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橋下維新とはなんだったのか(創発を生むミーム 2016/05/01号)
 創発を生むミーム 2016/05/01号の「橋下維新とはなんだったのか」の全文記事です。
 
2016/??/01号
橋下維新とはなんだったのか

 橋下徹前大阪市長が政界を引退しました。橋下維新とはなんだったのでしょうか。支持者はどうして橋下維新を支持したのでしょうか。この記事では橋下氏とおおさか維新を一体のように扱っています。おおさか維新は橋下氏の一枚看板です。また、おおさか維新の中でも橋下氏の政界再出馬の待望論は強く、国対委員長の馬場伸幸氏が自分の役目は橋下氏を再出馬させることだと語っているぐらいですから、おおさか維新の過去の評論としても、今後の評論としても妥当だと考えます。

 失われた20年が続いています。この20年で賃金は1割近く減りました。政治家や官僚はこの現状を変えられないでいます。それどころか、既成政党や官僚たちは自分たちの利益しか考えていないと思われているのです。橋下維新の支持者の出発点はこのような現状に対する不満です。

 既存の権力者たちが幻滅されていることは分かりました。それでは、どうして橋下徹氏に支持が集まるのでしょうか。それは「なにかやってくれそう」という期待感があるからです。今のままでは日本は沈没しそうだから、良くなるのか悪くなるのか分からないけれども、なにか現状を変えてくれそう、というわけです。それでは支持者の支持が通り、橋下徹氏に権力が集まれば(例えば、橋下徹氏は首相公選制を唱えています)、なにをやってくれるのでしょうか。橋下徹氏は「選挙に勝てば白紙委任状が得られのだ」ということを公言しています。民主主義のルールは、政治家が選択肢を示し、有権者が選ぶことです。白紙委任状では、有権者は政治家(橋下徹氏)がどんな選択肢を選ぶのか分かりません。

 橋下徹氏が選ぶ選択肢を推測するには、おおさか維新の党是を理解しないといけません。維新の党是は是々非々です。つまり、ケースに応じて一番いいと思うものを選ぶということです。これではどんな選択肢を選ぶのか有権者には分かりません。おおさか維新にとっては一番良い判断でも、有権者個人にとっては一番良い判断とは限らないのです。さて、是々非々で選択肢を選ぶために、優先順位があるはずです。そして、その優先順位も価値観から生まれるはずです。つまり、なんらかの価値観があって、その価値観にしたがって優先順位が生まれ、是々非々の判断が下されるはずです。

 それでは、橋下維新の価値観とはなんでしょうか。それは構造改革でしょう。労組批判、正社員の解雇規制の緩和、最低賃金の廃止といった政策は、イギリスのサッチャー政権やアメリカのレーガン政権の始めた構造改革とうり二つだからです。また、維新八策もおおむね構造改革に沿うものです。

 そうすると、橋下維新が改革の一丁一番地とした大阪都構想という大阪府市再編も、構造改革の亜流であることが分かります。役所のリストラだからです。それでは、橋下維新の価値観は構造改革だけなのでしょうか。それは違います。公共コストを増やす政策も主張しているからです。大阪の副首都構想です。そもそも中央官庁の地方移転は東京と地方の地域格差を解消するための政策ですが、公共コストは増えます。東京の支所を設けたり、役人が地方と東京を往復するコストがかかるからです。それでは、大阪副首都構想とはなんなのでしょうか。それは大阪のご都合でしょう。大阪は日本で二番目の都市なのに、と思う読者もいるかもしれません。しかし、首都機能のために都市の人口や経済規模なんて必要ありません。アメリカの首都のワシントンやブラジルの首都のブラジリアのように、人口や経済規模で見ると平凡な国だってあります。規模より災害に強い土地の方が好立地でしょう。だから、行政コストを切り捨てる大阪都構想を掲げながら、行政コストの増す副首都構想を掲げるのは橋下維新の地域エゴでしょう。だから、橋下維新を語るのに必要な価値観は構造改革と地域エゴでしょう。

 ところで、橋下徹氏はよく人格非難をします。また、自分が批判された時には大阪の有権者に責任を持つことを批判の盾にしますが(例えば、批判するならやってみろという言い草です)、一方で、自分は他府県の政治に平気で口出しします。橋下維新の支持者からはどう映るのでしょうか。逆に、橋下に批判されたものが同じ論法で橋下徹氏を批判した時、橋下維新の支持者からはどう映るのでしょうか。橋下徹氏が批判した時には拍車喝采です。既存権力によく言ったというわけです。橋下徹氏が批判された時には、既存権力が橋下徹氏を圧迫していると、橋下徹氏を殉教者扱いします。誠実な議論をするなら、これはダブル・スタンダードです。しかし、支持者にはそうは映らない構図があります。支持者には大きなテーマ、つまり既存権力への不満があります。だから、既存権力にケンカを売る橋下徹氏に喝采するのです。それなら、既存の権力者たちは、そんな現状に不満を抱く橋下維新の支持者たちに応えないといけないです。

 さて、既存の権力者と橋下維新の支持者の間では、橋下徹氏への批判をしても、支持者が橋下徹氏を殉教者扱いして支持を強めることが分かりました。それでは、橋下徹氏への批判はどうすれば良いのでしょうか。それは、政策を批判することです。橋下維新の政策を支持しても、現状より悪くなると支持者が納得するのならば、橋下徹氏への良い批判になるでしょう。改革が現状を悪くするなら、代案を出す必要はないのです。現状維持が代案になります。

 それでは橋下徹氏の政策にはどんな批判ができるでしょうか。例えば、2011年の東日本大震災直後の東京からの企業の誘致策が挙げられます。誘致策といっても、なにもせずとも電力不安のせいで東京から企業が大阪に移転するの期待するものです。政策とは呼べないもので、他人の不幸にあぐらをかくようなものです。夏になって分かったことは、関西の方が東京より電力不足が懸念されるため、東京から大阪に移転する企業などなかったことです。

 橋下徹氏は2011年の東日本大震災の直後に脱原発を訴えていたのに、翌夏に電力不足を理由に大飯原発の再稼働を認めさせられたことも失政に数えられます。野田政権(当時)や経済産業省、関西電力が煽る電力不安のウソを見抜けなかったのです。京都大学元助教の小出裕章氏は震災前から、原発を全廃しても日本の電力に不安がないことは統計からも明らかだと主張していました。そうでなくても、脱原発を唱えるなら代替電力の確保は為政者として当然の責任なのに、無策だったのは失政に数えられます。地方自治体の首長が電力に責任を持つならどんなことができるでしょうか。例えば、東京都の石原慎太郎都知事(当時)は、震災の直後、ガスタービン発電所の建設に着手しました。

 また、橋下徹氏は大阪府が黒字になったことを挙げ「優良会社になった」と発言して自分を優れたコストカッターと演出しました。大阪府が黒字になったのを知って、「だから大阪府の借金が減ったんだ」と思った方もいるでしょう。大阪府を黒字にするために橋下徹氏はなにをしたでしょうか。借金です。どうして借金をすると大阪府の会計が黒字になるのかというと、企業の会計と役所の会計は計算方法が違い、役所の会計では借金をして手持ちの現金を増やすと黒字と評価されるからです。企業の目的は利益を上げることです。だから、企業の会計では、利益が上がると黒字になり、損をすると赤字になります。一方、役所の目的は利益ではありません。だから、企業と同じ方法では、財務状況を測り取ることができません。別の基準が必要です。そこで、手持ちの現金が増えると黒字になり、手持ちの現金が減ると赤字になるように会計します。

 橋下徹氏は借金で黒字にした手法について、「臨財債(臨時財政対策債券)は借金ではない、国が返済するからだ」と強弁したました。しかし、この借金は政府が直接返済するわけではありません。30年かけて国が支給するお金を積み立て、返済します。ところが橋下徹氏は「3年間の猶予(30年間3.3%積み立てるところを27年間、毎年3,7%の積立で返済になる)」という変更を加えました。年0.4%の増加という微々たるものに思われますが、返済額ベースで年10%以上の増加になります。こんな処理をしているのは、全国でも大阪府だけです。橋下は企業と役所の会計の違いを意図的に混同して(そして、有権者を混同させて)、大阪府が優良会社になったと偽ったのです。

 また、橋下徹氏は大阪都都構想のような構造改革に執心です。なぜ構造改革で出てくるのでしょうか。それは既得権益をやっつけるためです。

日本は個人の自由や権利が優先される生粋の資本主義国ではありません。欧米からは開発志向国と呼ばれます。個人の自由を尊重するよりも、政府と業界が協力して産業を育成してきました。廃止されましたが、銀行の護送船団方式のように、政府が業界に保護を与えてきました。最近なら、東京電力や関西電力など地域電力会社の原発から出る核のゴミの処理費用が、送発電分離後、地域電力会社とは別会社になる送電会社に負担されることに決まりました。原発を作り運用している地域電力会社が核のゴミの諸費用を負担しなくてすむのです。送電網は、国民が利用するすべての電力会社が利用するものだから、国民全体にしわ寄せが来ます。このような政府の保護からはずれる人から見れば、政府と業界の協力は既得権益に映るのです。そんなひとから見れば、既得権益をやっつけてくれる構造改革は魅力的に映るのです。そして、既得権益という分かりやすい敵をやっつけてくれるから、支持を集めるのです。

 それなら、構造改革で既得権益をやっつけて、規制緩和で競争を促進したり、労組を潰したり、官業を民営化すればすべてうまくいくのかというと、そうは言えません。デフレ下で構造改革をして収入が減った過去があるからです。

