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どうやって貿易戦争を終わらせるか(創発を生むミーム 2018/06/01号)
 創発を生むミーム 2018/06/01号の「どうやって貿易戦争を終わらせるか」の全文記事です。
 
2018/06/01号
どうやって貿易戦争を終わらせるか

 アメリカのトランプ大統領が、日本や中国を含む国々に制裁関税を課しました。アメリカの貿易赤字の解消が狙いです。これについて、自由貿易を破壊するという批判があります。

 アメリカの制裁関税で思い出されるのが80年代の日米貿易戦争です。アメリカは日本の貿易黒字によって国益を侵されているからと制裁関税を発動しました。この時は、対米現地進出という(経済学的に)正解手に日本はたどり着きました。貿易黒字で潤えば、その分だけ資本が海外に流出するからです。

 なぜ、そうなるのかは簡単に説明できます。貿易黒字になるとドルを稼げます。しかし、国内に持ち帰ってもドルの使い道がありません。そこで海外で運用することになります。銀行の外貨預金に預けても、その銀行も海外で運用することには変わりありません。そうすると貿易収支の黒字による外貨の流入と外国投資による外貨の流出支は一致します。

 ところが、中国には同じことができない理由があります。中国企業の強みは、中国人の人件費の安さにあるからです。

 中国にもハイテクがないわけではありません。スパコンランキングで中国のスーパーコンピューターが世界一になったり、世界で最初の電気自動車の市販は、中国のメーカーのBYDのものだったり、太陽光発電パネルの世界一のメーカーは中国だったりします。

 しかし、家電などで日本企業を猛追している中国のメーカーの特徴は価格の安さです。そして、価格の安さの秘訣は人件費の安さにあります。これでは工場の移転はできません。

 それでは中国はどうすべきでしょうか。内需を拡大してアメリカからの輸入を増やすのが、アメリカからの要求に沿う形です。しかし、アメリカの産業自体が空洞化しているので、どこまで可能なのかわかりません。それよりは、アメリカに経済協力して、対米投資を増やすことです。そして、アメリカが必要とする物資を輸出することです。これなら、中国の貿易黒字と資本収支の赤字が釣り合います。

 経済協力によって、対象国の投資を促しながら、自国の外需をまかなった例として、戦後まもなくのマーシャルプランを挙げられます。当時、欧州は戦争で荒廃していました。一方、戦争が終わり仕事がなくなったアメリカの軍需産業は不況になると予想されました。そこで、アメリカ政府は欧州に投資を行って欧州各国を復興させる一方、アメリカの工場に仕事を作ろうとしました。その結果、欧州は復興を遂げ、アメリカも不況に陥らずにすみました。

 同じような例に、現在の中国の一帯一路政策とAIIB(アジアインフラ投資銀行)を挙げられます。世界不況を乗り切るために、中国は国を挙げて公共投資を増やしました。その結果、産業は供給過剰になりました。不況を下げるためには仕事を作らなけばいけません。そこで、中国は一帯一路という外交政策によって、経済協力によって善隣外交を行いつつ、中国企業には外需を作ろうとしています(経済だけでなく政治的な影響力を強めるためでもあるでしょう)。中国が主導してつくられたAIIBには、投資資金を集めるという役割があるとされています。

 ここで問題になるのは、トランプ大統領は中国による知的財産権の侵害への報復として、中国企業のアメリカへの投資を制限したことです。しかし、利害の不一致で始めたことなので、米中の利害が一致すれば、問題にはならないでしょう。

 ただ、こうやって米中関係が協力的な発展関係を結べば、ジャパンパッシングが進みそうです。とりあえず、失われた20年からの脱出が急務です。それには、金融緩和だけでなく財政拡大が必要です。

 また、米中貿易戦争という喧伝に隠れがちですが、アメリカの制裁関税の対象に日本も入っています。日本もアメリカとウィンウィンの構築が必要でしょう。また、日本政府は日本からアメリカの輸出品は他では手に入らないものだから、アメリカの国益を侵していないと主張していますが、それならアメリカの産業界を通してホワイトハウスに働きかける必要があるでしょう。
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反安倍の無理筋(創発を生むミーム 2018/05/01号)
 創発を生むミーム 2018/05/01号の「??」の全文記事です。
 
2018/05/01号
反安倍の無理筋

 反安倍を掲げる野党共闘によって、安倍政権を倒そうという意見があります。しかし、過去の経験から、無理筋であることがわかります。

 反安倍を掲げても、野党共闘は権力を握れません。民主主義のルールは、国民に選択肢を示し、選んでもらうことです。しかし、反安倍は、国民に安倍を選んでもらいたくないと訴えるものです。反安倍は国民に示す選択肢ではありません。

 アメリカのトランプ大統領のように、政敵をこき下ろすのがうまい、つまり、国民に政敵を選ばせないのがうまい政治家もいます。しかし、野党共闘の中にそんな人材は見あたりません。

 また、消去法の詭弁も使えません。消去法の詭弁とは、いくつかある選択肢のうち、問題がある選択肢を落とし、最後に残った選択肢を正解とする選び方です。なぜ詭弁かというと、選択肢の中に必ず正解があるのがわかっていないと使えないからです。使えるのは四択問題の試験のような場合です。しかし、世論調査では、総理にふさわしい人物には、上位に自民党の大物政治家がずらりと並んでいます。野党の政治家は見あたりません。いくら反安倍を掲げても、野党の政治家にお鉢が回ってくるのは、先のまた先です。

 また、内閣支持率の推移を見ても、野党共闘は支持されていないことがわかります。安倍政権の内閣支持率は、安保法制や共謀罪の強行採決など節目で下がっていますが、低下は長続きせず、じきに回復しました。また、森友加計問題で内閣支持率が10ポイント程度下落しても、自民党の政党支持率は3ポイント程度の下落ですみました。国民がアベノミクスを支持しているからだと考えられます。しかし、野党共闘はアベノミクスに代わる経済政策を打ち出せていません。

 また、内閣府不支持率の理由についても、野党共闘を支持しているからだという声は聞いたことがありません。野党共闘が掲げる反安倍が国民の支持を得ているなら、あってもおかしくないはずです。

 また、野党共闘が反安倍を掲げる理由に、集団的自衛権や共謀罪、改憲などが挙げられます。しかし、これは安倍首相個人の固有の(属人的な)政策ではなく、昔から自民党が主張していたものです。安倍首相のライバルと目される自民党の大物政治家も賛成している政策です。例えば、安倍首相の対抗馬と見られる石破元防衛大臣は、国防軍の創設を主張して、もっとタカ派です。安倍首相を政権の座から引きずり降ろしても、自民党は変わらないでしょう(ただし、安倍首相には、解釈改憲などで立憲主義を壊すという批判もあります)。

 また、野党共闘が反安倍を掲げるのは、外に敵を設定して、国民から支持されない自分たちの弱さに目をつむるようのものです。過去、内閣に不祥事が生じたのに、内閣支持率が上がるというケースがありました。2017年5月の共同通信社の世論調査では、内閣支持率は6.3ポイント上がり、58.%になりました。その直前には、閣僚による不祥事が相次ぎました。

 山本幸三内閣特命大臣(当時)が、実際には二条城に英語の案内があるのに、英語の案内がないなどの理由を挙げて、「一番癌なのは学芸員」とバッシングしました。また、務台俊介復興大臣政務官(当時)が、自身が起こした長靴事件(被災地視察の際、長靴をはいておらず、水たまりをおんぶで渡った事件)を「長靴業界はこれでだいぶ儲かった」とジョークのタネにしてひんしゅくを買いました。

 にもかかわらず内閣支持率が上がったのは国民から野党が信頼されていないせいです。野党共闘は、永田町の中の争いを通して安倍首相を政権の座から降ろしたいようですが、安倍首相から国民の支持を奪うには、国民が安倍首相を支持する理由であるアベノミクスに代わる政策が必要です。

