論みに反して、経費が増える事態になりました。民間医療保険会社から加入を拒まれるぐらい健康に不安を抱えるひとが加入しているからです。また、アメリカの民間保険会社は、医療費を低く抑えた医者に奨励金を払っています。こんなアメリカの民間保険会社と価格競争をして、日本の保険会社が勝てる道理もありません。
参考リンク
http://www.geocities.jp/yamamrhr/ProIKE0911-75.html
グローバル主義者は国際貿易の自由化がメリットを生むと説き、また、国内の不況を脱するために、海外進出を説きます。そして、海外との競争に打ち勝つために、法人税を下げてくれと、納税者に訴えます。わたしたちは何を間違えているのでしょうか。海外進出をいち早く進めなければ外国企業に市場を抑えられると焦るあまり、市場経済を損なっていることに気付いていないのです。外国企業に海外市場をとられるまえに、海外進出しなければと考えているからと言って、経済侵略のつもりのひとはめったにはいません。防衛的なつもりでいるのです。実は、ビクトリア朝中期のイギリスの帝国主義者たちも、同じような防衛的な心づもりで軍事侵略に乗り出していました。例を挙げると、1903年、ロシアの南下に備えてインド北辺の国々の保護国化によって緩衝地帯を築くためイギリスは、保護国化を拒んだチベットに軍事侵攻しました。
健全な市場経済の市場の指標が、消費者からそっぽを向かれた企業が市場から撤退することなら、健全な国際貿易の自由化の指標も、消費者からそっぽを向かれた企業が市場から撤退することでなければいけません。それでは、指標を達成するために、わたしたちは何に目を向けるべきなのでしょうか。わたしは三つを挙げることができます。消費者の利益にならない独占・寡占の解消、税金のただ乗りの廃止、情報格差の解消です。最初のふたつなら、みなさんも経済学者の議論をご存知でしょうから、最後の情報格差の解消について、80年代の日米経済摩擦を例に説明したいと思います。
当時は、松下電器(現パナソニック)がアメリカの映画会社パラマウント社を傘下に持つエンターテイメント会社MCA(現NBCユニバーサル)を買収したことや、三菱地所がニューヨークのマンハッタンにあるロックフェラーセンターを買収したことが、アメリカの魂を買いとることだとアメリカ国内において物議をかもしました。ストレス発散のための日本製自動車をハンマーで壊すサービスが、労働者による抗議運動だと誤ってテレビ報道された不幸な経緯もありましたが、そもそも、日本の企業はどうしてアメリカに進出しようとしたのでしょうか。
当時の日本はバブル経済の時代でした。金余りの時代です。日本企業は国内の余った資金を運用するために、アメリカに進出していました。それでは、どうしてバブルが発生したのでしょうか。1985年、アメリカの貿易赤字の解消を目指したプラザ合意によって、世界各国の中央銀行は自国通貨高ドル安の協調介入を行いました。ところが、下がりすぎたドルが問題になりました。そのため、1987年、ルーブル合意によって、今度はドル高誘導に転じることになりました。この国際合意に従い、日本銀行は金融緩和によって、ドル高円安誘導を行いました。その結果、バブルが発生しました。
当初の目論みは、日本が金融緩和をすれば円が余り、相対的にアメリカのドルの価値が高まると考えられていました。けれども、日本ではバブルが発生して、お金の余った日本の企業がアメリカの資産を買い取りました。こうして、日米経済摩擦が起こりました。
また、現在の世界各国は金融緩和によって、お金余りになっています。この余ったお金が殺到した国の一つのブラジルの通貨当局は、このお金の流れをツナミと呼んで、通貨戦争が起こっていると警鐘を鳴らしました。各国の通貨当局は口をつぐんでいますが、通貨切り下げによって輸出を促すためだと広く信じられています。本当は、半世紀前の日本がそうだったように、金融緩和によってインフレになっているから、物価高が原因になって貿易赤字になるはずです。わたしも、「お札を刷りすぎた日銀」の新聞記事を読むまで、間違えていました。なお、健全な低インフレが何%であるかは、この記事では扱いません。
このことから、二国間や多国間における国際貿易の自由化の主要なテーマは、消費者の利益にならない独占・寡占の解消、税金のただ乗りの廃止、情報格差の解消でなければならないことが分かります。
- これまでと違ったことをする
-
2012.05.09 Wednesday日本社会に欠けていることは、これまでと違ったことをすることだとされています。社会の閉塞感を解消するためです。けれども、長年、うまくいきませんでした。それはなぜでしょうか。リスク管理がおろそかにされていることはすでに書きました。それでは、これまでと違ったことができないのは、なぜでしょうか。それは、これまでと違ったことができる人材の養成が、個人の責任とされ、社会の責任とみなされなかったからです。
日本社会が閉塞感に陥った出発点は80年代の系列取引の解消にともなう社会の変化に適応できなかったことだとされています。そんな世相を象徴となるのが窓際族です。窓際族の発生の理由については、人事部の失敗だとされています。これまでの定型業務とは違ったスキルの持ち主の養成が必要だったのに、人事部がそんな人材を養成できなかったからです。それなら、窓際族の発生は、そんな会社の人事部の責任であると断じて良いのでしょうか。これもおかしな話です。世相になるような問題だからです。