小泉政権時代に国務大臣として構造改革を担当した竹中平蔵氏はこんなことを言ったことがあります。

”以前 安倍さんが幹事長時代、たまたまタクシーに乗ったら、その運転手さんが、「給料が減ったけど、今では失業していた息子がタクシーの運転手をやるようになったから、一家の収入が増えた」と言っていたと、安倍さんが言っていた”

 個人の収入は減っても世帯収入は増えたという主張です。ところが、統計(厚生労働省の「国民生活基礎調査の概況」)を見ると、安倍首相の幹事長時代の2003年から2004年にかけて世帯収入は減りました。安倍首相の幹事長就任の前年の2002年の世帯収入が589.3万円だったものが、2004年には580.4万円に減少しました(厳密には2003年は−1.6%の579.3万円。2004年は+0.1%の580.4万円)。ただし、世帯収入の低下は、小泉元首相の首相就任前から起こり、民主党政権以後も減少の傾向は続いているため、構造改革の影響だけではないかもしれません。その原因は、日本社会に構造的な問題があるはずという根拠不明瞭な「はず論」では説明できません。日本社会の構造に問題があり、その処方箋として構造改革によって供給力を増やすのなら、日本社会の問題は供給過少にあるはずです。しかし、実際には供給過剰なのですから、これはおかしいです。単純にデフレ不況のせいでしょう。需要不足は当時から続いており、内閣府の推計によれば2015年で12兆円の需要不足でした。

そもそも、構造改革は産業界が政府に求めているものであり、政府と産業界の協調という日本の構造そのものは変わりません。政財癒着の構造を打ち壊したいのなら、環境保護運動や消費者運動が環境庁や消費者庁を生んだように、国民の自由と権利を守り伸ばすべでしょう。これは欧米が長い間をかけて実現したことです。「アメリカ上流階級はこうして作られる」という本には、1900年代初頭のアメリカのロードアイランド州の地方政界のボスの上院議員アルドリッチは、市電の統合によって独占企業を生み出す見返りに当時のお金で700万ドル相当の株式の報酬を得ていたとあります。その件が発覚すると、その政治家は批判を受けましたが、政治生命を失うことはありませんでした。亡くなったときには1600万ドルの遺産を残したそうです。お金が増えたのは、株式を政治取引で高値で売却したためでした。今の日本でも考えられない癒着です。

 橋下維新の構造改革を批判していると、橋下徹氏の大阪市長時代に教育予算が5倍になったじゃないかと思う読者もいるかもしれません。橋下徹氏は市長時代、教育予算を就任前の67億円から2015年の390億円へと5倍にしたことを自慢していました。しかし、この金額は市全体の教育予算の氷山の一角なのです。大阪市の「こども青少年費」と「教育費」の総額は、平松市長時代の2011年で2667億円であり、橋下徹氏の市長最後の2015年で2761億円でした。実際には微増なのです。橋下徹氏が挙げた数字は、「重点投資として新しい施策を展開した」もので、全体の一部なのです。

 また、橋下維新は憲法を改正して、これまで自治体が決める条例は、国会が決める法律の範囲内でなければならなかったのを改め、制限を取り払おうとしています。これまで法律が主、条例が従だったのを改めて、対等にしようというわけです。大阪府市の改革のために、憲法を改正しようというのでしょう。しかし、これでは日本の千を超す自治体でばらばらの法律が生まれることになります。別々の国になるようなものです。弊害の方が大きいでしょう。

橋下徹氏の発信力にはどう対処すれば良いのでしょうか。大義名分という言葉があります。橋下維新が支持者に示している大義名分が、構造改革で既得権益をやっつることです。世の中で成功している人間を切り捨ててくれるから胸がスカッするからうっぷん晴らしになるからと支持する人もいるかもしれませんが、そんな支持者も外面では大義名分を振り回しているのです。そして、橋下徹氏の口の悪さに着目して同じレベルでやりかえそうとしても、自分のレベルが落ちるのオチです。橋下維新を攻撃するだけの大義名分を示せなければいけません。

 橋下維新への賛否は割れています。それは既得権益をやっつけるべきが既得権益につくべきかという二分された対立の構図で語られているからです。しかし、実際に既得権益をやっつけようとして、かえって国を悪くした過去があります。つまり、橋下維新の政策が実施されると現状より悪くなるから反対するのか、既存権力を批判する橋下維新を殉教者扱いして支持するのか、という視点で賛否を決めないといけないのです。また、大阪府市にとって良いことが日本全国にとっていいことなのかも批判しなければいけません。これらの視点は橋下徹氏が政界を引退して後も、維新を評価するのに有用でしょう。
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菅直人リスクを忘れてないか?(創発を生むミーム 2016/04/01号)
 創発を生むミーム 2016/04/01号の「菅直人リスクを忘れてないか?」の全文記事です。
 
2016/04/01号
菅直人リスクを忘れてないか?

 安倍首相をはじめ自民党は改憲に熱心です。自民党の憲法改正推進本部の会合では「改憲を一度経験することで、国民に慣れてもらう必要がある」と発言もあり、改憲に対する垣根を下げるために、国民の受け入れやすい条項から改憲をしようという戦略が自民党内にあるようです。

 そこで安倍首相がとり上げているのが、緊急事態条項です。災害時や戦時に首相に大権を与える憲法です。緊急事態に少数に権力を与えリーダーシップを確立させようという狙いです。しかし、菅直人リスクを忘れてはいないでしょうか。

 菅直人リスクとは、東日本大震災のさいの菅直人首相(当時)のリーダーシップの失敗を表現したものです。官邸にあって全体を指揮しなければいけないのに、福島第一原子力所を視察して、パフォーマンスにしたという批判がありました。その問題を菅直人リスクと呼び、法律を改めて、災害発生時に対策を専門家に委ね、首相が介入できないようにしました。菅直人リスクの教訓は、少数の者に権力を与えてリーダーシップをとらせても、失敗することがあるのだから、それを防ぐために権力を分散させることです。

 そもそも東日本大震災のあった春ごろ、政権党だった民主党の対応の悪さを非難して、内閣不信任案を可決させようとしたのが自民党です。賛否はあるでしょうが、これこそ権力の分立ではないでしょうか。また、内閣不信任案の否決後も、国会で復興法案を可決させていったのも、自民党です。これこそ権力分立の成功例ではないでしょうか。

 自民党の緊急事態条項はその権力の分立を損なうものです。緊急事態条項を発動させると首相はなにができるでしょう。例えば、平時は国と対等な関係にある地方自治体を首相の指揮下における。国会の議決がなくても財政支出を決められる(今は国会の議決がなければいけません)。内閣の一存で決められる政令に国会で定める法律と同じ効力をもたせる。国民は政府の命令に従わなけばなず(今は国民は法律には従わなければいけませんが、政府の命令に従う義務はありません。

 国民は法律には従わなければいけません。逆に政府は憲法に従わなければいけません。そして、憲法で認められた自由と権利を侵すことはできません。ところが、自民党の憲法草案では、それが可能となります。法の下の平等、身体の拘束からの自由、思想の自由、表現の自由なども政府が必ず守る必要なくなります。条文の表現としては、例えば「自由を認める」(政府は口出しできない)が「最大限に尊重されなければならない」(尊重されるなら政府は口出しできる)に変わります。

 この改憲によってどんなことが可能になるでしょうか。例えば、東日本大震災があった2011年の夏ごろには、ネットの政府批判を取り締まるために、ネット規制が取りざたされました。世相を騒がせるからと理屈をつければ、それが可能になります。自民党の憲法草案では、「緊急事態であり」「表現の自由を最大限に尊重さえすれば(政治家や官僚の木で鼻をくくったような答弁を思い出してください))」、ネット上の言論を政府が取り締まることができるのです。

 他にはどんなことが考えられるでしょうか。昨年、ISILによって日本人が人質にとられ、殺害されるという事件がありました。この時、政府の対応に批判的な人々をある新聞社がISIL寄りだと非難したことがありました。それなら、戦時において、政府に批判的なひとを敵国寄りだからと取り締まる政令を政府が制定することも想定されます。

これらの手続きに国会が介入する権限はありません。緊急事態の宣言や政令の制定は内閣の一存で決められるからです。国会が口をはさむ制度はありません。ただし、政府は緊急事態の宣言の承認を国会から受けなければいけません。これは事後でもかまわない制度です。あるいは、国会が緊急事態宣言の否決をすれば、首相は緊急事態の宣言を取り消さなけれいけません。ただし、これは緊急事態の宣言に対してであって、個々の政府の行動、個人への命令、政令、財政支出に対してではありません。だから政府の個別の行動に非難はあっても、「緊急事態だから」という理由で緊急事態宣言を受け入れるムードになっているかもしれません。

 もちろん、読者の中には自民党の災害対応を評価していて、その自民党がやることだからと、緊急事態条項に賛成の方もおられるかもしれません。しかし、現自民党に対する信任と制度に対する信任を混同できません。現在の憲法は70年続いています。だから、改憲されても70年は続くかもしれません。その間に、内閣は何十回も変わるでしょうし、政権交代によって自民党が下野することもあるかもしれません。そんな先のことまで、現在の自民党が責任をとってくれません。
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憲法9条2項改正(創発を生むミーム 2016/03/01号)
 創発を生むミーム 2016/03/01号の「憲法9条2項改正」の全文記事です。
 
2016/03/01号
憲法9条2項改正

 安倍首相が国会において憲法9条2項を改正することを提起しました。憲法学者の7割が自衛隊は違憲だとしていることが根拠です。しかし、憲法9条2項を改正することは、自衛隊の違憲状態を解消するだけでなく、日本のあり方を大きく変えるものです。自民党の憲法草案では、現行の戦力の放棄の規定は廃止され、自衛権(文脈には個別的集団的の文字はなく、両方が含まれると思われます)と国防軍を持つことを認めているからです。