 野党の戦略は「安倍か反安倍か」を掲げて、国民に自分たち野党を選んでもらうことです。しかし、実際の効果どうでしょうか。国民は「安倍がダメでもまだ自民党がある」と考えています。なぜなら、内閣支持率が下がっても、自民党の政党支持率がほとんど下がらなかったからです。

 また、野党の中には、分裂している野党を合流させて、国民の支持を得るはずみにしたいという意見もあります。具体的には、民主党と希望の党が合流して国民民主党になる予定です。しかし、これは失敗が証明されています。民主党と日本維新の会が合流しましたが、合流してできた民進党の支持率は、前身のふたつの党の支持率を合計したものより、下がりました。共同通信社の世論調査では、民主党と維新の党の支持率を足すと10.5ポイントあったものが、合流して民進党になった直後の調査では、8.0ポイントに低下しました。

 数を合わせれば権力になります。この場合の数は国会の議席数です。強い権力を集めれば、強権を求める国民から支持を集めることもできるかもしれません。しかし、国会の全議席数の三分の一もない数合わせでは、国民の支持も得られないのでしょう。また、森友加計問題での政権追及は、数が多ければうまくいくというものではありません。せいぜい、国会質疑の時間を(野党がではなく、自党が)多くとれる程度です。それよりは、質疑をする議員ひとりひとりの資質の方が大切でしょう。

 そもそも、反安倍の出発点は、安倍首相が(様々な右寄りの政策を通じて)国民の暮らしを壊すことに始まります。しかし、経済政策を通じて安倍首相が国民の暮らしを守っていると、安倍政権を支持する国民は思っています。野党はそんな国民の声に応えられていません。

 また、国民の政治への支持の理由も、景気が最重要です。少し古いですが、2014年の衆議院総選挙において、国民が投票先を選んだ理由で最も多かったのは、「候補者の属する政党の政策や活動を考えて」で54.8%でした。また、政策理由で最も多いのは、景気対策で55.9%の国民が選びました。

第47回衆議院議員総選挙全国意識調査
http://www.akaruisenkyo.or.jp/wp/wp-content/uploads/2011/10/47syuishikicyosa-1.pdf

 このように野党共闘はいくつもの無理筋を抱えています。この閉塞を打破するには、安倍政権の不祥事という敵失を期待するか、自分たちでアベノミクスに代わる政策を打ち出せなければいけません。

 そこでキーとなるのが実質賃金を上げることでしょう。安定して実質賃金を上げれば、消費も増え、景気に良い影響を与えるでしょう。また、デフレ下では金融緩和の効果がなく、異次元緩和と財政出動によって、緩やかなインフレに誘導することも大切です。

「それはアベノミクスでは?」と思うかもしれません。しかし、アベノミクスは異次元緩和による緩やかなインフレ誘導に失敗しました。一方、「国家財政は家計の比ではない」の記事でも書いたようにように、逆進性(高所得者ほど課税率が低い)の新税導入や消費税増税などによる財政緊縮に走っており、国民の期待に応えられていません。野党は労働者の賃金を増やす経済政策を示すことで、自民党への支持を奪えるでしょう。自民党の支持を奪うなり、無党派層に支持を広げるなりして党勢を広げないと、自民党の脅威にはなれないでしょう。

 もちろん、「なぜ、野党がそこまでしなければならないのか」という批判もあるでしょう。そもそも、日本では批判というと、批判対象の美意識を傷つけて、「恥と思うなら改めなさい」というものです。それは、国民に責任を持つためです。

 55年体制の時代には、自民党の改憲を批判する社会党が護憲の受け皿になり(具体的には自民党の議席数を国会の三分の二未満に押さえ)、支持を集めていたからです。なんでも反対党と揶揄されながらも、社会的な意義があると見なされていたのはそのせいです。

 しかし、昔とは選挙制度が違います。55年体制の時代の選挙は中選挙区制でした。一つの選挙区から複数の候補者が当選しました。だから、二番手三番手の野党候補者でも当選できました。しかし、今は小選挙区制です。一番手の候補者しか当選できません。当然、野党はひとつひとつの選挙区で自民党に勝ちにいかなければいけません。そのためには、候補者ひとりひとりの資質だけでなく、政策でも自民党に勝てなければいけません。前述のリンクの調査でも、小選挙区選挙で候補者個人か政党かどちらを重視したのかの問いに、48.6%が政党を重く見たと答えています。

 55年体制の時代と社会が変わり、少子高齢化やデフレ不況などの様々な社会問題を与党が解決できないでいるのだから、野党が変わって解決できなければ、国民の不幸です。また、国民に選択肢を示してこその民主主義でしょう。

 もちろん、野党について「批判ばかりだ」という批判もありますが、野党が政府を批判するのは当然のことです。そうでないと、国会に緊張感が生まれず、政府のおごりがでるでしょう。そうなれば国民の不幸です。また、権力の分立にかなう野党の態度です。政府を批判しないでなんのための三権分立でしょうか。また、「代案を出せ」という批判にも、改革案が現状より悪くなるなら、代案は現状維持で十分です。政府の悪政をやっつけるだけなら批判だけでも十分でしょう。しかし、(代案を出さず)現状維持って、与党が権力を握ったままですよね。内閣支持率が低下して安倍政権が下野しても、自民党政権のままでしょう。民主主義国家で野党が権力を握るには、政府の失政を批判して、国民に社会問題を解決できる対案を示すことではないでしょうか。また、国民が最重要視する社会問題が景気対策なのだから、安倍政権の景気対策の失政を批判し、それに代わる代案を出すことが、国民の支持を得る王道でしょう。

 どんな政策を掲げるにせよ、与党も野党も国民に選択肢を示さなければなりません。そうでなければ、民主主義国家として日本は失格です。政敵をこき下ろして注目を集めたトランプ大統領だって、減税や巨額の経済投資の選択肢をブルーカラーの白人労働者に示して、支持をを集めました。
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労働者は(生きるために)市場から退出できない(創発を生むミーム 2018/04/01号)
 創発を生むミーム 2018/04/01号の「労働者は(生きるために)市場から退出できない」の全文記事です。
 
2018/04/01号
労働者は(生きるために)市場から退出できない  労働規制を撤廃しようという主張があります。労働規制を撤廃して、市場の自由に任せれば、労働者にも企業にも利益になるという主張です。

 経済学では、規制は価格(この場合なら賃金)を適正な値から引き上げ、結果として需要(この場合なら職の数)を減らしてしまうと考えらてれています。

 また、マーケット・メカニズム(「神の見えざる手」とも呼ばれます)が働けば、社会の資源が最適に分配されるとされています。マーケット・メカニズムとは、価格が高ければ大量に生産され、価格が下がれば生産量が減り、結果として最適の価格と数量のバランスに落ち着くという考えです。

 市場の参加者(企業や消費者)は自分の利益を最大化する利己主義を動機にして行動しているのに、マーケット・メカニズムのおかげで、社会のバランスが保たれ、資源の最適な分配が実現するという理論です。

 この考えでは、労働規制によって賃金を上げると、労働コストが割高になるため、企業家が雇用が減らし、労働者全体で見ると、労働規制は労働者にとって不利益になります。だから、解雇規制や残業規制を撤廃すれば、労働者にとってメリットになるという理屈が成り立ちます。これが主流派経済学の考え方です。それなら「企業家を縛る規制を撤廃」の記事で触れたような、残業時間規制は労働者の不利益になってしまいます。何が問題なのでしょうか。