それなら、これまでと違った行動がとれるような自主性のある人材は、誰が責任を持って養成するのでしょうか。人材の養成といえば教員です。それなら、公教育に責任を持つ文部科学省でしょうか。または、教員そのものの責任ならば、日本教職労働組合でしょうか。あるいは地方の教育委員会でしょうか。窓際族の発生は、入社後に起こった問題です。それなら使用者責任もあるのではないでしょうか。それなら、経団連にも責任はあるのではないでしょうか。また、日本の会社はずっと労使協調でやってきました。それなら、連合にも責任があるのではないでしょうか。また、入社後の人材養成なら、生涯学習の範疇です。それなら、やはり文部科学省にも責任があるでしょう。
自主性を持つ人材養成を阻む世相の一例として、大阪府立和泉高等学校の中原徹校長による卒業式典における教員の起立斉唱の口元監視の例を挙げます。大阪府教育委員会は教員に起立斉唱をするように通達を出していました。大阪府教育委員会が教員に起立斉唱の通達を出した法的な根拠は、文部科学省の教育指導要領において、教員の起立斉唱が定められているからです。ただし、強制することが国旗国歌法の精神にそぐわないことは、以前に書きました。これについては、このブログ記事では扱いません。
橋下徹市長は、中原徹校長の口元監視を服務規律を徹底するマネジメントの一例として紹介しました。テーラー方式による労働管理なら正しい態度です。けれども、自主性の養成からは真っ向から反する態度です。だいたい、昨年6月の起立条例の制定時にも、一部の識者たちは、起立は常識だからと周りに合わせなければいけないと主張していました。
このような世相の問題点は明白です。会社が不景気な時、サラリーマンは仕事は自分で作らなければいけないとされてます。それなら、主体的に動ける人材の養成が欠かせません。けれども、評価者が自己誤っていることに気付いていないのなら、個人の自己裁量に期待しなければいけないことになります。けれども、個人の自己裁量である以上、変化に適応できない人間が少なからず発生することは、自明のことです。それならば、わたしたちは過去を振り返って、窓際族が発生する社会を受け入れなければいけません。そして、これまでとは
違うことができるように、評価の基準を改めなければいけません。
- 個性礼賛にともなう陥穽
-
2012.05.09 Wednesday個性礼賛にともなう陥穽があります。面白いことがあるいは目立つことが良いものだともてはやす余り、リスク管理がおろそかにされることです。これまでと違った行動をとることは、これまで知られていなかったリスクが発生することです。
これまで知られていなかったリスクが発生することとは、どんな危険があるのでしょうか。ひとと同じことをするのならば、同じ状況におけるリスクへの対策は施されていると考えて良いでしょう。形をまねるだけでリスク管理ができるとみなせます。もちろん、状況が変わればこれまで培ったノウハウは役に立たなくなります。新しい手だてを講じなければいけない時、形をまねるだけのノウハウしか手元に残っていないことになります。一方、これまでと違ったことをする時には、これまで誰にも知られていなかった未知のリスク、もしくは、本人が知らなかった無知のリスクが発生する可能性があります。これまでと違ったことをするのだから、当然のリスクです。ところが、面白さや目立つことをもてはやす風潮は、リスク管理をおろそかにさせます。
数年前、ネットに公開されていた茨木市の町おこしの会合の議事録を読んだことがあります。その時、ある高校教諭の委員は、町おこしの中心に茨木城を据えることを主張しました。理由は、茨木城は片桐且元の居城だから面白いというものでした。片桐且元は豊臣秀吉に仕えた戦国武将のひとりであり、賤ヶ岳の七本槍に数えられ、また、秀吉亡き後の豊臣秀頼と徳川家康の抗争のおいて、豊臣方として交渉にあたった人物です。
ところがネット検索にかけてみると、茨木城の遺構は残されていません。茨木城から移設されたとされる城門がひとつ、茨木神社に残されているだけでした。もし高校教諭の案が通っていれば、なんの形のないものを中心に町おこしを進めることになりました。町おこし計画は停滞していたことでしょう。
面白いという価値観は対人関係から生まれます。ところが、面白いからと思慮分別に欠けていると、思わぬ陥穽が待っていることになるのです。これが、個性礼賛にともなう陥穽です。
- わたしのネット活動について、とても大切な説明が抜けていました。全部、自分の暮らしのためです
-
2012.04.29 Sundayわたしのネット活動について、とても大切な説明が抜けていました。全部、自分の暮らしのためです。
私のネット活動において、国政・メディア・市場経済など、日常生活と縁遠いものも扱われています。これも、有権者や納税者や消費者としての立場からの関わり方です。ただ、わたしも勘違いすることがあります。わたしの頭の中の地方政治の枠組みは、府境までしかありませんでした。橋下徹市長の起立条例を批判したのも、こんな前例ができて越境してくるのが嫌だったからです。だけど、大阪府の地方政治に対して、京都府民が責任をもって関われるものだとは思ってなかったのです。