 憲法9条2項で軍隊を持つことを禁じられているため、日本は必要最小限度の実力しか保有できないと解釈されてきました。必要最小限度とはどういうことかというと、その時々の国際情勢や軍事技術から判断されます。ただし、相手国国土の破壊のためにのみ使われる弾道ミサイル・空母・長距離爆撃機などは保有できないと解釈されています。核兵器については自衛の範囲であり憲法には違反しない(ただし、核拡散防止条約に加盟しているため保有できない)と政府は国会答弁しています。しかし、核兵器は敵国土を破壊するための兵器なのだから、これはおかしいと思います。広島や長崎で国土を破壊するために核兵器が使用されました。また、冷戦時代には、アメリカや旧ソ連がお互いの都市を目標に戦略核兵器を配備しました。ただ、主題からずれるため、この記事では扱いません(防御用の核兵器としては長距離爆撃機を迎え撃つための空対空核ロケットや核ミサイルが1950年代から60年代にアメリカで開発された例があります。しかし、現在はどこの国もこの種の兵器を保有していません。また、都市ではなく敵の軍隊を吹き飛ばすための射程50キロ以下の戦術核兵器がありますが、その威力は広島や長崎に投下された原爆に匹敵します)。

 また、憲法9条2項で戦力の保有を禁じられた日本は、個別的自衛権なら行使できると解釈されてきました。それを覆して、日本国民の命を守るためという条件付きで集団的自衛権の行使を認めたのが安倍首相です。しかし、憲法9条第2項が改正されたなら、なんの制限もなく、集団的自衛権を行使できるようになります。そのため、自衛隊が海外で武力行使することも考えられます。

 憲法学者の7割が自衛隊は違憲だと主張しているからといって、「日本は戦争できる国なるべきだ」と政策提起している憲法学者が7割いるわけではありません。しかし、このふたつを自分に都合よく混同させているのが安倍首相の改憲論議です。不誠実な態度です。

 憲法9条2項を改正して自衛隊を違憲でなくすことと、従来からの国是を守ることは、条文作りとしては難しいことではありません。条文を以下のようにすればよいのです。

「日本は個別的自衛権を保有する」
「個別的自衛権の行使のために、必要最小限度の戦力を保有することを認める」
「集団的自衛権は保有しない」

 これだけです。従来からの国是で変わるのは、「実力」が「戦力」に変わるだけです。安倍政権下の閣議決定で認められた日本人の命を守るための集団的自衛権は認められなくなります。しかし、これは個別的自衛権で代用できます。

あるいは、幸福追求権を定めた憲法13条に2項を設け、「政府は国民の安全を守る義務を負い、そのために必 要最小限度の実力を保有する」としてもよいでしょう。これも自衛隊の設置根拠になります。

 安倍首相が「自衛隊は違憲状態だと7割の憲法学者が指摘している」と数の正当性を主張しても世間の反応は「でも、集団的自衛権の時には9割の憲法学者が違憲だと指摘していたのに、無視したでしょう」でした。議論がそこで終わるのも道理でしょう。ここまで見てきたように、安倍首相の議論が進め方不誠実なのだから、取り合わないのももっともです。そもそも集団的自衛権の国会答弁で、政府が大勢の憲法学者が改憲を支持していると発言した時には、支持している憲法学者の数を3人しかあげられず、「数じゃないと思いますよ」と答弁を修正させました。そして、ここまで見てきたように自民党憲法草案に沿った憲法9条2項の変更は、日本のあり方を大 きく変えます。それなら、安倍首相は憲法を変えることで日本をどんな国に変えたいのか説明しなければいけ ません。説明が果たされるまで、安倍首相がいくら問題提起しても相手にされないのは無理ないでしょう。

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taigaの執筆の方法論
 読者の中にはどうしたらtaigaみたいなすごいことができるのかと疑問を持つ方もいるでしょう。お答えする前に確認したいのですが、あなたの「すごいこと」とは、種本を丸暗記してコピーして自慢することでしょうか? その方法論では私のようになることは不可能です。そもそも、自慢しないからです。

 もちろん、本を読まずに、記事のすべてのアイデアや着眼点を私ひとりで考えているわけではありません。記事によっては参考文献を10冊近く読みこんでいます。ただし、丸暗記するためではありません。記事の主題や主張、結論はすべて自分で考えています。それではなんのために本を読むのかというと、自分にはない視野を学び、自分のアイデアを広げるためです(もちろん、気になった箇所は覚えるわけですが)。

 例えば、「戦争への道を振り返る」の記事を書くために、参考文献を10冊近く読みました。ここで勘違いしないでもらいたいのは、「日本国民の大多数が戦争を支持したのは、戦争が利益になるためだ」という主張なんて、どの本にも書いていないことです。参考文献だけなく、これまでの読書体験でも、そんな主張にお目にかかったことはありません。

 それでは、どうしてそんな発想が持てたのかというと、過去記事にもあるように、1955年の新聞記事を読んだ時に日本の原子力基本法は自民党と社会党が共同提案したものだと学んだことがきっかけです。普通なら、こんな新聞記事を読んでも「日本の原子力政策は自民党と社会党が組んで始めたんだ」と暗記して終わりです。しかし、私は、日本の原子力政策は55年体制の初めから自民党と社会党の与野党が組んで進めたことが、やめられなかった一因だろうという感想を抱きました。そして、このアイデアがヒントになって、戦前の日本が戦争への道を進んだのは、原子力政策が55年体制の初めから自民党と社会党の与野党が組んで進めたのと同じように、幅広い勢力が戦争を支持していたからではないかと思いました。ここで勘違いしないでもらいたのは、「同じように」といっても55年体制のことをいくら丸暗記しても、同じ着眼点を持つことはできないことです。

 参考文献を読んだのも、主張や結論を探すためでなく、自分のアイデアがどの程度正しいのか、過去の歴史を学んで、確かめるためです。そして、自分にはない視野を探すためでもあります。実は、参考文献の大半は、この記事を書く前から読んで学んでいたことです。別々の主張が「日本国民の大多数が戦争を支持したのは、戦争が利益になるためだ」という主張を支えるために結びいたのは、セレンディピティみたいなものかもしれません。

 それでは「どうして、そんなアイデアを持てるんだ」と疑問に思うかもしれません。これはもう、良い本をたくさん読むしかありません。そうすると「1年間に本を100冊も200冊も読めば、自慢できるのか」と思うかもしれません。しかし、ある統計によると、本好きが100人集まると、そのうちの25人は年間に本を100冊から200冊を読んでいます。

 「このライトノベルがすごい!」という本が毎年刊行されています。その前の年に出版されたライトノベルをふり返るシリーズです。その2016年版のアンケート調査では、1000人以上の回答者のうち、7%が年間に本を76冊から100冊読み、10%が年間に101冊から200冊読み、8%が201冊以上読んでいます。自慢するためには、相応の努力を払わないといけないのです(このデータだって暗記したわけですが「このライトノベルがすごい!」のどこを読んでも「本好きが100人集まると、そのうちの25人は年間に本を100冊から200冊を読んでいます」という記述はありません)。

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教養切捨て!(創発を生むミーム 2016/02/01号)
 創発を生むミーム 2016/02/01号の「教養切捨て!」の全文記事です。
 
2016/02/01号
教養切捨て!

 文部科学省は国立大学の人文社会科学系の廃止や転換を求める通知を各大学に出しました。教養切捨てです。昨年の段階で33の国立大学で再編成が検討されてました。文部科学省の通達自体は財界からも「財界が求め人財は真逆だ」批判を受け、下村文部科学大臣(当時)は誤解を与える文章だった、教員免許をとらなくても卒業できる教員養成系を廃止することが目的だったと修正発言しました。現職の馳文部科学大臣も下村前大臣の発言を追認しました。教養切捨ての議論は度々あることですから、それをとり上げることは意義があるでしょう。そもそも、教養にはどんなメリットがあるのでしょうか。

 文部科学省の有識者会議では委員のひとりが、旧帝大と慶応大学を除いて、人文社会系学部を職業訓練学校を改変せよと主張しました。法学部では憲法の代わりに宅建法や自動車交通法を教えよ、経済学部ではサミュエルソンの経済学の代わりに会計ソフトの使い方を教えよ、文学部ではシェークスピアの代わりに通訳英語を教えよという主張です。このような暴言にはなんと反論すべきなのでしょう。

 文系には歴史があります。歴史といえば一般には暗記物と思われています。しかし、安全保障を学ぶ上で欠かせないものです。安全保障は舵取りを誤れば国を滅ぼします。例えば、戦前の日本は国の舵取りを誤り国を滅ぼしてしまいました。ところが、安全保障というものは後になってからやり直すわけにはいきません。そこで、歴史から学ぶことが大切なのです。