 マーケット・メカニズムが働くには、前提があります。敗退した市場の参加者は市場から撤退しなければならないことです。

 敗退した企業は市場から撤退できます。倒産すれば、企業の債務もチャラになります。

 しかし、失業した労働者は生きていかなければいけない。だから、安くても働く。つまり、マーケット・メカニズムで最適の職とバランスの賃金を決めようにも、(理論上は賃金が安ければ市場に参加しないはずの)労働者がいくら賃金が安くても市場から退出しなくなります。

 そして、主流派経済学では不況などの原因により短期的に企業の労働需要が減れば、賃金が下がって労働者の数が減り、それが賃金の低下を緩和するので、社会のバランスが保たれると説きます。しかし、働かないと生きていけない労働者が労働市場から退出することはないので、実際にはそのようなバランス調整はありません。

 そうなると、社会のバランスは保たれません。「労働者不退出定理」と名付けておきます。

「生活保護は?」と思うかもしれません。しかし、生活保護を受け取ることと最低賃金近辺の安い賃金で働くことは大きな違いがあります。貯金があると生活保護を受けられません。安月給でも貯金を使い尽くさないと、生活保護を受けられないのです。もちろん、最低賃金自体が労働規制です。ただ、さすがに暮らしていくのに「焼石に水」程度の低賃金だと労働者は働かないでしょう。

   もちろん、世の中には無数の仕事があるため、ある産業で働いて食べていけないのなら、労働者は別の仕事に転職するでしょう。しかし、単純化するために世の中の仕事が一種類しかないと仮定すれば、労働者不退出仮説は適用されます。そして、労働規制の撤廃はすべての業種にかかるものだから、やはり労働者不退出定理は適用されます。

 なぜ、労働者不退出定理が成り立つのでしょうか。それは一般の商品やサービスには代替市場があって、商品やサービスが高価で手に入りにくいなら、別の市場で代わりのものを買えるからです。例えば、かつて冷害でコメ不足になった時には、うどんやパスタを食べることができました。これが代替市場です。しかし、労働者にとって労働市場の代替になる市場はありません。代替不能なのです。だから、こんなことが起こるのです。

それでは実際にどのような労働市場がそれにあたるでしょうか。例えば、ギリシャの観光産業がそうです。ギリシャは世界不況以来、高い失業率に悩まされています。IMFの推計では、ギリシャの2016年の失業率は23,76%です。そのギリシャの貴重な産業が観光です。ギリシャを訪れる外国人観光客にとっては、ギリシャの不況は無関係だからです。ところが、その観光産業で働く労働者が、最低賃金より低い賃金で働かされたり、ひどい場合には、賃金が不払いで使い捨てにされるケースがあるそうです。もちろん、その労働者が不効率なので、最低賃金より低い金額しか稼げないわけではないでしょう。

 それでは、どうしてこうなるのでしょうか。砂漠の水一滴は高い値打ちがあるのに、水が豊富な日本の水道水はただ同然です。同じ水なのにどうして違いがあるのでしょうか。経済学では限界効用といって、消費する最後の一単位の値打ちを表します。砂漠では水が貴重なので最後の一滴の価値が高いのです。ところが、少子高齢化で労働人口が減少しつつあり(正確には労働投入量は横ばい)人手不足に陥っている日本と違い、失業者が多いギリシャでは、企業家にとって労働者はよりどりみどり選び放題なのです。

 職と賃金を決めるマーケット・メカニズムは、ひとが労働市場から退出しても生きていける(例えば、ベーシック・インカムで生きていくだけのお金が安定して手に入る場合。他にも専業主婦や年金生活者など)時に、正しく働くでしょう。この場合なら、追加の消費分のお金を稼げるなら、ひとは労働市場に参加するでしょう。そして、そうでなければ、労働市場から退出するでしょう。

 しかし、働かないと食べていけない労働者は、待遇が極端に下がっても、労働市場から退出することはないでしょう。だから、生活をしていけるだけの労働規制は必要です。

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迷子の避難計画(創発を生むミーム 2018/03/01号)
 創発を生むミーム 2018/03/01号の「迷子の避難計画」の全文記事です。
 
2018/03/01号
迷子の避難計画

 福島第一原子力発電所の原子力事故の教訓は、最悪の事態を想定して対策を練り、想定外で済ませないことです。別の言い方をすれば、原発を推進するサイドが見たくない現実を直視することです。

 しかし、関西電力の八木誠社長が福島第一原子力発電所の沸騰水型軽水炉(BWR)とは型が違う加圧水型軽水炉(PWR)の安全説を流したり(真っ赤なうそでした。詳しくは「電力会社とモラル・ハザード」の記事をお読みください)、その教訓は原子力村には受け入れられていません。

 原子力村がまともに直視していないことのひとつが、原子力事故のさいの避難計画です。

 原子力事故が起こり、放射性プルームが飛散するような状況では被爆を避けなければいけません。被爆には外部被爆と内部被爆があります。放射線を肌が浴びるのが外部被爆、放射線を出す物質(放射性物質)を胃に飲みこんだり肺に吸いこんだりするのが内部被爆です。

 被爆を避けるには、外部被爆の場合、放射線を避ける遮蔽物をとったり(家の壁程度でも放射性プルームからの放射線を減らせます)、放射線源との距離をとることです。内部被爆を防ぐには、放射性物質に汚染された飲食物を摂らず、また、マスクをして放射性物質を吸いこまないようにすることです。

 いずれにせよ、放射性プルームが通過する前に、ヨウ素剤を飲み(放射性ヨウ素が甲状腺に貯まるのを防ぎます。放射性セシウムには無力です。また外部被爆にも無力です)、避難することが肝心です。

 ところが、政府がまともに避難計画に取り組まないため、避難計画はタテ割り行政の中で迷子になっています。

 原発を再稼働させる原子力規制委員会は、原発の再稼働に当たって、避難計画の策定を義務付けていません。地元でどうぞご勝手にという態度です。原子力規制委員会の田中俊一委員長は「地域住民に対する防災計画の責任は市町村長や知事にある」と発言しています。

 それでは、原発を再稼働させる電力会社はどうかというと、自治体の避難計画を立てるのはその権限の埒外です。

 そのため、原発立地自治体や原発に近接する自治体が避難計画を策定できなくても、原発の再稼働が進んでいるのが現状です。

 一方で、原発立地自治体や原発に近接する自治体が避難計画を立てたくても、原発から30キロ離れた避難を受け入れる側自治体にはそもそも避難を受け入れる義務がありません。そのため、受け入れる側の自治体からは厄介ごとと思われがちです。

 毎日新聞の2013年の調査では、原発の30キロ圏内にある136ある市町村のうち7割以上で避難計画がありませんでした。

 また、避難で厄介なのは、風向きによっては放射性プルームの拡散先が変わってくることです。そのため、最悪の事態を想定するなら、避難先はひとつでは足りず、いくつかの風向きを想定した避難計画を立てなければいけません

 ただ、風向きと道路と出発点からの原発の方向によっては、放射性プルームが拡散する方向に避難するしかないケースもあります。福島第一原子力発電所の原子力事故の時、富岡町は、南北どちらにも原発があるため、南北は避難先からはずれ、海沿いの道は津波にやられている不安があるため使えず、西にしか進めず、高放射性の分布地帯を通って避難することになりました。

 なお、避難に当たってのSPEEDIの活用について、被災者がパソコンを膝の上に置いて確認できるのかという批判もあります。しかし、政府がSPEEDIの情報をネットで随時発表するなら、スマートフォン片手に被災者が確認できます。

 さて、避難計画の不備で犠牲になるのは弱者です。

「避難弱者」(相川祐里奈)によれば、福島県のある地域では地震直後の晩には隣組同士で「隣組の行動は一緒に」と申し合わされたのに、次の日には、隣組に無断で避難して、寝たきりの高齢者がいる家が取り残されたそうです。田舎では地域と結びつきが強いと言いますが、原子力事故から素早く逃げ出すにはそういうこともあるでしょう。