けれども、勘違いでした。現在では関西広域連合という府境を超える枠組みがあります。また、橋下徹市長は、道州制を提唱しています。また、知事時代、関西広域連合に属する鳥取県の地方自治に介入しています。それから、大阪都構想のために、京都府から国会議員を擁立すると発言しています。さらに、次期総選挙では、三桁の数字にのぼる候補者を維新の会から擁立するとも報道されています。
わたしの地方自治観が旧態依然したものだったのです。かび臭い考え方は現状に適応できません。現在の地方自治観は、国と地方自治体は対等のパートナーと位置付けています。これは葡萄の房に例えることができます。ひとつひとつの粒が自治体で、粒を束ねるネットワークの中心に位置するのが国政です。だから、大阪府の地方自治のために、他の地方自治体まで巻きこむ橋下治政は迷惑でしかたありません。
- 「実質経済成長率が上がってもデフレは続く」の論文作成方法
-
2012.04.27 Fridayわたしの始めたイノベーションを広めるために、1月4日配信の「実質経済成長率が上がってもデフレは続く」の論文記事を作成した流れを知ってもらおうと思います。昨年の東日本大震災と100年前の関東大震災がオーバーラップしたり、過去・現在・抽象概念がきれいに重なる論文にみなさんは驚かれたことでしょ。良くできた論文なら、明快な論理で現在を説明できるものですが、日ごろ、論理的な考え方の練を積んでいないと受け止め方に困るかもしれません。そこで、この論文を作成した流れを知ってもらうことで、わたしの模倣のために役立ててもらうと考えました。
震災後、高橋洋一教授の文章を読んで、インフレ・ターゲットの採用を不要だと主張している財務省の根拠が、実質経済成長率が上がれば、デフレでも景気がよくなるからどいうことを知りました。けれども、財務省の主張が、経済学の領域において数理的に証明されたという話は聞いたことがありません。数理的な証明がないことが気になるのは前にも書きましたが、経済学は数式で証明する世界だからです。そこで、本当に財務省の主張通りなのか確かめるために、過去100年の日本のGDP統計を調べてみようと思いました。念頭にあったのは、「24人のビリー・ミリガン」の一節です。ビリー・ミリガンを救うため、万策極まった弁護士たちは、州法の条文をひとつひとつ調べ始めました。すると、判例法が間違っており、州法の条文を適用できれば、ビリー・ミリガンの苦境を救えることを突き止めました。
そこで、わたしはネット検索にかけました。最初にたどり着いたのは、経済百葉箱というコンテンツでした。そこに掲載されている実質経済成長率と名目経済成長率の推移をグラフにまとめたものに目を通すと、が実質経済成長率の上昇率が名目経済成長率の上昇率を上回る時期があることが目にとまりました。デフレの時期です。1920年代と30年代の境です。また、実質経済成長率は、急上昇の後に急降下しています。このことから、実質経済成長率が上がるだけでは、不況から脱却は図れないことが分かりました。この結論にたどり着くまでに要した時間は、高橋洋一さんの文章を読み終えてたから、5分とかかりませんでした。
「100年に1度の危機」、昭和恐慌に探す処方箋
社団法人日本経済研究センター
http://www.jcer.or.jp/report/econ100/pdf/100econ005.pdf
この一例を反証として挙げるだけで、財務省の主張の誤りを証明できます。科学的な正しさは、相手に批判のチャンスを与えながら、その批判にさらされた主張に与えられます。人間は誰でも間違いを犯しますから、絶対はありません。他の学者からの批判にさらされながら、誤りを指摘されなかった論文が、科学的に正しいとみなされるのです。
さて、さきほどのグラフに目を通すと、デフレの時期はどうも、関東大震災のようです。けれども、グラフの年度の目盛は10年単位のため、正確な年代は読み取れません。そこで、グラフを作成した社団法人日本経済研究センターに問い合わせたところ、問い合わせに返答するという返事はもらえたのですが、3か月以上、たなざらしにされてしまいました。催促はしなかったから、忘れられていただけかもしれません。そこで昨年の11月21日に論文を書き上げるにあたって、改めてネット検索にかけたどり着いたのが、1月4日のブログ記事に引用したグラフです。
「失われた12年」大正〜昭和初期編 廣宮孝信の反「国家破産」論
http://blogs.yahoo.co.jp/eishintradejp/24544679.html
引用されたグラフの作成意図は、大正から昭和にかけての不況期がデフレであったことを説明することです。そんなに珍しい説明ではありません。ところが、違った見方をすれば、
宝の山であることに気付くことができるのです。関東大震災の直後、実質経済成長率が急上昇したにも関わらず、1925年にマイナス成長になったことが読みとれるからです。ひとと違った着眼点を持つことの大切さをご理解いただけたかと思います。もちろん、資料を精読する態度があるから、たどり着けた結論であることは言うまでもありません。