 社会科学の分野では教養はどんなメリットがあるのでしょうか。ネットで読んだある教養教育を否定する意見なのですが、社会科学は金融工学だけあれば良い、というものがありました。金融工学にはどんなメリットがあるのでしょうか。2008年の世界不況では、金融市場に投じられた2京円ものお金が失われてしまいました。リーマン・ブラザーズのような名門証券会社も倒産してしまいました。ところが、そんな恐慌のなか、ジョン・ポールソンという投資家は150億ドルも儲けました。ポールソンの取り分は40億ドルでした。世界不況のなかでも、金融工学を学べばそれだけ儲けることが可能なのです。ところで、今のアメリカは景気も回復し、金融緩和も打ち切られました。どうして、アメリカの景気が回復したのでしょうか。金融工学を学んだ投資家が大勢いて、大儲けしたおかげなのでしょうか。それは違います。金融緩和を行い、政府の公共投資も増やしたおかげでした。それが可能だったのも、インフレ・ターゲット理論と呼ばれるデフレ不況の解消策を学んだり、あるいは、日本が20年間もデフレ不況から回復できなかった過去を反面教師にして学んだり、あるいは、1929年の世界恐慌から学んだりした学者がおり、財政金融政策の重要ポストに起用されたからでした。マクロ経済学者の仕事の成果がアメリカ経済を立て直したのです。もちろん、マクロ経済学を学んだからといって大儲けできるわけではありません(ケインズのようにマクロ経済学者としても投資家としても成功した人物がいないわけではありません)。

 理系にとって教養とはどんな役に立つのでしょうか。鹿児島県の伊藤祐一郎知事は「サイン、コサイン、タンジェントを女の子に教えて何になる?」と発言しました。サイン・コサイン・タンジェントといった三角関数を学ぶとどんなメリットがあるのでしょうか。将来の選択肢が増えます。理系には数学の知識が不可欠だからです。例えば、描画ソフトのプログラムを組むのに、三角関数の知識は必須です。画像を反転させる処理に三角関数を使うからです。

 ここまで、各論で教養のメリットを論じてきました。そもそも、教養にはどんなメリットがあるのでしょうか。それは、ものの見方が広がることです。自分とは違った含蓄でものを見ることを学べるからです。教養を疎かにすると、どんな専門家が育つのでしょうか。例えば、専門家は専門分野だけ知っていればいいという意見がよくあります。これでは、みんながバカにする専門バカしか育たないでしょう。

 教養教育軽視が失敗した例がオウム真理教による東京地下鉄サリン事件です。宗教団体のオウム真理教は東京の地下鉄にサリンガスを散布しました。このサリンガスは教団に所属する理系の人間によって製造されました。そもそもオウム真理教は教義を学べば超能力が使えるようになると称して信者を勧誘していました。ところが、超能力とは縁の遠そうな理系の若者まで勧誘に応じているのかと、社会にショックを与えました。そこで原因だと思われたのが、当時の教養軽視の大学教育でした。専門家は専門分野だけ学べば良いと教養教育を軽視したのです。

 もちろん、教養教育に携わる学者には、自分の受け持つ教養教育がどんな人材を育て、社会の役にたつのか説明できることが求められるでしょう。それが納税者に対する説明責任ですし、また、学者が(専門バカにならず)社会と関わることでしょう。
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フォロワーシップ
 フォロワーシップとはリーダーシップと対になる言葉です。ひとを率いてまとめ上げる能力がリーダーシップです。一方、フォロワーシップはリーダーにつき従う能力を指します。この記事では、筆者である私に対して、読者のフォロワーシップを扱います。

 勘違いしないでほしいのは、フォロワーシップといっても、taigaの人脈と言いふらす大勢に仲間入りできるわけではないことです。あれはすべて、最初からうそです。ブログやメルマガを共著しているんだ、共同運営しているんだというのは、すべてうそつきのうそです。taigaひとりですべてやっています。また、彼らは、壁越しに話しかけてくるけれど返事がなくてもコミュニケーションが成り立つんだとか、道端ですれ違ったぐらいで勝手に人脈扱いするとか、コミュニケーション障害やストーカーの妄想も同然のことを言いふらしています。もちろん、うそつきに都合の良いうそです。日常のなんてことはないことをつかまえて、taigaの人脈なんだと強弁できるからです。こんなのは間男戦略とかコバンザメ戦略というものです。taigaの名前をかたって、世間の関心を集めたり、たかろうというわけです。もちろん、私にとっては迷惑以外のなにものでもありません。こんなことでは、筆者の私と読者の間に健全な関係が築かれません。そこで、そんなうそつきたちに振り回されずに、安心してtaigaの記事を読んだり、taigaに接し方を学ぶ方法が必要です。

 さて、私はこれまで読者に守ってほしいこと、私にしてほしいことを伝えていませんでした。読者の自発性を重んじていたからです。しかし、まったく述べないというのも、混乱を招きます。また、この記事を読んで読者は「そんな話は聞いていないよ」と思うことが多々あるでしょう。その話の出所は、taigaの人脈と言いふらしている大勢でしょう。あれはすべて、うそつきです。世間の関心をtaiaからうそつきに向けるような、うそつきに都合の良いうそを並べ立てていたのでしょう。とはいえ、読者が私の言いつけを守っているつもりで、実は、うそつきに踊らされているというのも、困りものです。そこで、この記事を書きました。この記事には、読者に守ってほしいことや、私に対してしてほしいことが書いてあります。

 私がして欲しいことをひとにしています。また、私にして欲しくないことをひとにしないようにしています。だから、読者も私にしてもらったことを私にして、私からされなかったことを私にしないようにしてください。

 taigaは善人だから怒ったり要求してこないんだ、なんて思わないでください。なにをすれば私を怒らせるのか、きちんと学んでください。例えば、不誠実な態度、無神経、足をひっぱる、嫌がらせ、無責任、責任転嫁、などは私を怒らせます。

 taigaは善人だから、歓心を買うようなことをしなくて良いんでしょう、なんて思わないでください。なにをすれば私を喜ばせるのか学んでください。例えば、誠実な態度、細やかな心遣い、困っている時に力になる、責任をまっとうする、などは私を喜ばせます。

 私をだましたり、利用することはやめてください。また、私の個人情報や知りえた秘密をひとに漏らすこともやめてください。このふたつが守られないと私の社会生活に大きな支障をきたすことになります。なにとぞ、ご理解ください。

 私の記事を読んで、困った時に力になったり抱えている問題を解決できたと思ったら、周りのひととも、同じことをし合ってください。自分の暮らす環境がより良くなります。

 メールマガジンを購読してもらえないでしょうか。購読してもらえば、長く続けられます。お金にならないことを何年も続けている状況です。経済的な軌道に乗らないと長く続けられません。廃刊するれば右翼が喜ぶのでしょうか。

 アフィリエイトもしています。taigaのことを支持しているけれども、お金を払ってメルマガを購読するまでは・・と思うひとは、アフィリエイトを活用してください。欧米では自分が支持するサイトのアフィリエイトを利用して支えるのはマナーだと言います。収入源が複数あると私も助かります。ネットショッピングの時に「taigaのブログがあったな」と思い出して検索してもらえると幸いです。購入ごとに報酬が支払われます。記事本文と見間違えないと思いますが、アフィリエイト広告とある検索バーがアフィリエイト広告です。

 私のブログやツイッターの影響力は重々承知しているのですが、ブログやツイッターの影響力は客観的な物差しで測られます。つまり、月間ページビューだったり、フォロワー数です。そういう物差しで私のブログやツイッターを測ると、一日の最大アクセス数が千件だったり、フォロワー数が10人だったり、まだまだです。良く言って、知る人ぞ知るというレベルなのです。だから、私を世に送り出すと思って、RSSリーダーに登録したりフォロワー登録して、応援していただけると幸いです。

 私の人脈なんだとうそをつく者が大勢いるものだから、なんとかtaigaの力になりたいという読者もいるかもしれません。しかし、この件では読者の力はあてにできません。なぜなら、世間一般では、taigaの人脈なんだと言いふらす者が大勢いるおり、こんなにも大勢が人脈なんだと言っているのだから、この者たちは本当のことを言っているのだろうと予断されているからです。中国の故事にこんな話があります。昔、息子想いの母親がいた。あるひとが母親に息子が人を殺したと告げたが、母親は信じなかった。別のひとが母親に息子が人を殺したと告げたが母親は信じなかった。三度目、さらに別のひとから息子が人を殺したと告げられると、母親は信じた。大勢が言っているということが信用に値すると思われるのです。私から見たら、taigaの人脈なんだと言いふらしている者全員がうそつきなのは自明ですが、読者がそれを信用するのかは別問題です。おそらく、taigaの人脈なんだと言いふらしている大勢のいくらかは本当のことを言っていると思っているひとがほとんどでしょう。これでは私の力にはなれません。

 また、私の人脈なんだとうそをつく人間が集まって、うそで塗り固めたコミュニティーを築き上げているようです。だから、はしご禁止でお願いします。

 ギブ・アンド・ギブを心がけてください。つまり、taigaが読者自身に与えてくれるのなら、読者のあなたはtaig本人に与えてください。それが対等の関係だと思います。また、持続的に成長できる関係です。

 読者の中には「taigaは善人なのに、なぜ自己犠牲をしないんだ」と思う方もいるでしょう。考えてみてください。私の暮らす京都だけでもこの世の中には何万人も暮らしているのです。それがみんなが自己犠牲を私に要求してきたら、私の暮らしが成り立ちません。

 taigaならなんでも知ってるんだろ思っているひともいるかもしれません。しかし、記事はすべて公開情報に基づく分析です。インサイダー情報なんて分かりません。情報をくれるような人脈もありません。だいたい、私のネット活動自体が何の権威も後ろ盾もありません。記事は、公開情報の分析を予備知識がない中学生程度の学力の持ち主にも記事だけを読んで理解できるように推敲されています。

また、いくら頭が良くて物知りでも、個々人の事情までは知りようがありません。私に自分のことを知ってもらいたい、自分の事情を斟酌してもらいたいなら、私に報告したり連絡したり相談することを忘れないでください。