 また「プロメテウスの罠 2」にはこのような事例が報告されています。


 4月4日夜、双葉署から「遺体を収容しました。確認して引き取っていただけますか」と電話があった

 翌5日。南相馬市の高校の体育館で、石田は姉(49)と一緒に、二つの棺と向き合った。ベニヤ板のような薄い木の棺。開けると、グレーの遺体収容袋があった。

 チャックを下した。黒く、やつれ、変わり果てた父の姿があった。口元が乾いて、半開きで、水が飲みたそうだった。目が見開いていた、苦しそうな表情。なにかをつまもうとしていたかのように、右手は少し浮いていた。

 父は2階の布団の中で死んでいたと聞かされた。津波は2階まで上がっていなかった。

 検案書には「衰弱死」とあった。推定死亡時刻は3月21日。10日間は生きていたということだ。

 声が出なかった。姉は泣き崩れた。

(中略)(この男性の遺体について)

 横たえられた75歳の男性。自宅の布団の中で見つかったというのに、雨がっぱを着ていた。逃げられず、電気もガスも水道もなく、暖房もつけられずに寒かったろのだろう。やせこけ、顔が真っ黒だった。

 男性は双葉町の住宅の2階で見つかった。1階は津波で水浸しで妻が水死していたと説明を受けた。

 両手を合わせ、目を閉じる。

 警官が服を脱がせていく。

 全身が黒っぽかった。肉が落ち、骨と皮だ。腹は極端にへこみ、体はひからびていた。外傷はない。  ああ、ひどいな。

 警察の話では、もともと体重は60キロあった。しかし、遺体は38キロ。

 部屋にはコーラと酒の空き瓶が転がっていたとも聞いた。寒く、食べ物もなく、独りで死んだ。 餓死だ。そう思った。

 60キロの人が38キロになるには、10日かかるとされている。標葉は、推定死亡時刻を21日、死因を衰弱死とした。男性の名は石田次雄をだった。

 他にも4体、石田と同じく原発避難区域内で見つかった60〜70代の衰弱死の遺体を検視した。富岡町の60代の女性はこたつの中でやせこけた状態で見つかった。足が不自由で、一人では逃げられなかった。

 大熊町の男性(63)は駐車場でガス欠の車のそばで倒れていた。男女二人はそれぞれ自宅で見つかった。

「津波だけなら助かったのです」と標葉は言う。

「助かる人を死なせたのは、原発事故です。行政も東電も、責任を感じてほしい。1年後の今、私が こうやって話すのは鎮魂のためなんです。痛まれることなくなくなった人たちへの鎮魂です」

 現在、いわき市に住む石田次雄の長男、賢次(45)は、昨年6月に実家に一時帰宅した。父が三方離れの2階。枕元に2.7リットルのペットボトルを見つけた。果実酒らしきものが残っていた。

 母は果実酒づくりが趣味だった。父が最後に命をつないでいたのは、母の果実酒だったのだろうか。


 このような事件の背景には、避難できなかったひとを探す警察や消防の捜索が、被爆を避けるために打ち切られたことがありました。

 また、避難計画を立てられても、実際に実行に移せるのか疑問視されるケースもあります。避難対象者が10万人を超える市が日本全国にいくつもあるからです。

 福島第一原子力発電所から30キロ圏内で最も人口が多いのが南相馬市で6万人です。全町避難した浪江町が2万人、富岡町で1.5万人です。

 ところが、宮城県女川原発から30キロ圏内にある石巻市は人口16万人、茨城県東海第二原発から30キロ圏内にある日立市は人口18万人、ひたちなか市は15万人、水戸市は26万人、新潟県柏崎狩羽原発から30キロ圏内にある長岡市は人口30万人、静岡県浜岡原発から30キロ圏内にある掛川市は対象人口11万人、磐田市は10万人、鳥取県島根原発から30キロ圏内にある松江市は対象人口20万人、佐賀県玄海原発から30キロ圏内にある唐津市の人口は12万人です。数字は「原発避難計画の検証」(上岡直見)から引用しました。

 「原発避難計画の検証」でも指摘されていることですが、原発というと田舎にあるとイメージされますが、県庁所在地が近隣にあるケースがいくつもあります。果たして、滞りなく避難を実施できるのでしょうか。全村避難という規模ではありません。

 避難計画が不備のまま原発が再稼働されるのは、事故の教訓が生かされていないでしょう。再稼働に当たっては、避難計画の策定も義務付けるべきです。ただし、このことは、原発から30キロ圏内の周辺自治体に原発再稼働の同意権を事実上与えるものです。避難計画を策定しなければ、原発の再稼働を阻止できるからです。原発を地元に抱え再稼働の同意権を持つ立地自治体は全国に34あり、30キロ圏内にある避難計画の策定を求められるが原発再稼働の同意権を持たない周辺自治体は全国に119あります。また、避難計画の実施が危ぶまれるケースでは、原発を廃止することも考えるべきです。原発再稼働に反対する立場からは、避難計画の不備を再稼働を阻止する大義にできるでしょうし、原発を再稼働させる立場からでも、原発の地元住民の命を守ることは大切なことのはずです。
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もはや防衛のためという言い訳は通らない(創発を生むミーム 2018/02/01号)
 創発を生むミーム 2018/02/01号の「もはや防衛のためという言い訳は通らない」の全文記事です。
 
2018/02/01号
もはや防衛のためという言い訳は通らない

 防衛省が軽空母(短距離離着陸機や垂直離着陸機を運用する空母)の保有を検討しています。ヘリ空母を軽空母に改修して、アメリカ海兵隊の艦載機であるF35Bを運用する計画です。南西諸島の防衛のためだとしています。また、大学の軍事研究への助成も活発化しています。

 地上を狙って航空機から発射する空対地長距離巡航ミサイルの導入も検討されています。これらは敵基地攻撃能力を持たすことが可能なため専守防衛を逸脱する恐れがあります。安倍首相は敵基地攻撃にはアメリカが当たると、懸念には及ばないと国会答弁しました。

 本当に日本から戦争をしないのでしょうか?

 こんな時に決まって使われる決まり文句が「防衛のため」です。かつての日本でなら、こんな文句もリアルなものだったでしょう。しかし、もうそんな言い訳は通りません。今の自衛隊は外征できる軍隊だからです。集団的自衛権を行使すれば、外国と戦争できてしまいます。政府は限定的な武力行使かのように説明しますが、実際に交戦状態に入れば、武力行使はエスカレートしていくでしょう。

 かつて、日本政府も(政府の憲法解釈の門番役である)内閣法制局も、自衛隊は自衛のためにしか使えないと公言していました。しかし、安倍政権になってから、政府も内閣法制局も「自衛隊は(日本から始める)戦争に使える」と解釈を改めました。

 かつての日本なら、外国から日本に攻撃があって始まる自衛戦争にしか自衛隊は使えなかったのです。だから、防衛省や大学が「防衛のため」の装備や研究であると発言しても、筋を通すことも可能でした。しかし、今や日本は(外国を守るためなら)日本から戦争を始められる国です。防衛のためという言い訳なんてナンセンスです。

 あるいは、イージス・アショア(イージス艦のミサイル迎撃機能の陸上版。)のようにミサイル迎撃用の兵器でも、現行の安保法制では、米軍防護のために武力行使が可能です。日本から戦争を始めるために使えるのです。

 また、安倍政権以前の日本なら武器輸出三原則があるため、大学の軍事研究の成果が武器輸出に使われないという名分も立ちました(まったく抜け穴がないわけではありません。日米軍事技術協力があって、アメリカの望む軍事技術を日本からアメリカに提供していたからです。逆はありません。一種の上納です)。しかし、安倍政権下で閣議決定によって武器輸出三原則は防衛装備移転三原則に変更され、武器の輸出が解禁されました。機密性の高い日本国産の潜水艦をオーストラリアに輸出する商談もありました(オーストラリア側の都合により破談)。もう防衛のためという言い訳はできません。