 話し言葉と書き言葉は別です。書き言葉なら推敲できます。私の記事も、予備知識がない中学生程度の学力の持ち主でも理解できるように推敲されています。だから、「taigaの話なんて簡単に理解できるよ」なんて思わないでください。

 それからtaigaから相手にされたから自分がすごいだなんて自惚れないでください。「相手にされたからすごいんだ」という考えの裏返しは「認めないから相手にしない」です。しかし、この裏返しの見方はひとを見下す考えです。認めたから相手にする、認めないから相手にしないという態度でひとと接する者は、世間一般からは「天狗になった」と思われるでしょう。私も同感です。だから、わたしから相手にされたからといってすごいと認められたわけではありません。

 taigaはすごいからなんでもうまくいくんだなんて、思わないでください。それは慢心です。人間には知能があり将来を予測して行動できます。慢心したらどうなるでしょうか。そんな人間が身近にいたら、慢心が周囲に伝染して歯車に支障をきたします。だから、慢心しないでください。

 また、いくら私の弁舌が鮮やかでも、それを傍目から「自分ひとりを楽しませるためにやってるんだ、自分ひとりを学ばせるためにやってるんだ」なんて自意識過剰にならないでください。迷惑です。

 時間をムダにさせられるのは好きではありません。私に話しかける時は、要点をまとめて要領よくしてください。これは実生活でも役に立つことです。職場の上司の時間は部下全員の共有資源です。段取りが悪ければ、上司にも同僚にも迷惑をかけます。

 私にアドバイスを求める時は、分からないこと困っていることして欲しいことをまとめて、アドバイスを受ける準備をしてから訊ねてください。準備不足のまま訊ねて、私を困らせないでください。

 外向的な性格ではないので、街で見かけてもそっとしておいてください。

 また、読者の中には、「taiagはお人よしの善人なんでしょう。責任とか面倒なことは押しつけられて、それも気づかずにいて、そんなことも分からないtaigaのことをみんな笑っているのでしょう。聞いていたことと違うじゃないか」と思うひともいるでしょう。私をバカにしたり利用するのはやめてください。そんな人間はごめんです。

 集団の空気に飲まれて間違っていることに反対できないこともあるかもしれません。集団の和を乱すなんて、懲らしめないと、と痛い目に遭うわけです。そんな時、なぜ間違っているのか、改めた方がどうしてメリットになるのか、根拠を見つけてください。ひとを動かせます。また、その時には自分の意見を否定する情報にも目を向けてください。自分の意見に深みが出ます。

 また、誰かが新しいことやこれまで違うことや集団の空気と反することを始めても、正しいことや大切なことだと思ったら、支持してください。それがフォロワーシップです。そして、支持された者のリーダーシップになるでしょう。

 また、多様な意見を認めてください。自分にはない様々な視点からの意見を出してもらうためです。そのためには、自分の善悪良否の価値観で他人を測るのだけでなく、個々人が自分の行動に責任を持ちひとに迷惑をかけないかぎり、自由を認めることです。

 また、ひとに指図する立場の時もあるでしょう。そんな時、なぜそうするのか、その理由と、何をするのか、達成すべき状態とを明確にしてください。なぜそうするのか理由が分かれば、やる気も起こります。また、達成すべき状態が頭の中に描ければ、そのためにすべきことも思い浮かびます。また、権限移譲をするのなら、先のふたつを明らかにした上で、達成のためにとるべき方策については、相手に任せてください。やる気が違います。

 私の人脈なんだ共同執筆者なんだ、道端ですれ違ったぐらいで人脈なんだ壁越しに話しかけてくるけど返事がなくてもコミュニケーションが成り立つんだと言いふらしているものは、読者の周りにいますか? こんなのはうそつきなので、遠慮なく痛い目に合わせてください。taigaの人脈かもしれないと遠慮しなくてかまいません。前述のツイートに一件の返事もないように、こんな人間は私には面と向かっては何も言えません。しかし、私の目の届かない所で悪さをすることはできます。本当だろうがうそだろうが、私の名前をつかって世間に迷惑をかける者は、私にとっても読者にとっても迷惑でしょう。普通の読者にとっては、私の名前をかたるなんて考えもしないことです。しかし、私の人脈なんだとうそをついて幅を利かせる大勢が何年もいたのを見習って「(道ですれ違ったぐらいで勝手に人脈扱いして)おいしい目にあえるんだ」と学習しているいやしい者もいるでしょう。だから、私の名前をかたると痛い目にあうと悟らないと、こんなうそつきは後を絶たないと思うのです。

 私が困った時に力になってもらえたら、助かります。ネット活動をしていて良かったと思えます。

 私は自分にして欲しいことをひとにして、自分にして欲しくないことをひとにしないようにしています。私が率先垂範する時は、ひとに同じことを私にして欲しい時です。例えば、普通の記事なら「議論に期待したい」や「総括が求められる」と締めくくる所で、議論を起こしたり(「こんなものも! リベラル派の改憲」など)総括をしたり(「戦争への道を振り返る」など)するのも、そのせいです。私が率先垂範する時は、ただ眺めるだけでなく、自分を見つめ直し成長させる機会にしてください。成長のない人間はつまらない。

 より良い意思決定のためには正確な情報が必要です。情報はコミュニケーションからもたらされます。だから、私に報告したり連絡する時は、「これぐらい知っているだろう」と予断せず、丁寧に説明してください。これは「予備知識を知っている前提で」話すことより、数段難しいことです。しかし、私が自分の記事でいつもやっていることなので、難しい注文ではないでしょう。

 私は時々、冗談を言います。それは、一日五分でも楽しければ、その日一日を幸せに感じられるからです。しかし、私の人脈なんだとうそをつく大勢が、「taigaの冗談が面白いのは自分のせいだ」「taigaは冗談の世界に生きているんだ」と流言を流しているようですね。不愉快な話です。

 読者のことは気にかけているのですが、そうするのが難しい理由があります。誰が読んでいて、どんな読み方なのか、私には分からないからです。だから、どんな読み方をしているのかコメントを残してくれると嬉しいです。なお、taigaの人脈なんだと言いふらす大勢にいくら注進しても、私には伝わりません。私と人間関係がないからです。そんなうそつきがいたら、痛い目に合わせてださい。どこかで痛い目にあわないと、うそを止められないでしょう。

 私と関わったことを自己満足の理由にしないでください。自己満足は成長が止まる第一歩です。そんな人間はつまらない。

 私の名前を言い訳に使わないでください。私に一発で嫌われる方法です。自分の抱えている問題を「taigaが代わりに解決してくれるさ」と他力本願にならないでください。私に一発で嫌われる方法です。

 私の文章を暗記してコピーできても、なんの評価にもなりません。誰でもできることだからです。そもそも、予備知識のない中学生程度の学力の持ち主でも理解できるように推敲されているのだから、子供でも同じことができる。

世間のみなさんは、「taigaは考えがしっかりしているから、誰でも指導できるはずでは」と思っているかもしれません。しかし、私の人生経験では器の小さい人間を向上させられません。

だから、相手をするなら器の大きい人の方がいい。器が大きいとは、自分の経験だけで判断せず、本や人の話から学び、自分に間違いがあると納得したら、反省できる人です。

私の人脈なんだと言いふらす大勢いて、「taigaは自分を指導する義務があり、自分にはそれを要求する権利がある」と言いふらしているようですね。私は世間の一凡人を相手に自分の才能と時間を注ぎこんで、自分の人生をムダにしたくありません。だから、こんな要求をしてきたら、即縁切りです。

「taigaは自分を指導して奉仕する義務がある」と思い上がっている人は、私の記事を読んで学んでください。そして、分からないことがあれば、コメント欄にコメントしてください。気が向いたら相手にします。

「taigaはひとのつながりを大切にしているそうだから、自分に何かしてくれんじゃないのか」と思うかもしれません。しかし、私にもやりたいことがあります。だから、私の力になってくれるひとを相手にしたい。私から相手にされたいのなら、私の力になれるひとを目指してください。まあ、たいがいのことは独りでできますが。

 まあ、たいがいのことは独りでできますが。私の出来ないことができると助かります。また、ひとに何かを教えるとしたら、私の力になって欲しいからです。記事であれこれ書いている理由の一つも、私の力になって欲しいからです。

 私が誰かを大切にするとしたら、困った時に力になって欲しいから大切にするのです。大切にされたからといって「自分がすごいからtaigaが奉仕してくるんだ」なんて思い上がらないでください。私の人脈なんだと言いふらす大勢はそう言っていたようですが。邪魔者扱いされるだけです。

 後で追加したり修正することもあるかもしれませんが、その時は追読してください。

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デモは政治を変えるのか?(創発を生むミーム 2016/01/04号)
 創発を生むミーム 2016/01/04号の「デモは政治を変えるのか?」の全文記事です。
 
2016/01/04号
デモは政治を変えるのか?

  毎週金曜日官邸前デモや学生団体のSELDSような組織がメディアにとり上げられるようになりました。デモに賛成の意見もあれば、デモで政治は変えられないという意見もあります。そもそも、民主政治にとってデモとはなんなのでしょうか。

 民主主義の権力は、選択肢を示す者、選択肢を選ぶ者とで二分されています。選択肢を示すのが政治家で、選択肢を選ぶのが有権者です。だから、選択肢を示し、選んで決める流に沿えば、有意義な議論できることが分かります。これが民主主義のルールです。それなら、有権者の意中の政策を政治家が示してくれない時に、有権者の側からこんな選択肢を示してくれと働きかけることも、民主主義のルールに適うことが分かります。。

 有権者の最大の意思表示は投票なのだから、デモは無意味だという意見もあります。これは、民主主義社会における有権者のとれる行動を狭く捉えています。例えば、元財務官僚の高橋洋一氏によると、銀行にはMOF坦と呼ばれる職務があるそうです。なにをするのかというと、財務省のキャリア官僚に代わって、法案を書くことです。また、TPP交渉に関して日米政府がとり交わされた文書によれば、日本の規制改革会議は海外の投資家から意見を訊くとあります。日本政府が海外の投資家の意見を制度的に訊くということです。それから、坂本龍一さんをはじめ、ミュージシャンが中心になって、ダンスホール規制を変える運動もあります。

 銀行マンが官僚の代わりに法案を書いているなんて、官僚の専門性への信頼を裏切るようなものですが、政府が海外の投資家の意見を訊く制度を設けるぐらいなのですから、有権者が政治家に働きかけるぐらいのことは当然のことでしょう。

 ところで、デモの主催者は投票運動もすべきだという意見もあります。これはデモの主催者にとっても重要なことです。というのも、投票率が上がれば、自分たちに有利だからです。脱原発運動でも安保法制反対運動でもどちらも、国民の多数の支持を受けているのだから、投票率が上がれば、国民の多数が脱原発や安保法制反対を掲げる野党の政治家に投票してくれるからです。逆に投票率が低ければ、組織票に頼る自民党に有利になります。

 それでは、投票率を上げるために、デモの主催者はなにをすべきなのでしょうか。それは、デモの参加者を増やすことでしょう。もちろん、デモの参加者が増えれば投票率が上がるという証拠を持ち合わせていません。しかし、人間は一貫性を好む生き物です。わざわざデモに参加する労力は払ったのだから、その労力をムダにしないためにも、余分な労力をかけて意中の候補者を選び出して投票所に足を運ぶのが、人間ではないでしょうか。

 また、デモの主催者は政治家を当選させるべきという意見もあります。これはデモの主催者にとって重大な問題です。ただし、デモの無力感を指摘されたというものではなく、無理難題を吹っかけられたようなものだからです。なぜなら、デモの基本ルールに真っ向から反するからです。

 脱原発デモにせよ安保法制反対デモにせよシングル・イシューです。シングル・イシューとは、日ごろの政治観の違いはいったん置いて、共通の目標のために団結しようというものです。だから、デモの主催者選挙の候補者を推薦しようとなると、複数の野党の間で対立が起こることなります。限られたパイを争うことになるからです。それを防ぐためには、野党が相談して選挙協力する必要があります。しかし、これはデモの主催者の力を超えています。政治家の問題だからです。

 また、野党の間に選挙協力が成立しても、別の問題が起こります。「金曜官邸前抗議」(野間易通著)によると、デモの参加者の多くはデモに組織の旗がないことを肯定しているそうです。団体臭がないことに安心感を覚えるのでしょう。しかし、デモの主催者が特定の候補者を推すようになれば、自然と団体臭が生じます。そうなれば、初めてデモに参加する者が安心できなくなります。特定の候補者を推すべきなのか、団体臭を排して初めてデモに参加する無党派層が安心できるようしてデモの拡大を目指すのか、どちらかを選ぶことになります。

 SELDSはシンクタンクを設立して政策提案を目指していますし、野党にも選挙協力を訴えています。どちらももっともなことでしょ。また、金曜日官邸前デモは多数の著名な政治家が参加したり、デモの主催者たちと野田首相(当時)との面談も実現しています。デモが広がったことは日本の民主主義の成熟の象徴と呼べるでしょう。しかし、日本の社会がそれを受け止めて、その道理を理解できなければ、せっかく芽生えた日本の草の根民主主義も立ち枯れるかもしれません。

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author:taiga, category:メルマガ, 21:25
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今さら勝ち組負け組なのか?(創発を生むミーム 2015/12/01号)
 創発を生むミーム 2015/12/01号の「今さら勝ち組負け組なのか?」の全文記事です。
 
2015/12/01号
今さら勝ち組負け組なのか?

 自由貿易のメリットはなんでしょうか? それは、貿易をしない時とくらべて生産力が増えることです。

 例えば、世界にふたつの国があるとします。先進国と発展途上国です。先進国の生産性が、付加価値の高い製品で大、付加価値が中程度の製品で中、付加価値の低い製品で少とします。発展途上国では、付加価値の高い製品で少、付加価値の中程度の製品で中、付加価値の低い製品で大とします。この二つの国の間で自由貿易が行われたら、どうなるでしょうか。

 先進国では、生産性の低い付加価値の低い製品が競争で負け、この分野で労働者が減ります。一方で、生産性の高い付加価値の高い製品が競争に勝ち、労働者も増えます。発展途上国では、生産生の低い付加価値の高い製品が競争で負け、この分野で労働者が減ります。一方で、生産性の高い付加価値の低い製品で競争に勝ち、労働者も増えます。

 二ヶ国で自由貿易が起こると、産業ごとに栄枯盛衰が起こります。共通しているのは、生産性の低い産業で労働者が減り、生産性の高い産業で労働者が増えることです。だから、世界全体で見れば、生産性が向上します。一方で、一国内で見ると(生産性の高い)勝ち組と(生産性が低い)負け組が出ますが、これは国内問題とされます。

 さて、ここで日本国内を振り返ってみましょう。小泉首相(当時)の時代、自由競争や勝ち組がもてはやされました。自由競争をすれば、勝ち組と負け組がでるものだ。能力のある者が勝ち組となり、無能な者が負け組となる。勝ち組が栄え、負け組が市場から撤退させられるから、効率が増すんだ。そんな意見です(勝ち組が富むからトリクル・ダウンが起こり、国民全体が豊かになると続ますが、この記事ではトリクル・ダウンは扱いません)。

 本当にそれだけで済まして良いのでしょうか。同じ産業の会社レベルで見れば、生産性の高い会社と低い会社の差はあるでしょう。しかし、産業ごとの生産性の高さ低さは、国レベルの構造的な問題です。個人の能力の問題で済ませられません。また、会社ごとに生産性の高低があるかといって、ただちに個人の能力に結び付けられません。会社の業績というものは、ビジネスモデルだったり、経営基盤(ブランド力だったり、低利で資金を集められることなど)にも左右されるからです。勝ち組負け組に分かれるのは、個人の能力だけではなく、就職にあたって、どの産業を選んだか、どんな会社を選だかの問題です。たまたま就職先が生産性の高い産業だったからといって、能力が高いとは言い切れません(もちろん、個人の才能や努力を否定するわけではありません)。

 例えば、明治時代に鉄道が敷設させた時、ルートからそれた宿場町がさびれたり鉄道と競合する河川の水運が衰えたりしました。また、運輸業界にコンテナが導入された時にも、港湾で働く大勢の荷運び人夫が職を失いました。職を失ったのは怠けていたせいではありません。

 もちろん、花形の産業や会社に志望者が集中し、有能な人材が集まることはあるでしょう。しかし、だからといって生産性が高いとはかぎりません。福島第一原発の原子力事故以前、電力産業といえば花形産業でした。その中で東京電力はトップでした。しかし、原子力事故が起こり、除染や賠償や廃炉作業を東京電力は抱え、納税者や電力消費者の払うお金を原資に、東京電力に5兆円もの公的資金を注入する仕組みが政治家によってつくられました。それでも足りないからと、公的資金は後に9兆円に増額されました。

 変化に適応できないということなら、あるかもしれません。ノーベル賞受賞者が設立したショックレー研究所をはじめ、業界中がバイポーラ型半導体を生産販売していたころ、先見の名があった新興のインテルは後に業界の主流になるMOS型半導体の生産販売に乗り出しました。また、業界が真空管ラジオを生産販売していたころ、また中小企業だったソニーはアメリカの会社からトランジスタの特許を買い取って、トランジスタ・ラジオを初めて発売しました。なぜ、業界の大手が変化に適応できないことが起こるのでしょうか。ひとつ考えられるのは、セクショナリズムです。企業では利益を上げる部門が強い立場を占めます。どんな部門かというと、(新製品に対して)主力の旧製品を生産販売している部門です。新製品が発売されると、旧製品を扱う部門は凋落します。だから、新製品を扱うことに反対するのです。二段落前の文章では、「定型化されたルーチン・ワークを熱心に繰り返す」という意味で怠け者ではないと説きました。しかし、「変化に適応しない」という意味で怠け者もいるかもしれません。しかし、経済や社会の自然な変化と、政治主導による変化を混同できないでしょう。

 構造改革やTPP(日本やアメリカを含むアジア・太平洋地域の自由貿易協定)のような国の政策として自由競争を促進させるなら、負け組の会社や産業が倒産したり、衰退することは、個人の能力の問題だけではなく、政治にも責任があるのではないでしょうか。時限的な失業対策や緩和処置が必要なのではないでしょうか。

 アメリカではTPPに備え、国内の失業対策のための政策がとられることなります。TAA(国内貿易支援法)と呼ばれます。TAAとはどのようなものでしょうか。TPP交渉のためにTAAが認められたから、単純にTPPとTAAをセットと見る誤解もあります。。TAAはTPPのために生まれたポッとでの政策ではありません。1950年代から連邦議会に法案が提出され、ケネディ大統領の時代の1962年に初めて法制化された歴史ある法律なのです。どうしてこのような法律がつくられてのでしょうか。

 アメリカは戦後、GATT(関税及び貿易に関する一般協定)によって、世界的な自由貿易を促進しました。アメリカの自由貿易を促進させる政策は、現在ではTPPがあたります。一方でアメリカといっても一枚岩ではありません。労働者保護を掲げる政治勢力ももあります。80年代、日米貿易摩擦があったころ、アメリカがスーパー301条(不公正な貿易構造に制裁関税を課す法律)をちらつかせ、日本を威嚇したのも労働者保護のためです。