 古い知識は最新の知識にアップデートされなければいけません。防衛省が防衛のための軽空母導入と言っても、集団的自衛権を政府が発動させ、日本から外国に戦争を始めるためにその軽空母が使われることはないと、政府や防衛省が保証してくれるわけではありません。大学の軍事研究と言っても、防衛のためだけではありません。国産兵器が輸出されるからです。長距離ミサイルを持っても、敵基地攻撃には使われないと保証できません。集団的自衛権を行使して外国と交戦すれば、武力衝突がエスカレートするのは目に見えているからです。憲法だって防衛のために限ると保証してくれません。そして、憲法に政府の不都合があれば、政府の一存で解釈を変えてしまうのが現在の政府のありのままの姿なのです。

 日本の防衛省や政府や大学が軍備拡張を「防衛のため」というのは、現実が見えていないか、もしくは、真っ赤なうそと呼ぶべきでしょう。

 政府や防衛省や大学が「防衛のため」という文句を使った時、私たちはもっと攻撃的に「武力行使のため」と言い換えなければ、実態を正しく理解できません。国防を論じる時に、このようにダブルミーニングを使わなければならないのは国民の不幸です。
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国家財政は家計の比ではない(創発を生むミーム 2018/01/04号)
 創発を生むミーム 2018/01/04号の「国家財政は家計の比ではない」の全文記事です。
 
2018/01/04号
国家財政は家計の比ではない

 国家財政はよく家計に例えられます。こんな感じです。年収650万円の世帯なのに、毎年340万円を借金して、全額を消費に回している。今では借金が1.1億円にもなっている。なのに、まだ借りられるからと借金しようとしている。これでは問題だ。入るを量りて出ずるを為すを図らなければならない。

 しかし、国家財政の規模は、家計の比ではありません。例えば、年収500万円の世帯が(収入をすべて消費に回しているとして)5%にあたる25万円の支出を節約したとしましょう。景気に与える影響は微々たるもので、統計誤差の方が大きくなります。しかし、およそ100兆円にのぼる国家予算の5%を削ると5兆円になります。これはおよそ500兆円ある日本のGDPを1%マイナス成長させる規模です。

 このように、国家財政の規模は家計の比ではありません。先ほどの例だと、同じ規模の家計が2000万人いないと同じ結果になりません。世界不況のような時に、家計が節約することは個人にとっては合理的なことです。収入は減るし先行き不安だからです。しかし、全体が同じことをすれば、余計に景気を悪化させます。合成の誤謬と呼ばれます。

 また、ムダを減らして、その分を有意義な使い道に回そうという意見もあります。しかし、全体の支出が増えなければ、日本の景気に与える影響はプラスマイナスゼロです。

 例えば、余った道路予算を使い切るために、年度末に道路に穴を開けてまたふさぐのをやめて、教育予算の回しても、支出総額が増えなければ、日本の景気には影響がないのです。

 道路に穴を開けてふさぐようなことをしてもGDPが増えるなんて、と思う方もいるかもしれません。これはGDP統計の限界です。

 GDP統計が計るのは消費の増加であって、国民の幸福が増すことではありません。これは「経済成長って、本当に必要なの?」( ジョン デ グラーフ ,デイヴィッド K バトカー)に書いてあることですが、国民が不幸になることでも、消費が増えるなら、GDPに計上されます。例えば、家庭不和。家庭不和が増加すれば、離婚調停のための弁護士報酬も増えるでしょう。この増えた分はGDPの増加として勘定されます。あるいは、公害。公害によって住民の健康が損なわれたら、医者にかかる患者が増えます。この増えた分の医療報酬はGDPにカウントされます。

 だから、GDP統計を見る時は消費が増えたかどうかだけでなく、国民の幸福が増えたかどうかも抑えなければ、片手落ちになります。しかし、税金のムダ遣いが減り、国民の幸福が増すような社会還元のために使われても、全体で見て消費が増えなければ、景気は良くなりません。そして、政府支出もGDPにカウントされます。

 例えば、消費が増えないなら、将来の生産増を見越して企業が設備投資を増やしたりしません。あるいは、人手の確保のために、企業が人件費を増やして実質賃金(物価変動によらず、実際に商品やサービス購入に回せる賃金)が増えることにはなりません。

 GDPにカウントされる支出のひとつに個人消費があります。一般の個人の支出の総計です。個人消費を増やすためには、実質賃金が将来に渡って安定して増える必要があるでしょう。収入がこれからも増えると予測できるから、個人も安心して消費を増やせるのです。これは私が言い出したことではなく、新自由主義経済学の泰斗のミルトン・フリードマンが言い出したことです。

 しかし、消費税を増税すると物価が上昇するため、実質賃金が下がります。家計を切り盛り感覚で国家財政を切り詰めると、日本の経済が衰退します。

 財政再建のための消費税増税は、実際には逆効果でした。2014年の消費税増税は実質消費(物価変動によらず、実際に商品やサービス購入に回せしたお金)を2兆円以上減少させました。この減少は長引き、駆けこみ需要の反動だけでは説明できませんでした。実質消費の落ちこみは2017年発表の政府統計では2016年まで続き、2017年もマイナスになると予想されます。

 国家財政を黒字化に向かわせると家計が赤字化に向かい、家計を黒字化に向かわせると国家財政は赤字化に向かうのです(ただし、国債発行によって市中のお金を国が吸い上げ、金利が上がり、民間が疲弊している場合は別です)。

 ところが、日本の税制論議はそれと逆方向です。実現すれば30年ぶりの新規増税として、森林環境税の導入が議論されています。この増税は3つの問題が挙げられます。

 まず、デフレ不況下で増税することです。政府が国民から税金を搾り上げれば、その分だけ消費が減ります。つまり、日本一国のレベルで見れば、需要が減り、デフレ不況が続きます。

 次に、所得の再分配ではないことです。所得が再分配されるなら、格差が解消し消費も増えるのですが、そうではありません。財政再建のための増税です。そして、この記事で説明したように、財政再建は景気を悪化させます。

 最後に逆進性(高所得者ほど課税率が低い)であるであることです。この新税は、住民税を支払っている納税者ひとりにつき、千円を取り立てるものです。言ってみれば、人頭税です。逆進性の何が問題かと言えば、金持ちに優しく、貧乏人に厳しいことです。日本の格差を拡大させ、国益を損ないます。IMFですら、累進課税の強化で格差を解消させようと訴えているご時勢に、逆進性の新税導入なんて、国際社会の潮流に反します。

 金持ちから税金をとることを賛成するのは簡単ですが、実質消費が減り景気がまだ回復していない時期に、所得再分配が伴わない増税は消費を減らし、景気を悪化させます。これは同時に検討されている他の増税策にも言えることです。
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少数意見の抹殺(創発を生むミーム 2017/12/01号)
 創発を生むミーム 2017/12/01号の「少数意見の抹殺」の全文記事です。
 
2017/12/01号
少数意見の抹殺

 国会の質疑答弁の時間の与野党間の配分について、与党自民党がこれまでの与党2野党8を改め、与党5野党5にすることを要求しました。

 安倍首相は国会議員は国民から権力を信託されているのだから、与党野党の政党の枠組みではなく、国会議員個人の責任を果たすべきであり、それが国民からの負託に応えることだと説明してます。