 もちろん、日本とアメリカとでは事情が違います。アメリカでは雇用の国外流出を招く工業製品の関税撤廃も、日本ではほとんどの工業製品の関税がすでに撤廃されているため、雇用に影響はありません。一方で、日本の農家にとっては死活問題の関税の撤廃も、アメリカの農家や穀物商社にとっては朗報です。

さて、TPAはアメリカの歴史ある政策なのです。それでは、日本国内ではどうでしょうか。国内でTPPを推進しているのは、安倍政権であり、それを支持する企業家たちです。彼らのイデオロギーは小泉時代の構造改革のままです。つまり、競争が激化され、勝ち組が勝ち残れば、それでいいと思っているのです。野党はどうかというと、労働者保護を掲げる政党もあれば、競争を激化させるために労働者保護の撤廃を掲げる政党もあります。

 失業対策や農家の倒産回避のための緩和処置が実現されたらと思います。しかし、勝ち組負け組を自己責任に帰すのは誤りであり、政治にも責任があるというコンセンサスが広まらなければ、政治的な対立が激化して、単純に議席の数で決まってしまうでしょう。

  緩和処置は既得権にならないように、時限立法にすべきでしょう。しかし、TPPが発効して自由競争の体制が整えられ、国内的にも変化への対応ができれば、それで円満解決というわけではありません。TPPが発効しても、保護貿易のしくみは残っているからです。アメリカは農産物の輸出を奨励する補助金を出しています。だから、農産物の関税が撤廃されても、自由競争になりません。
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こんなものも! リベラル派の憲法改正(創発を生むミーム 2015/11/01号)
 創発を生むミーム 2015/11/01号の「こんなものも! リベラル派の憲法改正」の全文記事です。
 
2015/11/01号
こんなものも! リベラル派の憲法改正

 来年の参議院選挙で、自民党政権は憲法改正のために三分の二を獲ることが眼目となっています。また、そのために、野党の抱きこみも政局になっています。このような時にリベラル派はどうすればよいのでしょうか。広く国民の支持を得るために、現行憲法を金科玉条とするだけでなく、リベラル派の観点から憲法改正を訴えることも、大切なことではないでしょうか。それでは、どのような憲法改正が考えられるでしょうか。
 
 知る権利が認められたら、国民の申し立てによって、特定秘密保護法によって秘密とされた事項を公開させることができるようになるでしょう。しかし、現行法では、秘密保護法を運用する官僚が監査しており、身内を公正に監査できるとは思えません。また、日本版NSC(国家安全保障会議。重大事態について検討する大臣による会議)にも制限が加えられます。日本版NSCは特定秘密保護法とセットであり、最初から議事録を作成していません。これは明らかに知る権利を侵しています。また、外国の秘密保護法と違い、日本の秘密保護法は国民の申し立てによって秘密を解除する制度がありません。現在の法律では、秘密を指定するのも秘密の解除を決めるのも同じ役人であり、うまく機能するのか分かりません。秘密を指定する側と解除する側が同じ人間だからです。知る権利が個人に認められたなら、個人の申し立てによって、秘密が解除されるようになるでしょう。

 また、憲法第九条の規定に「軍事援助の禁止」という条文を加えるのはどうでしょうか。軍事援助には、軍事力強化のために武器や施設の提供、訓練、財政援助、また広義には軍事同盟による兵力の提供が含まれます。軍事援助を禁じているのですから、当然、集団的自衛権は認められません。また、閣議決定によってODA大綱を変更して、外国への軍事援助を認めたことも、許されなくなります。また、後方支援であっても、外国軍に補給を行うことは認められなくなります。ただし、米軍に基地や思いやり予算を提供することは認められなくなります。これが問題なら、「日本防衛のためを除いて」と条件をつけることができます。ただ、これだと安倍首相のように拡大解釈が可能です。それを防ぐにはどうすれば良いでしょうか。日米安保条約では、日本の施政権を守ることをアメリカに義務付けています。だから、「日本の施政権を守るためを除いて」とすればよいでしょう。この場合、「日本人を守るため」という条件ではありません。しかし、日米間の役割分担では日本人の保護は日本の責任であり、米軍は日本人を保護してくれません。集団的自衛権の議論で、安倍首相は子供を抱えた母親を米軍が救出してくれるかのように主張していますが、実際にありえない話です。(また、中谷防衛大臣の国会答弁では日本人の保護は必須な条件ではありません)だから、問題にはならないでしょう。一方、沖縄の海兵隊のグアム移転の費用負担は、日本の施政権とは関係ない話ですから、憲法によって認めれなくなります。

 安倍政権が進める安保法制は違憲ではという意見があります。しかし、法律が制定されただけでは、最高裁は違憲の判決を下すことは、現在の法制度ではできません。実際に集団的自衛権が行使されてからになります。また、最高裁が違憲判決を下しても、一票の格差の是正が国会で進まないように、宙ぶらりんになることもあります。それなら、憲法で軍事援助を禁ずることによって、安保法制を違憲化することも、安倍政権の政策への良い対案です。

 それから、環境権を認めるのはどうでしょうか。原発の再稼働にも制限を加えることが可能になります。公害対策基本法では、原子力事故も公害のひとつに数えています。それなら、原発の稼働に伴う原子力事故の可能性も取締の対象になります。もちろん、基準値以下の汚染にとどまる工場を取り締まれないように、原発だからといってただちに取り締まれるわけではありません。
 しかし、原発の安全性について、環境権の立場から、国民の利益を主張することが可能になります(厳密には原子力災害を公害と認めた公害対策基本法は廃止されており、現行の環境基本法には原子力災害についての規定はありません)。現在の原発再稼働に国民が関わる方法は、現地の住民のみ、立地自治体が再稼働に賛成するのか反対するのか決められる程度です。一部の地裁レベルの判決では、チェルノブイリ原発事故の避難基準並みに、原発から250キロ圏内の住民に人格権の侵害を理由に原発再稼働を差し止める権利を認めました。しかし、まだ高裁や最高裁の判決はまだはありません。環境権が国民に認められら、国民は環境権を行使して環境を守ることができます。だから、少しは変わるかもしれません。

  国が原発再稼働の決定に広範な国民の参加を認めないのには理由があります。現在の原発行政のあり方が否定されるからです。原発行政のあり方とは、電力需要地の住民がお金を出して原発立地にお金を流すしくみです。お金の流れには電源立地交付金や核燃料税など様々ありますが、電力料金からねん出するものには変わりません。当然、お金の担い手になるのは、電力需要地の住民です。原子力村のやりくちは立地の住民をお金で懐柔することとも言えます。これがチェルノブイリの避難基準並みに、原発から250キロ圏内の住民に再稼働の権限を認めることになれば、この仕組みは成り立ちません。高浜原発から250キロ圏内は関西全域がおさまります。川内原発から250キロ圏内なら九州全域がすっぽりおさまります。その範囲には大阪や福岡といった電力需要地が含まれます。そして、電力需要地の自治体に原発再稼働の権限を与えると、このやりくちは成り立たないことが分かります。電力需要地を懐柔するために、電力需要地にお金を出させるのでは、意味がないからです。

 プライバシーの権利を認めることは、政府による国民の監視に制限を加えられるでしょう。アメリカ政府はプリズム計画(スノーデン氏によって暴露されたアメリカ政府の陰謀)によって世界中のネットを監視したり、エシュロン(アメリカをはじめいくつのの国によって運営されている盗聴ネットワーク)によって世界中の電話を盗聴しています。大きな議論にはなっていませんが、国内でも右派から諜報機関を設置しようという意見があります。プライバシーの権利を認めることによって、政府による国民の監視に制限を加えられるでしょう。リベラル派が国民の安全を守るために諜報機関を設置するのなら、これまで述べてきたように「知る権利を守る」「軍事援助の禁止」「プライバシーの権利を守る」といった政府への制限が考えられます。

  このように憲法によって国策を制限することは、立憲主義にかなう考え方です。立憲主義は自由民主義とも言い、憲法によって国民の権利が政府から守られ、また、国民が主権者として国政に参加して政府をコントロールすることです。自民党の憲法改正案は、様々な権利に制限が加えられ、また、政府が国民にいくつもの義務を課すものです。自由民主主義を放棄するような内容です。それなら、立憲主義の立場にたって憲法改正を主張することは、自民党憲法改正案に対する対案になるでしょう。

  ところで、法律に欠かせない要素に法の安定性があります。法律が朝令暮改するようでは、国民は安心して暮らせません。法律の法律である憲法には、大切な要素です。現行憲法は成立以来、約70年間、改正されたことがありません。それなら、憲法の改正条文も、70年間は改正されないものを目指すべきでしょう。それなら、法の安定性を生み出すためには、どうすれば良いのでしょうか。それは普遍性があれば良いのです。それでは、普遍性を満たすためにはどうすれば良いのでしょうか。それは、対立する党派が納得する内容であれば良いのです。もちろん、誰しもが賛成することは不可能でしょう。しかし、なるべく大勢の人間が賛成できるものを目指すべきです。
 知る権利は国政参加に欠かせない権利です。政府がしていることを知らなければ、国政選挙におて、国民が誰を選べばよいのか判断できないからです。軍事援助の禁止も、戦後日本の国是である平和主義にかなう考えです。戦後日本は敵を作らず世界の国々と友好関係を結ぶ外交努力を積み重ねてきました。軍事援助の禁止はそれを後押しします。また、世論調査では国民の約7割がアジア太平洋地域における日本の軍事的役割を制限すべきと考えています。軍事援助を禁ずることは民意にかないます。環境権はどうでしょうか。日本は世界的にも珍しい豊かな生態系を持っています。南北に長く多様な生態系を持ち、また海洋生態系でも世界の海洋生物の二割を占めています。右派左派を問わず関心のあることです。プライバシーの権利を守ることは、現在は情報化社会であり、国民的な関心があるでしょう。
 