 これは、個人主義・平等権に基づく主張でしょう。国会議員個人に焦点を当てると、なんだか良いことのように思えてしまいます。

 しかし、国会内の勢力関係の視点で見ると、少数意見の抹殺につながり、個人主義・平等権を妨げてしまいます。

 政治家は議会の中で会派を組んで行動します。政党交付金を国から受け取るためにも、法案提出権を獲得するためにも、5人以上の会派を組まなければいけません。また、首相を選出するためには、衆議院で全議席数の過半数を占めなければいけません(首相を選ぶ権限は参議院にもありますが、衆議院と参議院で割れた時は、衆議院が優先されます)。また、政党が党議拘束をかけて、議員個人に党の方針に従って、法案の可決について投票するように強制することは、当たり前のように起こっています。

 安倍首相が自民党総裁として、党議拘束をかけず自民党の議員ひとりひとりの意見を尊重して、与党を運営するなら分かりますが、実際には公認権と毎年100億円を超す政党交付金の使い道を握っており、安倍一強と呼ばれる状況で、それはないでしょう。

 だから、国会議員個人の責任を果たすことを期待して、質疑答弁の時間配分を変えても、権力による少数意見の抹殺につながるでしょう。

 それでは少数意見をどうして尊重しなければいけないのでしょうか。

 まず、人権思想の下、国民ひとりひとりの幸せが追求される民主主義国家の日本では、様々な立場から意見が国政に反映されなければ、国民の幸福追求が成り立たないからです。

 また、多様な意見を認めれば、ひとつの政策がうまくいかなてくも、代わりとなる政策を国民が選ぶことが可能になるからです。

 みんなと一致団結すれば、大きなパワーになると思っている読者には、多様な意見を認められたならば、てんでばらばらになると思うでしょう(「みんなと一致団結」は日本人にありがちな問題解決策です)。しかし、(「戦争への道を振り返る」の記事でも取り上げましたが」)1931年の満州事変以来15年間に渡って続いた戦時中の15年戦争では、日中戦争は聖戦として位置づけられ、泥沼にはまり、戦争を止められないまま、中国における日本軍の占領地の返還を要求するアメリカのハルノートを拒否して太平洋戦争に突入しました。

 また、小選挙区制の衆議院選挙は死票(落選候補に投じられた票)が多く、議席数は必ずしも国民の信託を正確には表しません。先の総選挙で全有権者のうち、自民党の占める得票率は25%でした。自民党が議席数の3分の2を占めたにも関わらず、与党2野党8の配分の方が、国民の信託を正確に表しています。

 イギリスの政治哲学者のミルは、「多数派の横暴(多数派で決めて、少数派を黙らせること)」という言葉を残しましたが、これでは少数派の横暴です。もちろん、実際には、野党は複数の党に割れているのだから、よりいっそう少数派なわけですが。

 また、国権の最高機関と憲法で位置付けらている国会には、政府を監視するという責任があります。一方で、内閣も国会に対して責任を追うと、憲法に明記されています。それなら、安倍首相も、野党に対して質疑答弁する時間を取らないといけないでしょう。

 安倍首相は、自分が自民党総裁として人事権や政党資金の分配権を握っている自民党の議員たちが、真剣に質疑答弁で内閣を追求しなければいけない、またそれができると思っているのでしょうか。

 森友問題での籠池泰典の国会証人喚問の自民党の質問も、「安倍明恵首相夫人から聞いた話と違う」と籠池氏を責めるもので、国会議員である自民党議員が内閣総理大臣である安倍首相側についたものでした。

 もちろん、裁判の場でも、被告人を追求する検事と被告人を弁護する弁護士に分かれるので、与党の議員が内閣側のつくのも問題ではありません。しかし、与党の議員ひとりひとりに個人主義・平等権に基づいて質疑答弁の時間を配分しても、過去にも自民党の議員はカジノ解禁法案の質疑答弁で時間が余ったのでお経を読んだぐらいなのだから、安倍首相へのごますりに使われるのではないでしょうか。

 11月の特別国会でも、自民党の岸田政調会長が、自分がまとめた総選挙の自民党のマニュフェストのうち憲法改正について安倍首相に質問していました。言ってみれば自民党の宣伝です。今後重要になるだろう憲法改正の国会質疑でも、自民党に偏った時間配分になれば、同じことになるでしょう。

 もっとも安倍首相はよく、行政府の長である内閣総理大臣と政党である自民党総裁の立場の違いを利用して答弁から逃げます。2段落目の答弁を引き出した枝野幸男議員の代表質問への返事も、国会が決めることだから、首相としては答えられないというものでした。ところが、日経新聞の報道によると、与党の質疑時間の拡大は安倍首相の指示だと、萩生田内閣官房副長官が明らかにしています。

 そもそも、安倍首相は自民党の質疑時間を増やすのは、自民党の若手政治家に活躍の機会を与えるためだと説明しています。しかし、自民党の政治家に手柄を立てさせるために、国会を利用するのは、自民党による国会の私物化でしょう。

 そもそも多数派を握る与党側は、金でも権力でも情報でも、野党の優位に立ちます。法案も与党内ですり合わせてから国会に提出され、それから与野党で時間配分されて質疑応答に入ります。最初から与党有利なのです。議席数に応じて時間配分を決めるのは一見、公平のように見えて、与党チートなのです。少数派が尊重される国会運営が必要です。
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安倍首相のための憲法改正(創発を生むミーム 2017/11/01号)
 創発を生むミーム 2017/11/01号の「安倍首相のための憲法改正」の全文記事です。
 
2017/11/01号
安倍首相のための憲法改正

 安倍首相率いる自民党が憲法9条の改正を総選挙の公約にしました。憲法改正の条文は選挙の後に発表するとのことですが、以前から発表されている草案が土台になるでしょう。これから起こる憲法改正論議のために、取り上げました。一言で表現すれば安倍首相のための憲法改正です。何が問題なのでしょうか。

 今年6月に憲法9条に自衛隊を明記する安倍首相の提案を受けて自民党憲法改正推進本部が出した叩き台は次のものです


9条の2 前条の規定は、我が国を防衛するための必要最小限度の実力組織として自衛隊を設けることを妨げると解釈してはならない
2 内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有し、自衛隊は、その行動について国会の承認その他の民主的統制に服する


 自民党の保岡興治・党憲法改正推進本部長は現在の憲法解釈を1ミリも動かさないと発言しています。それならば、変えなければいけないのは9条ではなく幸福追求権を定めた13条です。自衛隊を合憲と解釈する従来の憲法解釈の源は13条にあるからです。つまり、国民の幸福追求のために政府は国民を守らなければならず、そのために自衛隊が必要だという解釈です。

 自民党の憲法改正案には「必要最小限度の実力」という文言があるのだから、たいした違いではないという意見もあるかもしれません。しかし、「防衛のため」という文言が問題となります。集団的自衛権の根拠となるからです。

 安倍政権以前の憲法解釈では日本は個別自衛権しか持っておらず、集団的自衛権は持っていないというものでした。憲法のどこにも書いていないからです。

 しかし、安部政権は「国民を守るため」なら集団的自衛権が認められると憲法解釈を変更しました。この解釈変更について、多くの憲法学者が違憲であると表明しました。

 ところが、自民党の憲法改正案では、自衛隊の存在が合憲とされた上で、防衛のために使ってよいとされました。それならば、安倍首相の解釈改憲も、合憲とされるでしょう。

 このように、自民党の憲法改正案は、安倍政権下での解釈改憲や安保法制を追認するものであり、安倍首相のための憲法改正だと位置付けられでしょう。

 ただ、安倍首相は現在の条文でも集団的自衛権を持つという解釈なので、今後の改憲議論で「防衛」という文句が削られても、政府は集団的自衛権を持つと主張を続けるでしょう。

 現行の憲法のまま政府が集団的自衛権を行使して自衛隊を戦地に送っても、最高裁判所で違憲と判断が下る公算が高いでしょう。大勢の憲法学者が違憲と考えていることだからです(ただし、日本では学説は法源になりません。法源とは裁判官が判決を下す根拠となる法のこと)。