 ここまで読んだ読者は、この記事の主張は安倍カラーの否定だと思うかもしれません。提唱している権利や禁止事項が、安倍政権の政策を否定しているからです。これは偶然です。しかし、リベラル派の改憲によって、安倍カラーを否定できるだけでなく、今後の内閣に対しても、同じ政策をとらせないことができます。例えば、民主党は安保法案の廃案を掲げています。民主党が政権を取れれば、安保法案を廃案できるでしょう。しかし、それは何十年かの期間で見れば一時のことかもしれません。民主党から自民党に政権が交代し、閣議決定によって集団的自衛権の行使を認めたように、後々の政権の政策までしばれるものではありません。しかし、憲法を改正して集団的自衛権の行使を禁じれば、後々の政権まで縛ることができるのです。他にも非核三原則や専守防衛も閣議決定です。だから、集団的自衛権の憲法解釈の変更を安倍政権が閣議決定で変更したように、将来の内閣が非核三原則や専守防衛を閣議決定で廃止することもあるかもしれません。それを防ぐ手立ては現在の法律ではありません。そんなことも、憲法に定めがあれば、内閣を制限することが可能になります。
 
 ところで、改憲についてこんな意見があります。混迷する日本を変えるためには改憲しなければいけない。だから、国民はどこかの政党が国会で三分の二以上の議席を獲得することを望むべきだ。しかし、こんな考えは間違いなく、日本の政治を迷走させます。なぜなら、改憲は手段であって目的ではないのに、手段が目的化しているからです。改憲は手段であり、目的は国民の権利を守るために政府を拘束することです。それなのに、手段である改憲を目的に突き進めば、後になってダメになった時に、どうしてダメだったのか総括することすらできないでしょう。憲法改正が目的でやったのなら、憲法改正した時点で成功であり、憲法改正のせいで状況が悪くなったなんて、想像もつかないからです。
 日本では民主主義が根付いていないと言われます。自由と権利を求めて民衆が戦った経験がないからです。大日本帝国憲法はお上が国民に与えた物であり、現行憲法の成立はGHQが関与しています。国民が憲法によて政府に制限を与えた体験が希薄であると言えるでしょう(最高裁判所で違憲判決を勝ち取った例がないわけではありません)。だから、憲法改正によって、国民が政府に制限を与えることができたら、国民が自由と権利を勝ち取ったと言えるでしょう。
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難民に門を閉ざす(創発を生むミーム 2015/10/01号)
 創発を生むミーム 2015/10/01号の「難民に門を閉ざす」の全文記事です。

2015/10/01号
難民に門を閉ざす

  質問です。日本が受け入れている難民の数はいくらでしょうか? 日本は平和外交を国是として、数々の人道援助を行ってきました。日本が受け入れている難民の数はいくらでしょうか? 答えは11人です。110人でも11000人でもなく、11人です。この数字は2014年に日本が受け入れた難民の数です。積極的平和主義を掲げていてもこの程度なんです。

 日本といえば人道援助を通じて国際貢献してきたことをお家芸としている国です。この数字はあまりに少ないのではないでしょうか。安倍首相は今年、演説を行い、ISILと戦う国々に2億ドルの人道援助を行うと表明しました。この援助は難民に対して実施されるものです。言葉の選び方に問題はあっても、人道援助そのものには、反対はありませんでした。しかし、難民受け入れになると、とたんに日本は貝がふたを閉ざすように、受け入れを拒むのです。

 難民についてどのようなイメージを持ちますか? うつろな表情、ハエのたかった顔、貧租なキャンプ暮らし。難民を同情の相手のようなイメージで語られるのが普通です。しかし、生活が安定して教育を受けられるなら、難民も社会に対して立派に貢献できます。

 例えば、アメリカのテッド・クルーズはキューバ難民二世ですが、共和党から大統領候補選に出馬しています。有力候補ではありませんが、難民の子が上院議員として政治権力を握るまでになっているのです。

 ジョージ・ソロスも難民出身です。14歳の時に、ハンガリーからアメリカに亡命しました。その後、投資家として数十億ドルの財を築き上げました。オープン・ソサエティというNGOを設立して、自由と権利を守る活動を続けています。東欧の民主化に関わったり、知る権利を保障するツワネ原則の作成にも関わりました。

 ノーベル平和賞を受賞したマララさんも、パキスタンの国内難民になった経歴があります。故郷がタリバンとの戦場になったため、家族で難民キャンプに避難したからです。彼女がノーベル賞を受賞するのは、故郷に帰還してからになります。

 難民でも立派に社会で活躍できることが分かりました。これは援助される側の話です。それなら、難民援助を行う側のロールモデルはなにがあるのでしょうか? 日本人なら、杉原千畝の名前を挙げたいところです。

 第二次世界大戦中、リトアニア駐在の領事だった杉原は数千人のユダヤ人にビザを発給しました。反ユダヤ主義を掲げるナチス・ドイツにリトアニアが占領され、ユダヤ人の命が危うかったからです。杉原が発給したビザは命のビザとも言われます。

 ただし、杉原が発給したビザは、ユダヤ人をシベリア鉄道に乗ってリトアニアを脱出させるため、日本から第三国に出国するための通過ビザでした。難民援助で最もお金や労力がかかれば、受け入れ側との摩擦のある難民の日本受け入れではありませんでした。そこはきちんと押さえるべきでしょう。

 ところで、難民問題の根本はISILの残虐性にあるのだから、アサド政権を助けてISILをやっつければ難民も帰国できるという意見があります。これは事実誤認です。ISILがシリアで伸長する以前からシリア難民がトルコだけで100万人も発生しました。原因はアサド政権が無差別爆撃を行っているせいです。空爆するパイロットは空から眺めただけでは一般市民と反政府軍の区別をつけられません。だから、アサド政権はまとめて爆撃しているのです。市民の犠牲者は30万人と言われています。

 国連難民高等弁務官事務所によると、今では、シリア国内の避難民は760万人、国外難民は388万人に達します。そのせいで、近隣諸国の難民受け入れは飽和状態です。レバノンでは国内居住者の25%が、ヨルダンでは10%がシリアからの難民です。そのため、EUを始め、世界各国の難民受け入れが必要です。例えば、ドイツは今年だけで80万人の難民を受け入れると表明しています。EU以外だとオーストラリアが1万2千人の難民受け入れを表明しています。そのお隣のニュージーランドは750人の受け入れを表明しています。

 日本に何十万人という難民が殺到する事態といえば、北朝鮮の独裁体制が崩壊するとか、中国の共産党独裁体制が崩壊して中国が軍閥による群雄割拠に陥るといった事態でしょう。そんな事態にはめったにはならないでしょう。しかし、その時には難民受け入れの問題は日本一国の問題にとどまらず、国際的な問題になっているでしょう。ベトナム戦争の時にはベトナムからの難民が国際問題となり、日本も1万人の難民受け入れを決めました。

 この記事では、資金援助だけでは足りず、難民受け入れも必要だと主張しています。しかし、資金援助も疎かにはできません。理由は、難民間の格差問題です。シリア難民がEU諸国に密航するには、一人当たり数千ドルの費用が必要だと言われています。これだけの費用を工面できるのは中流階級だけです。だから、ドイツに避難できるシリア人はみな中流階級と言えるのです。貧困層のひとはシリア内外に留まっているのです。だから、難民への資金援助だからといって馬鹿にはできません。シリア難民支援には2015年だけで55億ドルが必要と見積もられていますが、その3分の1しか集まっていません。

 日本政府はシリアやイラクの難民支援に8憶1千万ドルを拠出すると表明しています。難民受け入れについては、「 難民受け入れは人口問題として申し上げれば、我々は移民を受け入れる前にやるべきことがある。それは女性や高齢者の活躍であり、出生率を上げていくにはまだまだ打つべき手がある。」と安倍首相が述べて、難民受け入れを拒否しています。安倍首相は難民と移民を混同しています。移民とはよりよい仕事や家族との再会のために外国に移住するひとであり、難民とは迫害されて脱出したひとのことです。また、日本が受け入れたシリア難民は合計3人しかいないため、人口問題の心配なんて天が落ちてくるのを心配するようなものです。

 みなさんはどんな余暇を過ごされていますか? 食い放題のお店に行くのもいいですよね。美術館に行くのもいいです。ダイエットのためにジムに通いますか? 健康的です。日本は平和な国です。どれくらい平和かというと第二次世界大戦後、戦争をしたことがない希有な国なぐらいです。また、経済的にも安定しています。20年もデフレ不況が続いていますが、世界第三位の経済大国の地位を維持しています。最近では人手不足も問題になっています。ギリシャはシリア難民の受け入れ口のひとつになっていますが、債務問題を抱えるギリシャは、失業率が25%を超えるぐらい経済が不安定です。そのため、ギリシャ政府も難民に十分な援助ができていません。

 こんな平和で安定している日本だから、難民受け入れで貢献できるのではないでしょうか。日本が平和で安定している、けっこうなことではないでしょうか。そして、そんな日本が難民を受け入れるのなら、安心して暮らせる環境を難民に提供できます。それなら、日本が平和で安定していることが、そのまま国際貢献になると言えるでしょう。
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author:taiga, category:メルマガ, 10:46
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