 しかし、改憲をして憲法で集団的自衛権を認めてしまえば、将来、最高裁が違憲と判断を下すことがなくなります。

 そして、その先には、アメリカに軍事貢献するために、自衛隊を使う国に日本がなるということです。しかも、その軍事貢献は首相の意向次第で出来てしまうのです。

 憲法9条一項や二項では、交戦権や戦力の保持を禁じているので、そんなことにはならないと思われるかもしれません。しかし、法律解釈には後方優位の原則があります。矛盾する条文を解釈するさい、後から付け足されたものを優先させるという考えです。後の方が、より立法者の趣旨にかなうという考えです。だから、三項を付け足せば、それにかなうように、一項や二項も再解釈されます。

 安倍首相は集団的自衛権を行使して外国を守るために日本から戦争を始めるのは、日本を危機から守る場合に限るとしています。しかし、その危機の判断は首相がすることで、憲法に制約されません。

 ただ、「日本人を分断した教育勅語」でも触れたように「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」とある憲法前文は、防衛のためでも、日本政府の意志で戦争を起こすことを禁じています。

 しかし、集団的自衛権を行使して自衛隊の武力を使うとは、日本政府が宣戦布告して戦争を始めることです。安倍首相は抑止力だ、これが国を守ることだと主張しますが、日本が戦争に向かうことなのです。

 そのため、集団的自衛権の行使は前文に反します(個別自衛権は敵国の攻撃があって発動されるものなので、政府の意志ではありません)。しかし、学説では前文違反を理由に裁判に訴えられません。個別の条文で対応できるからです。だから、集団的自衛権が違憲だと思うなら、安倍改憲に反対しないといけません。また、憲法9条を変えるなら、集団的自衛権を禁じれば、政府に戦争を再び起こさせない憲法前文の精神にかなうでしょう。
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政治家=マーケッター説(創発を生むミーム 2017/10/01号)
 創発を生むミーム 2017/10/01号の「政治家=マーケッター説」の全文記事です。
 
2017/10/01号
政治家=マーケッター説

 マーケティングとは、消費者の嗜好にあう商品やサービスの情報を消費者に届け、流通を円滑にすることです。この記事では、政治家の一側面をマーケッター(マーケティングの専門家)と捉え、論じたいと思います。何度もうそをつくからです

 そう聞くと、読者の中には「政治家は名誉ある職なのに、企業活動なんかになぞらえるなんて」と怒るひともいるかもしれませんが、最後まで読んで判断してください。

 現在のマーケティング事情をまとめた「ウソはバレる」(イターマル・サイモンソン、エマヌニュエル・ローゼン)では、マーケッターを「(消費者から見て)疑わしい存在」と切って捨てます。「つまらない要素をつけ加えたり、ほとんどの人にとって使い道や意味のない機能や差別化要因をアピール」(同書)するからでしょう。あるいは、消費者をだますからです。安全の代名詞だった自動車メーカーのボルボが、実際には安全性を裏付けるデータがなかったためにイメージを失墜させたケースなどが同書では論じられています。排ガス規制で消費者をだましたフォルクスワーゲンや同じく燃費データで消費者をだました三菱自動車などもそれにあたるでしょう。

 最近の日本の政治でも、(消費税増税分の5兆円のおよそ8割を教育予算に回す意向の)安倍首相が読売新聞のインタビューに答えて、(5%から8%に増税された8.2兆円の)消費税の使い道のうち、8割が財政再建のためだったことについて、「増えた税収の8割を借金返済に使われた」とぼやいていました。しかし、消費税増税の実施の最高責任者は安倍首相なのだから(最高責任者とは首相自身が言っていることです)、これでは言い逃れです。また、そんな安倍首相に都合の良い偏った報道をする読売新聞は「マーケッターより」の新聞社と言えるでしょう。

 また、自民党自体、PR会社と契約して、メディア戦略を練っているそうなので、マーケッターという捉え方は実態に即したものの見方でしょう。

 さて、「ウソはバレる」で疑わしいマーケッターにかわって、信頼できる情報源になっていると指摘されるのが、他人(この場合は、詳しい消費者がそれにあたるでしょう)です。例えば、アマゾンレビューなどのレビューを読むと、ある商品について数十人がレビューをつけていて、購買の参考にできます。

 ただし、商品を実際に購入してからレビューを書く場合と違い、国政選挙の公約が実施されるのは、選挙の後です。だから、(選挙の前から)信頼できるレビューを書くには、相当勉強していないと無理でしょう。

「地方自治は民主主義の学校である」という格言があります。地方自治のように(国政と比べて)住人の目が行き届く政治なら、どんな政策が実施されたら、自分の暮らしにどう影響を与えるのか、学びやすいでしょう。ただ、そんな格言が(欧米に)あっても、日本の地方自治は不活発なので、有権者が政策を学ぶ教材にはなりえないかもしれません。

 また、インターネットの普及した現在においては、消費者が手に入る情報は(企業の広告以外にも)ふんだんにあり、消費者は自発的に継続的に情報を収集するようになったと「ウソはバレる」で指摘されています。

 国政選挙で政治家を選ぶとは、毎年数十兆円にのぼる国庫の使い道を選んだ政治家に委ねることなのだから、自発的に継続的に情報を収集する価値はあるでしょう。

 ただし、インターネットではフェイクニュースが手軽に広がるので注意も必要です。自分に都合の良い情報をうのみにせず、複数の信頼できる情報源にあたる必要があるでしょう。

 それから、自分とは違う意見の持ち主に注目するのも良いでしょう。同じ意見だけを拾っていると、たこつぼの中に入ってしまいます。自分とは違う意見を聞くと思わぬところで視野が開けるかもしれません。ただ、だまされたら元も子もないので、人間的に信頼できるひとを選ぶべきでしょう。

 それから、「ウソはバレる」で、ブランドや消費者の説得が無用となっているマーケッターの仕事として、関心の創出が挙げられています。

 関心の創出の例として、ホワイトバンドプロジェクトが挙げられます。先進国からアフリカ諸国への有償援助の債務棒引きを目指し、その運動の連帯感を示すために白いバンドを腕に巻こうという運動でした。日本でも多数の有名人が出演するCMが話題になりました。ところが、発祥の地の欧米では白いひもや布地を腕にまくだけで良いのに、日本では「業者からホワイトバンドを買うもの」とされました。ウィキペディアのホワイトバンドプロジェクトの項目からの引用になりますが、国内で販売されたホワイトバンドは1本300円、総数で464万本以上でした。そのうち、流通経費(製造から小売りまでの経費。一言にまとめれば、寄付とは無関係の業者の取り分)が約200円、広告費および国内でホワイトバンドプロジェクトを推進した特定非営利活動法人ほっとけない 世界のまずしさ事務局の運営費(ホワイトバンドプロジェクトの推進のための経費)が約57円、約28円がNGOの政治活動資金(実際に運動に使われるお金)、残りの14円が消費税でした。13億円を超す売り上げがあったのですから、そのうち10億円近くものお金が業者の懐を潤しました。

 この総選挙における民進党の希望の党への合流による、「自民か反自民か」という争点化は、まさにマーケッターの仕事とよべるでしょう。世間の関心が「自民か反自民か」に集まりました。世間の関心が選挙に集まるのは、投票率も上がって良いことです。しかし、それだけに終わらず、だまされない必要があるのは、うがちすぎでしょうか。

 また、日本の国政選挙で大きな影響力になるのが「なにかやってくれそう」という期待感です。風とも呼ばれます。しかし、「悪いヤツほど出世する」(ジェフリー・フェファー)で「カリスマ=感動させてくれるひと」と定義されています。自分を感動させてくれるひとに期待するのは、冷静になってから判断すべきでしょう。

 過去にも小泉構造改革の時代に、小泉首相が「改革を止めるな。」とキャッチフレーズにして衆議院の解散総選挙を実施したことがあります。しかし、デフレ不況下の構造改革は格差を拡大する一方で、内需を増やすことはありませんでした。アメリカの不動産バブル頼みの実感なき好景気でした。

 また、ライブドアの社長だった堀江貴文氏がカリスマ経営者としてメディアでもてはやされた時がありました。これからの日本人はこのような金持ちを目指すべきかと賛否が割れました。堀江貴文氏が有価証券報告書の虚偽で逮捕されると、状況は一変しました。例えばベンチャー企業向けの株式の取引が激減しました。

 そうはいっても、感動消費はなくならないでしょう。アメリカのオバマ元大統領の2009年の大統領就任演説について、日本の視聴者の一部から「感動させてくれなかった」という批判の声が上がりました。カリスマの演説に触れて、感動したかったのでしょう。しかし、感動させてくれるからといって、自分の暮らしが良くなると早計するのは、のぼせすぎではないでしょうか。

 やはり、社会の実態をどのように理解しているのか、それをどう変えるのか、その将来はどのような姿を目指すのか、その段取りはどうするのか、といったことを地道に調べる必要があるでしょう。国民の意識が高まらないと、国民をだます政治家はこれからも輩出されるでしょう。

 もちろん、そんなに難しく考えなくても、単純にうそをつく政治家はいます。東京都知事の小池百合子氏は「情報公開は東京大改革の一丁目一番地」と位置付けでいたのに、毎日新聞の調査で、築地移転問題について財源や運営費などを検討した資料が残されていなかった発覚した問題について「それは、私がAIだからです」「最後の決めはどうかというと、人工知能です。人工知能というのは、つまり政策決定者である私が決めたということでございます」とごまかしました

「自分がAIだなんて、素直に受け止めると妄想?」「AIであることが約束を破る口実になるSFって存在したっけ?」と思いますが、釈明に窮して言葉を選び損なったのでしょう。ここで「いや、そうはいっても、こういうことをしてくれるだろう」と有権者が忖度することは、企業に対してはしません。だから、政治家に対しても有権者は厳しく吟味しないといけないでしょう。
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企業家を縛る規制を撤廃(創発を生むミーム 2017/09/01号)
 創発を生むミーム 2017/09/01号の「??企業家を縛る規制を撤廃」の全文記事です。
 
2017/09/01号
企業家を縛る規制を撤廃

 国があって企業家がおり労働者があります。

 労働者への待遇について、国が企業家を規制したものが労働基準法です。労働者を守るために、企業家はこの法律を守らなければいけません。そのひとつに労働時間の上限があります。企業家が労働者を働かせられる時間は週40時間までであり、それ以上働かせようとすれば、賃金を25%割り増しした残業代を支払わなければいけません。

 そして、企業家たちの主張をくみ取り国が進めているのが、この規制の撤廃です。それが「高度プロフェッショナル制度」(通称残業代ゼロ法案)です。

 企業家たちは勤労意欲のある労働者のために、残業規制をなくそうとポジション・トーク(自分の利益ための偏った主張)をしています。しかし、実際に規制が解除されるのは、労働者を縛る法律ではなく、企業家を縛る法律です。

 残業代ゼロ法案を主張する経団連の2005年の提言を読むと、頭脳労働が主流の現在のサラリーマンの働き方では、工場で管理されて働いていた1947年の労働基準法制定当時の働き方にはそぐわないとあります。しかし、それで改めるのが、企業家を縛っていた残業規制なのだから、自分に甘い意見です。

経団連の「ホワイトカラーエグゼンプションに関する提言」https://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2005/042/teigen.pdf

 経団連の提言にはフレックスタイム制でも「労働時間にとらわれない自由な働き方」には足りないとしています。それなら、何なら経団連は満足するかというと、残業規制が撤廃されたらです。企業家への規制が撤廃されたら満足するのです。

 また、管理監督者(いわゆる管理職)の規定について「深夜業の割増賃金の支払いが適用除外とされていないという点で、真の意味における労働時間の適用除外とはなっていない」と主張しています。どうあっても、経団連は残業代を払いたくないのでしょう。

 経団連は残業規制撤廃について「働き方の選択肢を増やし、労働者の勤労意欲に十分に応えつつ、生産性を向上させ、我が国産業の国際競争力の強化にも繋がるホワイトカラーに適した労働時間制度」が必要だと主張しています。

 経団連は、アイデアは自宅でも生まれるから、労働時間と非労働時間の区別があいまいだと主張しています。しかし、それならフレックスタイム制と成果主義で十分であり、それでは足りないという経団連の主張には根拠がありません。

 また、非効率でも残業をたくさんした労働者の方が、効率的に仕事を進める労働者より(残業代の分で)高賃金になり、優秀な労働者の意欲を削ぐと経団連は主張しています。しかし、それなら成果主義を導入すれば良く、企業家への規制を撤廃する必要はありません。こんな理由で残業規制を撤廃するのは、労働者全体の待遇切り下げです。なお、経団連の前述の提言によれば、成果主義を導入している企業は全体の55%です。

 また、「社会生活基本調査」によれば、2011年の国内の正規雇用の男性の週労働時間は53.1時間、女性は44.1時間でした。残業が前提の待遇です。だから、残業代ゼロ法案が通れば、必ず賃金は下がります。正社員の男性の場合、(ボーナスや手当を入れず)単純に計算して、およそ4分の1の減収になります。

 また、「子供もできたし、住宅ローンも抱えているから、できるだけ仕事を引き受けて残業代を稼ぐぞ」という小市民的なワークライフもできなくなります。少数の者がオーバーワークになるため、本当は良くないことですが、こういうひとが日本の現場を支えているのではないですか。日本は戦略不在現場頼みの国なのに、これでいいとは思えません。経団連が「これが経費節約になる。これで良いんだ」と考えているなら、タコ足食いのようなものでしょう。

 政府は成果に応じて賃金が決まるようにようになると宣伝していますが、現在の制度でも、企業は同じことができます。また、成果主義の導入は条文に書いてありません。企業に成果主義を義務付けるような制度ではありません。そもそも、前述の経団連の提言を読んでも、「労働時間、休憩、休日及び深夜業に係る規制の適用除外とする」とあるだけで、成果主義を導入するとは書かれていません。

 政府の今回の(これまでに同様の法案は何度も流れています)残業代ゼロ法案は年収1075万以上の専門職に対象が限定されています。しかし、前述の経団連の提言では、年収400万円以上を残業代ゼロとするとあります。だから、将来的には、対象が拡大されるでしょう。

 経団連には、熱心に働くアメリカのビジネスマンのように、日本の意欲のあるサラリーマンにも働いてもらいたいという主張もあります。しかし、こんなのは残業代を切り捨てるためのポジション・トーク(自分に都合よく流す偏った情報)です。日本とアメリカでは労使関係が違います。アメリカのビジネスマンは、一年限りの査定で毎年の年棒が決まります。メジャーリーガーの年棒のようなものです。日本のように年功給や過去の貢献度で決まることはありません。毎年、ゼロベースから査定されます(ただし、功労の概念が全くないわけがありません)。日本でなら、外資系がそれにあたります。しかし、こんな査定制度を持ちこまないで、残業規制だけ撤廃するなら、サービス残業させたい放題になるでしょう。

 企業家に良心があるのなら、勤労意欲があって働きたい、そうやって企業に貢献したい労働者に報いることを考えるべきでしょう。しかし、意欲ある労働者の上にあぐらをかいて、労働者全体の待遇を切り下げるのは、企業家の身勝手で政治を歪めていることに他なりません。
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author:taiga, category:メルマガ, 12:27
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